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第19話 代償の条件
「……中村、後ろ、見るな」
低く絞り出す声でそう告げる。
それでも彼は、振り返ってしまった。
闇の中で、赤い女がじりじりと近づいてくる。
濡れた髪が床を這い、指先は異様に長く、先端から黒い液体が滴っていた。
「……な、なんだあれは……」
中村の声が震える。
彼の目には、私がこの化け物と同じ世界の存在に見えているのかもしれない。
扉の横に、古びた鉄板が埋め込まれていた。
そこには、錆びた文字でこう刻まれている。
『ここを通る者は、ひとつを捨てよ。記憶か、血か。』
「……記憶か、血……?」
中村が呟くと同時に、赤い女が一歩踏み出す。
その瞬間、空気が重くなり、耳鳴りが響く。
「早く決めろ! あれが来る!」
私の叫びに、中村は苦悩の表情を浮かべる。
「記憶を……捨てたら……何を忘れるんだ?」
「たぶん……大事な人か、大事なことを――」
言い終える前に、赤い女が扉の前まで迫った。
その瞳は私と中村、両方を見据えている。
『どちらを捨てる……?』
耳元で囁かれた気がした。
中村の拳が震える。
次の瞬間、彼は――。