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キラキラ

「あの…、えっと。今のは……」



なにか言い訳を考えたけれど、なにも浮かんでこない。



…終わった。



なんだか魂が抜けたみたいになってしまって、スマホを握る手に力が入らなくなった。


しかし、だらんと下ろそうとした私の手をスマホごとゆめちゃんが握りしめた。



「いっ…今のって、もしかして武蔵(ムサシ)のボイス!?!?」



ゆめちゃんは目を見開け、鼻息を荒くする。


そんなゆめちゃんに、引かれるはずだった私が逆にちょっと引いてしまうくらい。



「『恋鳴(こいな)く』の武蔵だよね!?…しかも、寝起きささやきバージョン!?あれってレアボイスじゃなかったっけ!?」



おっとりとしているはずのゆめちゃんが大興奮して私に迫ってくる。



ゆめちゃんの言う『恋鳴く』とは、私のハマっている『恋姫(こいひめ)は甘い夜に鳴く』というタイトルの乙女ゲームの略称。


戦国時代にタイムスリップした主人公が、そこでイケメン武将や剣豪たちと恋に落ちるというストーリーだ。



私はその中のキャラ、宮本(みやもと)武蔵が一番の推し。


赤髪をひとつにくくったビジュアルが最高すぎる。



武蔵とのシークレットイベントやボイスを手に入れるために、これまでいくら課金したことか…。



でもけっこう過激な甘いシーンが多くて、このアプリゲームをしていることは決して堂々と口に出して言えることではない。


そもそも『恋鳴く』を知っている人のほうが少ないだろう。



『恋鳴く』という乙女ゲームを認知しているだけでも希少なのに、アラーム音だけで武蔵と言い当て、しかもそれが寝起きささやきバージョンのレアボイスと判別できるなんて。


もしかして、ゆめちゃんって――。



「わたしも『恋鳴く』のヘビーユーザーだよ!」


「…ゆめちゃんが!?」



驚いた。


現実の男性とは縁のない私がどっぷりとハマるのはよくあるパターンだけど、リアルで恋愛経験が豊富そうなゆめちゃんが…『恋鳴く』を?



