第13話 屋上の水
「……あの時は、冗談だと思ったんだよ」
中村はメモを握りしめたまま、顔をしかめた。
「元同僚の山崎がさ、やめる直前にこの紙を俺に渡してきたんだ。『もしお前があのビルに行くなら絶対に持ってけ』って」
山崎――介護現場で一緒だった男。夜勤明けでも冗談を飛ばす明るい性格だったが、その時ばかりは、やけに真剣な目をしていた。
回想の中で、中村は休憩室に座っている山崎の姿を思い出す。
コーヒーの湯気の向こう、声を潜めて話す彼の言葉が甦る。
「俺、あのビルで見たんだよ。屋上の貯水槽の水面に……女の顔が映ってた」
「ふざけんなよ」
「笑ってるんじゃない。あれは、生きた人間じゃない。目が、赤く光ってたんだ」
山崎はそのあと、一度も夜勤のシフトに入らなかった。
数週間後、彼は突然退職し、音信不通になった。
――あのビルは、十数年前、火事で数人が亡くなった事故現場だった。
特に屋上の貯水槽は、消火活動の水が溜まり、事故後もしばらく放置されていたという。
火事で逃げ遅れた女性職員が最後に目撃された場所も、その屋上だった。
中村の話を聞きながら、背筋に冷たいものが走る。
その時、上の階から“ぴちゃ…ぴちゃ…”という音が再び聞こえてきた。
……降りてくる。