第17話 失われるもの
「……何を置いていけっていうんだ?」
私が問い返すと、老人はゆっくりと立ち上がり、机の引き出しから小さな古びた箱を取り出した。
蓋の中央には、くすんだ金属の鍵穴がはまっている。
「この箱は、“記憶”をしまうためのものだ」
その言葉に、中村が小さく息を呑む。
老人は淡々と続けた。
「ここから生きて出たいなら、大事な記憶を一つ、閉じ込めてもらう。
形ある物は意味がない。心から失うことでしか、あの女は見逃さない」
「そんなこと……」
反射的に否定しかけたが、背後の壁越しに、あのぴちゃりと湿った足音が再び近づいてくるのが聞こえた。
この扉が破られるのも時間の問題かもしれない。
「俺がやる」
中村の声が、低く、決意を帯びて響いた。
「やめろ! 何が消えるかわからないんだぞ」
私の制止を振り切り、中村は箱の前に立つ。
老人が金属の鍵を回すと、箱の中は闇のように深く、底が見えなかった。
「差し出す記憶を心に強く思い浮かべろ」
老人の言葉に、中村は目を閉じる。
その表情は、どこか寂しげで、そしてほんの少しだけ安堵しているように見えた。
――カチリ。
箱が音を立てた瞬間、中村の肩が大きく震えた。
目を開けた彼は、私を見つめて首を傾げる。
「……お前、誰だ?」
その言葉に、血の気が引いた。
彼の瞳から、私の存在だけがきれいに消えていた。