「ちなみにわたしの推しは、小次郎(コジロウ)!武蔵もいいんだけどね〜、わたしは青髪の小次郎派かな!」



ゆめちゃんの言う『小次郎』とは、『佐々木(ささき)小次郎』のこと。


クールな感じの武蔵とは逆で、青髪のかわいい顔したビジュアルだ。



〈姫、起きてよ。じゃないと、ボクにキスされたって文句は言えないよ?〉



ゆめちゃんがスマホから小次郎ボイスを流してくれたけど、甘い声が特徴的。



「『恋鳴く』ユーザーに出会ったのなんて初めてだよ!しかも、それがりっちゃんだなんて!」


「…私もびっくりしてる。でも…うれしい」



大好きな乙女ゲームを語り合える仲間がいたなんて。


居場所を見つけたような気がした。




そうして、2週間後。



「お邪魔します」


「『お邪魔します』じゃないよ。ここはもうりっちゃんの家でもあるんだから」


「そっか、そうだよね。じゃあ、ただいま」


「おかえり、りっちゃん」



住んでいたマンションの退去の手続きと引っ越しの準備を整えて、私はゆめちゃんの部屋でルームシェアをすることになった。


もちろん、きなこもいっしょ。



女2人と猫1匹。


自由気ままな生活がスタートする。



* * *



ゆめちゃんとの共同生活で驚いたこと。


それは、実は私よりもズボラ女子だったといこと。



服は脱ぎっぱなしだったり、ひと口分だけ残っているペットボトルや空き缶が置いてあったり。


洗い物や洗濯など、生きていく上で最低限のことはやっているけど、あとはテキトー。



料理に関しては、邪魔くさくて毎食冷食やインスタントで済ませてまうため、そもそも料理はやらないらしい。


トライアルでお泊りした日、つまみにできるものはないかと冷蔵庫を覗いたけど、まったく食材がないとは思っていた。



女子高いゆめちゃんなら、彼氏に手作りご飯とはお弁当とか作っていそうだけど、これまでの人生に置いてそんなことは一切やったことがないのだとか。


…意外すぎる。



私ですら料理はやるほうではないけど、酒のつまみなら作れるというのに。



ただ、ゆめちゃんはインスタントやレトルト食品のアレンジに長けていた。



どこにでも売っているような袋麺をそのままラーメンとして食べるのではなく、生クリームと卵を使ってカルボナーラにしたり。


中途半端に余った冷凍チャーハンの上にソースとチーズを乗せてアツアツドリアにしたり。


カップスープの粉末にホットケーキミックスと牛乳を加えて、朝食用のパンを作ったり。



毎食インスタントだからこそ、飽きがこない料理法を知っていた。



基本は外食やデリバリーで、たまに私が酒のつまみを作ったり、ゆめちゃんがアレンジレシピを披露する。



お互いが嫌いな料理の分担をするわけでもないし、部屋はちょっと散らかってても許容範囲内。


そんな生活スタイルが意外にも2人とも合っていた。



休日は、夜遅くまでお酒を飲みながら『恋鳴く』を語り合う。



「このイベントがどうしても発生しないんだよね〜。課金しないとダメかな」


「りっちゃん、なんでも課金したらいいってものじゃないよ。地道にコツコツしてたら、意外イベント発生条件をクリアしてたりするんだから」


「え〜、それにかける時間が無駄なような。それなら時は金なりじゃない?」


「さっすか、バリキャリで稼いでる人は言うこと違うわ〜」


「なにそれ〜、バカにしてる?」


「まさかっ〜。褒めてるだよ」



そんなバカ騒ぎする私たちをきなこはキャットウォークの上から冷ややかに見つめているのだった。



プライベートでは、初となる『恋鳴く』のイベントにゆめちゃんと参加した。


私1人じゃ絶対に参加しなかっただろうけど、ゆめちゃんといっしょなら行くことができた。



ゆめちゃんは、サボ子と呼ばれるツンケンした私とは真逆の人物――。


そう思っていたけれど、こんなにも共通点があるとわかってとってもうれしかった。



それに私の人生、今が一番キラキラしてる。




そんな休日のある日――。



ゆめちゃんは今日はネイルとマツエクに出かけていて、昼過ぎまで帰ってこない予定。


だから、部屋で1人で私がゴロゴロしているとインターホンが鳴った。



今ちょうどインターホンが故障していて、呼び出し音は聞こえるけど、モニターにはなにも映らなくなってしまっている。


だから、直接ドアを開けてたしかめるしかないのだ。



そういえば、一昨日の夜遅くにネットショッピングを利用した。


それが届いたのかもしれない。



「は〜い」



私は上機嫌で玄関のドアを開けた。


すると、そこに立っていた人たちを見て私は目が点になった。



少し白髪の混じる小柄な年配の男性と女性。


2人は私のことを見てひどく驚いている。



「あ、あの…」


「…どちらさまですか?」



私が尋ねるよりも早く女性が不審そうな目で私を見てきた。


訪ねてこられた人に『どちらさまですか?』と問われても、この部屋の住人なんですけど…。



「私は、ここに住んでる者ですが…」


「この部屋に?」



女性は目を丸くして驚いている。


すると、隣にいた年配の男性が女性の腕を肘で小突く。



「…部屋、間違えたんじゃないのか?」


「そんなことないですよ!これまて何度かきたことがあるんですから」


「だったら、知らない人が出てくるはずないだろう」


「そうとは言ったって、ゆめからは引っ越したもなにも聞かされていないですし…」



…“ゆめ”?



