腐った世界に咲くアメジストの花①
――僕は、この世界が何よりも嫌いだ。
物心ついた頃から、建国当時からエルタニア皇国を支え続けている八つの侯爵家……『八家』のうちの一つ、シドニア侯爵家の後継者として、僕はただひたすら英才教育を叩きこまれてきた。
学問、礼儀作法、そして貴族としての……いや、シドニア家としての心構えを。
その甲斐もあって僕が八歳の頃には、まごうことなきシドニア家の長男に相応しい知識と教養を身に着けていた。
何より。
「君のような者が、馴れ馴れしく話し掛けないでくれるかな?」
「あ……」
皇国内の貴族が一堂に会す皇室主催の新年を祝う晩餐会で、少し顔を上気させながら声を掛けてきた一人の貴族令嬢を、僕は冷たくあしらう。
そう……まるで皇室と『八家』の者以外は人間ではないと考えているような、そんな傲慢な屑としての態度を取っていた。
幼馴染のペトロナ……ロナ姉はそんな僕をたしなめるけど、聞く耳を持たない。
何故なら……この僕の一挙手一投足を監視する、父上と母上がいたから。
要は、ベルトラン=シドニアという男は、そのような振る舞いを常に求められ続けているのだ。
それも、実の両親から。
父曰く、『シドニア家の後継者たるもの、常に自分は特別な存在であることを自覚して振る舞え』ということらしい。
それを告げた時の父上と隣で聞いていた母上は、誇らしげな表情をしていたっけ。
僕には、それが何よりも不快で仕方なかった。
そんなシドニア侯爵家だったから居心地は最悪で、両親や二つ年下の弟である“ダビド”とも距離を取るようになり、いつしか僕は、一人だけ離れの屋敷で暮らすようになった。
とはいえ、そんな離れでの生活においても、シドニア家としての振る舞いを忘れると、使用人を通じて両親に伝わってしまう。
僕には、息を吐ける場所も時間もなかった。
「ああ……僕はどうして、シドニア家の長男なんかに生まれたんだ……っ」
そう呟き、僕はいつものように全身に爪を立てて掻きむしる。
幼い頃からずっと繰り返してきたこの行為によって、僕の全身は傷とミミズ腫れで醜い有様だった。
そして、僕が十二歳の誕生日を迎えた頃。
僕はシドニア家の長男として、立派に壊れていた。
◇
「こんな当たり前のこともできないのか! このぐずめ!」
「も、申し訳ございません!」
今日も僕は、使用人の一人に辛辣な言葉を投げつける。
たとえ傷つこうが、悲しもうが、この使用人も所詮は下級貴族。『八家』であるこのシドニアでは、人間以下の存在だ。
本当は、こんなことをしたくないのに。
でも、そんな感情とは裏腹に、僕には使用人の涙や悲痛な叫びを聞いても、何も感じなくなってしまっていた。
要は、人の痛みや苦しみ、悲しみといった、そんな当たり前の感情が分からなくなってしまったんだ。
もちろん、殴れば使用人は痛がるし、苦しいだろうし、涙も零したりする。
だが、僕はそれを客観的事実として認識しているだけで、苦しんだり悲しんだりする姿を見ても、心が動くことは一切ない。
一度、絡んできたどこかの貴族の子息に対してやり過ぎたことがあったけど、それもロナ姉に指摘され、そうなのだと認識しただけのこと。
はは……まあ、順調に壊れていて何よりだ。
そんな毎日を送っていた、十二歳のある日のこと。
タワイフ王国が宣戦布告し、これから十年にもわたる戦争が始まった。
それに伴い将軍である父上は、国境最前線にあるサン=マルケス要塞の司令官として配属されることになった。
この時の父上は、戦争に関しても最前線に送られたというのにどこか他人事で、避暑にでも赴くかのような感覚で戦争に向かう準備をしていた。
そして、いよいよサン=マルケス要塞へと向かう日の前日。
僕は父上に執務室へ呼ばれると。
「ベルトラン、チェスでも指さないか?」
「チェス、ですか……」
どうして僕を誘ったのかは分からないが、僕は父上に誘われるままに対局することになった。
父上はそこそこ強かったものの、結局は僕の圧勝だった。
「ふむう……見事だ」
「ありがとうございます」
盤面を凝視しながら唸る父上に褒められ、僕は形ばかりの言葉を返した。
