常識に憎悪する
「フフ……あの平民の女なんかより、皇女である私のほうがベル兄様に相応しいと思いませんか?」
「っ!」
「キャッ!?」
その言葉を聞いた瞬間、僕はアナを拒絶した。
「アナベル殿下。申し訳ありませんが、僕はこれで失礼します」
「あ、ま、待って!」
アナを押し退けて立ち上がった僕は、一刻も早く彼女から離れたくて、部屋を出て行こうとする。
だけど。
「……離していただけませんでしょうか」
「ど、どうして!? 私、何かベル兄様を不快にさせるようなことをした!?」
オロオロとしながら、アナベル殿下が僕の身体に抱きついて離さない。
先程と同じように僕の背中に胸が当たるが、今となってはただ鬱陶しい。
「彼女は……カサンドラ准尉は、僕の大切な部下で、数少ない友人で、そして……」
そこまで言って、僕は口をつぐむ。
その先は、僕が将軍も貴族もやめてからの話だから。
「……とにかく、アナベル殿下は彼女を侮辱した。申し訳ありませんが、これ以上話すことはありません」
「お願いベル兄様、目を覚まして! あなたは『八家』の一つ、シドニア侯爵家の当主なの! 数少ない選ばれた人間なの! あんな平民なんかと戯れてはいけないのよ!」
僕の言葉を無視し、好き放題言い放つアナベル殿下。
不快でしかないが、これがエルタニア皇国の王侯貴族にとっての常識であることも事実だし、僕も承知している。
僕は……この常識が何よりも憎い。
こんなものさえなかったら、サンドラも僕も、こんなに苦しまずに済んだのに。
大体僕は、シドニア家の当主にも、将軍にもなりたくはなかった。
ただサンドラと一緒に士官学校で青春を謳歌して、卒業してからも平凡な暮らしで満足できたんだ。
シドニア家だって、そんなもの潰れてしまって構わない。
僕が壊れているのだって、誰のせいだと思ってるんだよ……っ。
今までの溜まりに溜まったやり場のない怒り、悲しみ、苦しみ……そういったものが混ざり合い、僕の胸の中で蠢く。
幼い頃からずっと抱えてきた、このどす黒い感情が。
……いや、冷静になれ。
一年前まで、こんなことは日常茶飯事だったじゃないか。
「時間もありませんので、これで失礼します」
「あ……っ!」
深く息を吐いて落ち着きを取り戻し、僕はアナベル殿下を振りほどいて部屋を出ようとドアノブに手をかける。
だが。
「フ、フフ……ベル兄様はほんのちょっと心を惑わされてしまっただけなの。そんなものさえなければ、すぐに正気に戻るわ」
「…………………………」
悪いが、何を言ったところで僕は聞く耳を持たないよ。
それこそ、アナベル殿下の驕った傲慢な言葉なんて……って、ちょっと待て。
「アナベル殿下、今の言葉はどういう意味ですか?」
「フフ……さあ? 知りませんわ」
クスクスと、含み笑いをするアナベル殿下。
その表情に、態度に、僕の中に不安がよぎる。
「チッ!」
「フフフフフ! 今さらですわ、ベル兄様!」
舌打ちをした僕は高笑いするアナベル殿下を置き去りにし、勢いよく部屋を飛び出した。
カサンドラ准尉は……サンドラはどこだ!?
「おい! サンドラを見なかったか!」
「え? サ、サンドラって……」
「カサンドラ准尉だよ!」
「あ、ああ、それでしたらアナベル殿下のお付きの騎士と一緒にどこかへ……」
「クソッ! 遅かったか!」
最初にアナベル殿下が一人で部屋に来た時点で気づくべきだった。
いつも一緒にいるはずのあの男……レオノール=サリナスがいないことに。
「全員! 今すぐカサンドラ准尉とレオノール=サリナスを探し出せ! そして、絶対にカサンドラ准尉を無事に僕のところに連れてくるんだ! 今言ったこと、他の連中にも伝えろ!」
「え、ど、どういうこと……」
「いいから急げ!」
「は、はっ!」
僕の様子がいつもと違うことを感じ取った兵達は、慌てて走り出す。
「サンドラ……お願いだから、無事でいてくれ……!」
僕はただ、サンドラの無事を祈りながら、要塞内を必死に走り回る。
すれ違う兵士達に尋ねるが、みんな口を揃えて見ていないと言う。
こんな時、この無駄に広いサン=マルケス要塞が恨めしい。
焦りと苛立ちから、僕は唇を噛む。
すると。
「将軍! カサンドラ准尉があの騎士と一緒に、要塞の東のほうへと向かうのを目撃した者がおりました!」
「っ! 分かった!」
要塞の東ということは……ひょっとして、練兵場か?
確信は持てなかったが、何故かそんな気がした僕は全速力で向かう。
そこには。
「あはは♪ ほな、すぐ楽にしたげる♪」
「お、お願いします……た、たしゅけ……」
右腕を失って嗚咽を漏らしながら命乞いをするサリナス卿と、クレイモアを振りかぶり、三日月のように口の端を吊り上げるサンドラがいた。
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