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第21話 霧の廊下の向こう
足を踏み入れた瞬間、靴底が湿った感触を返す。
廊下の床は、薄い水膜で覆われていた。
「滑るなよ」
と声をかけても、中村は小さく頷くだけ。
その顔に、かつての感情の影はなかった。
霧の中、壁の模様がうっすらと動いている。
よく見ると、それは人の顔だった。
無数の顔が、苦悶の表情で壁に埋め込まれている。
「ここ……どこなんだ?」
中村が低く呟く。
私は答えず、彼の腕を引いた。
余計な説明をすれば、恐怖だけが増える。
数歩進むと、前方の霧が渦を巻くように晴れ、巨大な扉が現れた。
扉の中央には、欠けた歯車がはめ込まれている。
その時――背後から、壁の顔のひとつが口を開いた。
「……足りない……」
掠れた声が廊下全体に響き渡る。
中村が振り返り、青ざめた表情を浮かべる。
「今、喋った……?」
「走れ!」
私たちは濡れた床を蹴り、扉へ向かって駆けた。
だが扉の前に立ちふさがったのは、背丈ほどの歯車を背負った異形。
歯車は血のような液体を滴らせながら、ゆっくり回転している。
――新しい試練が始まる。