香山さんと高一の夏6
金曜の小雨は当たり前だけど跡形もなく、今はすっかりと青空だ。
週明けの月曜日、一学期最後のホームルームも終わって教室はいつもより更にがやがやしている。
遠目に友人たちとはしゃぐ香山さんも見えた。
「ねえ、灯さま、今日早く帰れるしどっか寄ってこうよ。」
灯さまは私のあだ名みたいなもので、私がなまじ成績が良いのでそんな変なあだ名になったのだと思う。
そして、前の席から振り返って私に話しかけているのは長谷川さんだ。
彼女はクラスでの友人枠で、教室で日頃話しかけてくる唯一の人といっていいと思う。
「今日は先約?があるから無理。」
「そんなー、期末終わったら遊んでくれるって言ってたのに。もう終業式じゃん。」
「まあ、夏休みにメッセージ送るから。」
「灯さま既読遅いし、絶対忘れるでしょ。」
「うーん、頑張る。」
「私も暇な時メッセ送るから。」
「うん、期待しとく。」
「適当ばっか言うから信用できないんだよなー」
長谷川さんは良い人だ。
優しいし、過干渉してこないし。
断っても嫌な顔せずに、また次も誘ってくれるし。
誘われるのもちょっと面倒だし、声かけられないのもちょっと寂しい。
こういうのは我が儘だって思うけど、簡単にやめられるものでもない。
私は良い人じゃなくて都合のいい人を求めてる、のだと思う。
小中とそうだったし今もそうだ。
教室でちょっと雑談して、体育とかで迷わずその人と組んで、でも休みまでは一緒にわざわざ過ごさないような、そんな人を求めてる。
自分から関係を維持しようとしないから、ちょっと環境が変わるとすぐ関係がリセットされる。
クラス替えの度、今までどのくらいの人間関係を消滅させてきたか分からない。
しかも元友人なんて、なんとなく気まずくて今更会えないし会うつもりも全くない。
だからリセットよりも酷いかもしれないし、確実に人間関係の収支はマイナスだろう。
でも、教室で過ごすために組み立てた関係を組み替えてまで私と一緒にいたい、私が一緒にいたいと思うような相手に、ほとんど出会ったことはない。
強いて、いまでも心残りのある人を選ぶとすれば、小六のときのあの子だろうか。
色白でひょろっと背の高いあの子のことを、私はちゃんと好きだった。
教室の話相手としてじゃなくて、その子自身に興味があって、その子の家に行くのが楽しみで。
その子の部屋の掛け布団に座って全然興味のなかった漫画を読むのも、その子の幼稚園の卒業アルバムを見るのも、内容なんて全く思い出せないおしゃべりだって、全部楽しかったって今でも分かる。
でも中学であっさり疎遠になった。
もし三年の内の一つでも同じクラスになっていたら、中学はきっともっと楽しかった。
でもそうはならなかった。
私は何か交友関係を続ける努力なり働きかけなりをするべきだった。
同じ部活に誘うだとか、その子のクラスに遊びに行くだとか。
でも、彼女にどこか甘えていて、きっと彼女の方からそうしてくれるだろし、そうでないならそれまでの関係なんだって、すかしたような思いがきっとあった。
教室で話す相手ができて、勉強に力を入れ出すと、そんな思いまで忘れていったけれど。
私はちゃんと好きだった相手を、人並みの執着心も持てずに忘れてしまう。
そう思うと、ちょっと自分にがっかりする半面、ほんの少し気が軽くなる。
他人と何かあったとしても、私の中ではきっと全て無かったことになるだろうから。
他人のことが他人事になった。
自分のやりたいことだけすれば、それで全部完結するようになった。
良いことだと思う。無駄もないし。
だから本棚の隅で、趣味ではない薄っすら埃の積もった漫画本を見るたびに、私はその子とのことを思い出すのではなく、その子に感謝すべきなのだろう。
同じ人とずっと一緒には、私は多分いられない。
誰かと何かあったとしても、会わなくなればきっとすぐに忘れてしまう。
だから、人のために何かしても、あんまり意味はないように思う。
でも、たった今関りのある二人にはちょっと違うことをしても良いとも思わないわけではない。
そのうちの一人に目を向ける。
私が単語帳に目を落として黙りこくっていたから、彼女は携帯を弄っている。
「ねえ、長谷川さん、」
「うーん、何?」
「夏休み、どっか遊び行こ。長谷川さんの行きたいとこでいいから。」
「え、いいの。じゃあ、新作の映画、一緒に行きたい。」
だめかな?といった風の彼女に良いよって返す。
「灯さま、大好き!」
笑顔を向けてくる彼女に、笑顔を返す。
長谷川さんはクラスが変わった後、いつまで私の友人と言えるのだろう。
そんなことが、ちょっと気に掛かった。