「もしかして、小花ゆめちゃんのご両親ですか?」


「え…ええ、そうですけど」


「でしたら、ゆめさんの部屋はここです」



訪ねてきたのがゆめちゃんのご両親だとわかって、私はドアを全開にした。



「ありがとう。それにしても…あなたは?」


「申し遅れました、私は葉加瀬律子と申します。ゆめさんとは高校時代の同級生で、今はこの部屋でルームシェアしていっしょに暮らしています」


「…ルームシェア?」



首を傾げるゆめちゃんのお母さん。


ゆめちゃん、ご両親に私といっしょに暮らしていることは話してなかったのかな。



「どうぞお上がりください。ゆめさん、もう少ししたら帰ってこられると思いますので」



そうして、私はゆめちゃんのご両親を部屋の中へと招き入れた。



「ニャ〜」



玄関に行った私が戻ってきたと思って歩み寄ってきたきなこだけど、すぐにその後ろに知らない人たちがいるとわかって部屋の隅に逃げてしまった。



「ごめんなさいね。突然押しかけるようなかたちになってしまって」


「いえ、お気遣いなさらないでください。今お茶淹れますので、どうぞこちらにおかけください」



ゆめちゃんのご両親をダイニングテーブルへ案内する。


たまたま昨日気まぐれでリビングの掃除をしておいてよかった〜…。



キッチンに行き、ケトルでお湯を沸かしている間にゆめちゃんに連絡しようとスマホを手に取った。



すると、突然スマホの着信音が鳴り響く。


ゆめちゃんからの着信だった。



「ちょ…ちょっと失礼します」



ご両親に断りを入れ、私は廊下へと出る。



「もしもしゆめちゃん?今、ちょうどご両親がきてて――」


〈…そうみたいだね。お母さんかメッセージ入ってたんだけど、今気づいた〉



どうやら、両親からのメッセージは通知オフにしているらしく気づくのに遅れたとのこと。



「今からお茶出すところなんだけど、ゆめちゃんそろそろ帰ってくる頃だよね?だったら、しばらくいてもらおうかと――」


〈ううん、2人がいるなら帰らない〉


「…え?」


〈りっちゃん悪いんだけど、適当な用事つけて2人を帰らせておいてくれない?〉


「で、でも…」


〈ごめん!お願いね…!〉


「あっ、ゆめちゃん待っ――」



まだ話の途中だというのに、ゆめちゃんは一方的に電話を切った。


これは、本当にご両親が帰るまでは帰ってこなさそうだ。



「すみません、今ちょうどゆめさんからの電話だったんですが…」



ゆめちゃんを訪ねて、わざわざやってきてくれたご両親に嘘をつくのは心苦しいけど――。



「ゆめさん、用事が長引いてるようで、帰るのが遅くなるみたいなんです」


「…あら、そうなの。何時頃に帰ってきそうなのかしら?」


「はっきりとした時間までは聞いていないのでわからないですが、もしかしたら夕食もいらないかもと…」



そんなことはなにも言われていないけど、そう言っておかないと『それなら帰るしかないわね』という雰囲気にならなさそうだったから。


…ごめんなさい。



「そんなに帰りが遅いなら、ここにずっとお邪魔するわけにもいかないな」


「そうね…」



私の適当な嘘で、思っていた通りの展開になった。



「せめてお茶だけでも…!せっかくきてくださったんですから」



それが私のせめてもの償いだ。


すでに沸いていたケトルのお湯をお茶っ葉の入っている急須に注ぐ。



ご両親にお茶を出して、私もその向かいに座る。



「律子さん…でしたっけ?ありがとうございます」


「いえ、これくらいしかお構いできなくてすみません」


「今日は主人とお芝居を観にこっちまできたんだけど、せっかくだからゆめの顔を見に行こうかって話になって」


「そうだったんですね」



ゆめちゃんのことを気遣うやさしそうなご両親。


でもたしかゆめちゃんは両親からのメッセージは通知オフにしていると言っていた。



そんなに仲が悪そうな感じでもないけど…。



「そういえば、まだ律子さんに謝っていなかったわね。初対面であんな失礼な言い方をしてしまってごめんなさいね」


