エピソード1:デッド・ハイツの日常 / 3
そして、時間は真夏へと戻る。大学に行く前、和茶は既に大汗をかきながら、上の階の生首青年──咲田 山本の元を訪ねた。和茶の手には、大学の文芸部が出している、同人誌の類があった。咲田は文学を愛している。しかし、なかなか、図書館の本以外を読む機会が無いことを嘆いている。大学の同人誌はそんな咲田への差し入れだった。
和茶はすっかり、生首である咲田に慣れていた。その適応能力には、和茶自身も驚いてしまった。慣れるしかなかった、とも言えるのだが。デッド・ハイツとの契約解除料は100万円。嶺想寺は良心的な大家だが、そこだけは負けてくれなかった。そんな和茶を憐れんでくれる、デッド・ハイツの住人の1人。それが、咲田だった。
「咲田さーん、一階の飯山でーす」
「あぁ、和茶君か。ちょっと待ってね」
重たい金属音、咲田が心霊パワーで扉を開ける。この現象の不思議さには慣れない和茶だったが、そんな時は心の中で唱える。100万円。100万円。100万円。大抵のことはこの「100万円」で乗り切れる自信がある和茶だったが、今日は違った。扉向こうから現れた咲田の口元が、赤く染まっていたのだ。和茶は目眩を起こした。
血、血は駄目だ。反則だ。それに気付いた咲田が、玄関の暖簾で慌てて口元を拭いた。このままでは、和茶はいつかのように嶺想寺の膝の世話になってしまう。
「和茶君!落ち着いてくれ、僕のこの赤いものは苺シロップだ!かき氷を食べていたんだよ!」
「……咲田さん、お酒しか受け付けないんじゃなかったでしたっけ」
「苺シロップにアルコールを足したんだ、頭がいいだろう?」
まだクラクラする頭を振って、和茶は咲田の部屋の玄関先に同人誌の類を置いて、言った。ガチな真夏のホラーはやめてください、と。咲田は、今後は気を付けるから許してくれないか、と苦笑いをしている。と、そんなやり取りをしているうちに大学に遅れそうだ、ということに気付いた和茶は、ダッシュでアパートの階段を駆け降りた。
汗が吹き出す。大学までこのままダッシュだ。今日は大学から帰ったら、嶺想寺とある「約束」をしているので、寄り道が出来ない日だった。アイスでも食べて涼んで帰りたいところだったのだが、それは嶺想寺が叶えてくれそうなので、よしとする。こんな「非日常」が、デッド・ハイツの「日常」だった。