こんな男の評価など、僕にとっては無価値だ。
「ハハハハハ! これでシドニア家は安泰だな!」
「はあ……」
僕の肩を叩きながら喜ぶ父上に、僕は曖昧な返事をした。
正直、何が安泰だというのかさっぱり理解できない。
むしろこんな家、破滅してしまえばいいのに。
そうして父上がサン=マルケス要塞へと向かったが、僕はいつもどおりの日々を過ごす。
所詮、戦争なんて僕にとっては他人事だし、それによって何人死のうが興味がない。
というか、戦争とチェスの違いすら分からない。
だって、所詮は駒を人間に置き換えただけなんだから。
「……で、アナもロナ姉も、なんでそんなに僕にくっつくの?」
「もちろん、ベル兄様が大好きだからですわ」
「んふー、ベルちゃんはこんなに可愛いレディー二人に言い寄られているんだから、もっと喜ぶべきだと思うよ。ほら、ボクの胸なんてこんなに成長したんだよ?」
そう言って頬ずりするアナと、グイ、と胸を押し付けるロナ姉。
正直、権威主義の両親のせいで僕の交友関係が『八家』以上に限られているせいで、幼馴染と呼べるのはこの二人しかいない。
他にも皇室や『八家』の同年代の者達はいるものの、僕は大嫌いなので仲良くする気にもならないし。
まあ、不快じゃないのがアナとロナ姉だけというのも、かなり酷い環境だと思うけど。
そんなアナやロナ姉と色々ありつつも、十五歳になった僕は貴族の義務として皇立士官学校に入学した。
というか、『八家』の当主は必然的に将軍職を兼務しなければならないので、将来は軍人確定というのもどうかと思うが、そういう決まりだから仕方がない。
それに、僕としてはあの最低な家を脱出することができて、清々していたりもする。
「……まあ、話し相手すらいないというのも、なかなか静かでいい」
同い年の『八家』の者とは会話したくないし、それ以外の貴族の子息令嬢は『八家』を恐れて声なんてかけてくるはずがない。
そのくせ、未来の『八家』当主の妻の座を狙う令嬢達は、あわよくばと僕の様子を窺っているし。
「シドニア家が、皇室や『八家』以外と縁談なんてするわけがないのにな」
これが他の『八家』だったらまだ可能性があったかもしれないが、あの両親だからね。
つまり僕の婚約者候補は、アナかロナ姉しかいないんだけど。
そんなことを考えながら、士官学校内にある中庭のベンチでボーッとしていると。
「ハハハハハ! 平民のチビが、弁えもせずにこんなところで食事をしているぞ!」
「ハア……せっかくの昼食が台無しですわ……」
同じく中庭で昼食を摂っている、眼鏡を掛けた一人の小さな女の子が、他の生徒達に絡まれたり陰口を叩かれたりしていた。
「へえー。あの子、平民出身なのか」
この士官学校は毎年、特待生枠として成績優秀な平民出身の者を若干名入学させている。
おそらく彼女は、まさにその特待生なんだろう。
だけど。
「はは……別にシドニア家じゃなくても、貴族というのは下の者を馬鹿にする仕様なんだな」
女の子がいじめられている現場を眺めながら、僕は呑気にそんなことを呟いた。
そうかー、シドニア家が屑なんじゃなくて、この国の貴族そのものが屑なんだな。納得した。
「だけど……あの女の子、強いな」
そんな貴族達の執拗な嫌がらせを意に介さないとばかりに、無視し続ける女の子。
見る限り、嫌がらせは昨日今日の話じゃないだろうに。
「おっと、昼休みも終わりか」
懐中時計を見て、僕はベンチから立つと。
「おーい、そろそろ授業が始まるぞ」
「「「「「っ!?」」」」」
僕はこれ見よがしに声を掛けると、いじめていた連中はこちらを見て驚いた表情を見せた。
まあ、連中からしたら、僕がいじめを見かねて声を掛けたと受け取ったかもしれないな。
その証拠に、連中は女の子を睨みつけてから、逃げるように校舎に入っていったし。
まあ、それは置いといて。
「…………………………」
……どうして僕は、女の子に睨まれているんだろうね。
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