「と、とんでもないです!ルームシェアのことをお聞きでなかったら、突然知らない女が出てきたらそりゃ驚かれますよね」


「そうなのよ。ゆめからは、結婚を前提にお付き合いしている方と同棲することになったと聞いてたから」


「…結婚を前提で?」



私とゆめちゃんがルームシェアを始めてもうすぐ半年。


だけど、今の女2人生活が楽しすぎて、わたしたちは彼氏を作る気なんて更々なかった。



ゆみちゃんのご両親から話を聞くには、ルームシェア相手が出ていったとなって、本来なら実家に帰る予定になっていたんだそう。



それは前にゆめちゃんから聞いていた。


きなこをちょうど引き取る頃だったから。



しかも、田舎に帰ったらお見合いをすることにもなっていたのだとか。



だけど、結婚を前提に付き合っている人と同棲するこもになったから実家には帰らないと連絡があったんだそう。



その話を聞いて、私は悟った。


ゆみちゃん、実家に帰りたくないがためにご両親に嘘をついているのだと。



「律子さんは、ここで暮らしてどれくらいになるのかしら?」


「えっと、半年ほど…ですかね」


「そう。あの子からなにか、お相手のこととか聞いてない?あれからまったく音沙汰なくて」


「ど、どうでしょう?あまりそういう話はしないので…」


「…そう」



ゆみちゃんのお母さんは寂しそうに視線を落とす。



…いっしょだ、私の母と。


ゆめちゃんのお母さんも早くゆめちゃんに結婚してほしいんだ。



でも、当のゆめちゃんはそんなことはどうでもよくて。


おそらく、会えば結婚の話になるからなるべく会いたくないし、だからメッセージも通知オフにしているのだろう。



「律子さん」


「は、はいっ」


「こんなことお願いするのは大変不躾なのだけれど、この部屋…出ていってもらえないかしら?」



……えっ…。



「こら、急になにを言い出すんだっ。失礼じゃないか」


「失礼なのは承知の上よ…!でもきっとあの子、律子さんに甘えてるんでしょう?お相手の方と将来を見越しての同棲ならまだしも…」



正直、ゆめちゃんのお母さんが言いたいことは痛いくらいにわかった。


そして、その思いもひしひしと伝わってくる。



30手前のいい歳した女が友達同士でワイワイ気楽なルームシェアなんかより、決まった相手と結婚に向けての同棲を娘にはしてもらいたいのだ。



「そうですよね。いつまでも学生気分のままじゃいられませんよね」



そう言って、私はご両親に笑顔を見せた。



そのあと、お茶を飲み干したゆめちゃんの両親は帰っていった。


私はゆめちゃんが帰ってくるまでの間、これまでのことやこれからのことについて考えていた。



私の場合は、妹の出産予定日も近づいてきて、今の母は私そっちのけで妹ばかりを優先している。


これで孫が生まれたら、さらに私はいい意味で放置されることだろう。



しかし、ゆめちゃんは違う。


一人っ子らしいし、ゆめちゃんの花嫁姿とか孫の顔とか、きっとご両親は今か今かと待ち望んでいることだろう。



ゆめちゃんはそれが嫌で彼氏がいると嘘をついているみたいだけど。



ゆめちゃんとの暮らしは楽しい。


きなこも交えてのんびりまったりして、時には推し活に燃えたり、晩酌でバカ騒ぎして。



でも、本当にこのままでいいのだろうか。


私とのルームシェアが、ゆめちゃんの将来の可能性を潰しているのではないだろうか。




「ただいま〜」



その日の夕食の時間くらいにゆめちゃんが帰ってきた。


ネイルとマツエクを終わらせて、まだ家にいるかもしれない両親を避けるために無駄に映画を観て時間を潰していたらしい。



いつものようにゆめちゃんとテレビを見ながら夕食を食べる。


交代でお風呂に入って、お互いに寝る前の準備が整ったら恒例の“アレ”だ。



「りっちゃんは今日なに飲む〜?」



冷蔵庫を開けて、中からクラフトビールを取り出すゆめちゃん。


“アレ”とは、いつもの晩酌。



「ごめん。今日は私、軽めのやつでいいや」


「そういえば、明日から出張だっけ?」


「うん。朝早いから」



私はアルコール度数3%の缶チューハイを手に取った。



