香山さんと高一の夏4
部活のある金曜を以外、香山さんは毎日現れた。
流石に土日は来なかったけれど、週をまたいだ今日、月曜になっても当然のようにここにいる。
例のコンビニ袋が無造作に置かれていた。
香山さんが教室であっさりと分かれたお友達さん方と普段何をしていて、何を話しているのか全く気にならないと言えば噓になる。
でも気になると言っても嘘になる、気がする。
彼女について知らないことは多い。
でも、きっと知らなくていいことだとも思う。
初めて来たときは、たはーっと所在なさげにしていた彼女の顔は、今は、にーっと若干ふてぶてしいものに変わっている。
いずれにしても見ていてあんまり気分のいいものじゃないけれど。
そんな彼女にアイスコーヒーを差し出す。
日増しに暑くなっているし、彼女がベタベタひっついてきて上がった体感温度には丁度いいだろうし。
私がほんの少し難色を示したからだろうか。
勉強前の雑談は無くなって、彼女も黙って数学と格闘している。
こういう空気読みみたいなものは、彼女が人と人との間で真っ当に生きていたことを感じさせる。
複数人のネットワークの中でちゃんと人間をやってきたというような。
不器用な私は基本一対一の人間関係しかもたない。
クラスに一人の友人、そして放課後は今のところ香山さん一人。
気を使わなくて済みそうな人を見繕って場面場面に応じて充てているような、自分の不誠実さはそんなに好きじゃない。
そういう意味では、彼女の人当たりの良い誠実さと器用さはちょっとうらやましい。
どうでもいいことに逸れていた思考が香山さんで引き戻された。
すーっと近づいてきた彼女の肩と二の腕が私に当たる。
「あのさ、」
ぽっしょっとした彼女の声が耳に入る。
「はいはい」
と答えて、ここなんだけどさ、と香山さんが細くて白い指で問題集の一角をトントンと叩く。
それはね、と私も大分馴染んだ解説役に徹する。
彼女はコンビニに寄るために私より長く歩いているはずなのに汗を感じさせない。不思議だ。
彼女はベタベタひっついてくるのに、時折触れる髪も手もサラサラしていて、重みもほとんど感じない。
彼女からは柔軟剤かシャンプーか分からいけれど、優しくてちょっと甘い匂いがする。
そして化粧品の臭いがしない。
だいぶ意外だった。
校則的にはしないのが当たり前だけど、同じ状況の中学ではそうでは無かった記憶がある。
私が香山さん達をなんとなく敬遠していた要素が一つ、ひっそりと消えていた。
わざわざ化粧していた時よりも綺麗に感じる。
好ましく感じるから綺麗に思うのか、綺麗だから好ましく感じるのか。
結構、人のいい加減なところだと思う。
こんなことを考えていたら、まるで私が香山の顔を好ましく感じているみたいだけど。
芸術作品の女性を見て綺麗だと思っても、好きだとは思わない。
それと一緒だろう。
「灯野さんは夏休み予定ある?」
香山さんに話しかけられてどうでもいい思考を止める。
「特には。」
「友達と遊び行ったりどっか行ったりしないの?」
「ないんじゃない、多分。」
「長谷川さんだっけ?どっか出かけたりしないん?」
長谷川さんは私のクラスの友人だ。
香山さんはよく色々なひとのこと覚えていられるな。
私は香山さんの友達の一人でも名前と顔が一致するだろうか。結構怪しい。
「なんでそんなこと気になるの?別にないよ。」
「へぇー、そうなんだ。」
たはーっとした笑みを向けてくる。
「香山さんはなんか予定ある?」
「私はねー、もしかしたら友達?と予定できるかも。」
にーっとした笑みに変わった顔がこっちを向く。
並んで座っているので、こっちを向く体勢がちょっときつそうで、こっちまでちょっと笑ってしまう。
香山さんが楽しんでいるならそれで良いと思う。
香山さんはこの一週間、ちょっとした気まぐれでうちに来ているだけで、直ぐにまた友人との生活に戻っていくだろう。
そもそもそれは、私が良いと思おうがどうだろうが当然のことだ。
でも、それをちらっとでも寂しいと感じるのは、私にも多少なりとも人の情があるから。
それは多分、喜ぶべきことだ。
アイスコーヒーの氷は見る影もなく溶けていた。
夏休みはすぐそこまでやってきている。