第29話 暗闇の底で
全てが崩れ落ちる感覚――落下しているのか、それとも沈んでいるのかも分からない。
目を開けても、ただ漆黒。
けれど、耳の奥で誰かの呼吸音だけがはっきりと聞こえていた。
「……お兄ちゃん……」
その声は、柔らかくも震えていた。
闇の中、ぼんやりと光が滲み出す。
そこには、あの港で見た少女――奈央が立っていた。
白いワンピースは風もないのに揺れ、胸元にはあの歯車のメダルが輝いている。
「奈央……本当に、奈央なのか?」
中村が一歩踏み出す。
彼の声には、戦闘中の鋭さなど微塵もなかった。
奈央はゆっくりと首を縦に振った。
だが、その背後に黒い影が形を成していく。
長い腕、ゆがんだ仮面――異形の輪郭だ。
「この子は……核を抱えてしまったの」
奈央の声は落ち着いていたが、その瞳は助けを求めていた。
「核?」
私が問い返すと、少女は胸のメダルを指でなぞる。
「これがないと、この世界は……壊れる」
その瞬間、闇の奥から低く響く声が届く。
『奪え。奪い返せ。核は我らのもの……』
影が奈央の足元を飲み込み始める。
中村が駆け寄るが、透明な壁のようなものに阻まれ、拳を叩きつけてもびくともしない。
「お兄ちゃん……ごめんね。私、もう――」
奈央の言葉は途中で途切れ、影に飲まれた。
闇の底から、異形の仮面が再び現れる。
しかし、その片目だけはまだ人間の色を宿していた。