「「カンパイ」」



ゆめちゃんとの乾杯も、もう何度目だろうか。


もしかしたら、これが今日で最後の乾杯かもしれない。



私はそう思いながら、チューハイをひと口飲んだ。



――というのも。



「ゆめちゃん。私、この部屋出ていこうと思うの」



ゆめちゃんのご両親の話を聞いて、私は答えを出した。


私がよくても、ゆめちゃんにも私と同じ暮らしを押し付けてはダメだと。



「…えっ、出ていく?…冗談だよね?」



もちろんゆめちゃんは口をぽかんと開けて私のことを見てくる。



「残念だけど、冗談じゃないよ」


「…どうして!?きなこと3人で楽しくやってきたじゃない。どこか不満なところでもあった…!?あるなら言ってよ…!」



そんなの…ないよ。


毎日が満足で満たされてたんだから。



「もしかして…、うちの親になにか言われた!?そうでしょ!?」


「違うよ。少し前から考えてたことだから」



…うそ。


本当は今日思い立ったばかり。



そのあとのゆめちゃんとの話は平行線をたどる一方で――。



「ごめん。もう私寝るね」



明日の出張を言い訳に、私が逃げるようにしてその場を去った。


結局、最後の乾杯のお酒はひと口しか飲めなかった。




次の日。


私は、まだゆめちゃんもきなこも眠っている朝の5時に部屋を出た。



今回の出張先は、珍しく久々の海外。


アメリカのニューヨークだ。



10日分の荷物を詰めた大きなキャリーバッグを持って、私は空港へと向かった。



出張の間、ゆめちゃんとは一切連絡を取らなかった。


毎日、なんだかんだと連絡を取り合っていたから、ルームシェアしてからは初めてのこと。



初めの2日間は、もっとちゃんとゆめちゃんと話し合ったほうがよかったのではと、あのとき一方的に話を終わらせた自分に後悔した。



そして4日目ともなると、一度ゆめちゃんに連絡してみようかなとスマホを持つけど、やっぱりなんて連絡したらいいのかわからなくての繰り返しで結局連絡できず。


それに時差もあるから、寝ている時間に連絡してもな…という変な理由をつけていた。



そして、6日目。


ようやく決心がついてゆめちゃんに連絡しようと思った矢先、――スマホが水没した。



しかも、自分用と社用の2台とも。


典型的なトイレに落としてしまうパターン。



同行していた同僚のおかげで、社用スマホが使えなくなって不便だけれど社内間の連絡のやり取りはできた。


しかし、自分用のスマホはどうにもならない。



私はゆめちゃんとの一切の連絡手段を失くし、残りの出張期間を過ごしていた。



ニューヨーク出張最後の夜。


夕食に、ホテルで日本から持ってきていたカップラーメンを食べていた。



おいしいのだけれど、…なにかが物足りない。


普通すぎるというか、なんというか。



こういうとき、ゆめちゃんなら驚きのアレンジを加えてくれるはず。


これまで何度も食べてきたカップ麺やインスタント食品を、まるで初めて食べる料理かのように魔法をかけてくれる。



ゆめちゃんなら――。



そのとき、私の頰をなにかが伝った。


慌てて鏡を見ると、私の瞳には大粒の涙が溜まっていた。



――私、泣いてる。


ゆめちゃんとの暮らしを思い出して…泣いてる。



『私、この部屋出ていこうと思うの』



なにバカなことを言ってしまったのだろう。


ゆめちゃんときなことの暮らしをずっと続けたいと一番に思っているのは、私なのに。



* * *



「やっと帰ってきましたね!オレ、初の海外出張で疲れました〜」



帰国して、ぐーんと腕を伸ばす後輩。



「もう昼過ぎっすけど、先輩そのへんでメシ食ってから帰りませんか?」



後輩は前方のほうに見えるレストラン街を指さす。


しかし、私は首を横に振る。



「ごめん。今すぐ帰らないといけないんだよね」



私は後輩に謝ると、急いで空港を出てタクシーを捕まえた。



私には帰るべき場所がある。


そう気づかされたから。




「…ただいま!」



ドアを開け、玄関にキャリーバッグを放置し、蹴飛ばすように靴を脱ぎ捨てると私はリビングへ向かった。



一番に目についたのは、突然の私の帰宅に目を丸くして驚くきなこの姿。


そして、そのすぐそばのソファから、きなこ同様にまん丸にした目を私に向ける――ゆめちゃん。



「りっちゃん…。帰って…きたの?」



ゆめちゃんは声を漏らす。



あんなふうにケンカ別れのように出ていったくせに、どの面下げて帰ってきたのだと言いたいのだろう。


自分でもそう思う。



「…ごめんなさい、ゆめちゃん!私、この部屋を出ていくとか言ってたけど…。やっぱりあの言葉…、撤回してもいいかな」



私は頭を下げる。



できることなら、もう一度ここでゆめちゃんとの暮らしたい。


だけど、ゆめちゃんの返事次第では…覚悟もできている。



唇を噛みしめながら、ゆめちゃんからの返事を待っていた。



すると――。



「そんなの、いいに決まってるじゃん…!」



そんな言葉が聞こえて、はっとして顔を上げた私をゆめちゃんが抱きしめた。



「もう…、りっちゃん帰ってこないかと思った」


「そ、それはさすがに帰ってくるよ」


「だって、まったく連絡取れないし…!完全に拒否られてると思ったから」



それを聞いて、「あっ」と声が漏れた。



「ごめん。実は、出張中にスマホが水没して…御臨終なんだよね」



そのせいでゆめちゃんに連絡できなかったけど、ゆめちゃんも私に連絡をくれようとしていたんだ。



そのあと、改めて2人で話し合った。



「うちの両親から聞いたよ。りっちゃんに部屋を出ていくように言ったんだよね」


「あ…、それは……」



ゆめちゃんはすべてご両親から聞いていた。


それも踏まえて、ずっと親子間で曖昧にしていた結婚や今後についてもすべて腹を割って話したんだそう。



「結婚は、わたしがしたいと思ったときに、そこにちょうどパートナーが現れたら真剣に考えるってちゃんと伝えたよ。だから、今は自分が好きなことを貫きたいって」


「それで、…納得してもらえたの?」


「渋々っかな?でも、ずっと逃げてたことに真正面から向き合えたと思ってる」



そう言って、ゆめちゃんは笑った。


その表情は今まで見てきた中で一番清々しい。



「私、…お節介だったよね。ゆめちゃんは私みたいなおひとり様と違って、もっとキラキラした将来があるじゃないかと思って、ゆめちゃんから離れるようなことして」


「ほんとそれだよ。しかも言っておくけど、わたし今が一番キラキラしてると思うんだけど?」



たしかに言われてみれば、好きなことしかしていない今のゆめちゃん、とってもキラキラしてる。



「そんなわたしを最高にキラキラさせてくれてるのは、気が合って同じ趣味のりっちゃんがいてくれるからこそ」


「…ゆめちゃん」


「だから、これからもいっしょにいようよ。ねっ、りっちゃん」



ゆめちゃんがニッと白い歯を見せて笑う。


その顔を見たら、私も自然と同じように歯を見せてうなずいていた。



「おかえり、りっちゃん」


「ただいま、ゆめちゃん」



グゥ~…



そのとき、情けない音が響き渡る。


私のお腹の音だ。



「もしかして、りっちゃんお昼まだなの?」


「…うん。ゆめちゃんのアレンジ料理が無性に食べたくなって、一目散に帰ってきた」


「ええっ、あんな料理が?」


「そんな料理がいいんだよ。だからさ、…今から作ってくれたりする?」



それを聞いて、驚きながらもクスッと笑うゆめちゃん。



「喜んで」



目に涙を浮かべながら微笑み合う私たちを、きなこは静かにキャットウォークから見下ろしていた。




ツンケンとした言動がまるでサボテンのような私、葉加瀬律子。


つい目を惹かれる美しいユリのようなモテ女子、小花ゆめ。



真逆の私たちが絶対に交わることなどないと思っていた高校時代。


しかし、ひょんなことからアラサーで再会し、すべてをさらけ出し気心許せるシェアメイトに。



今日も、部屋にはほろ酔い気分の私たちの笑い声が響く。




Fin.

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