電脳界の王国で
電脳世界の私立探偵、カークは違法電子ドラッグを吹かしながら依頼者が現れるのを待っていた。助手のキルンからはいつも赤字経営のことで小言を言われる日々。
そんなある日、謎の依頼主から報奨金八千万の依頼がくる。なんとそれは巷を騒がすレッドノウズの正体を暴いてくれというものだった。早速、カークとキルンはカフェ・ベルリンへと向かうが、店内は戦争後のストリートのような惨状だった。カークは違法薬物のゾンビドラッグを使い、蘇生を試みるが……
ハバナ葉の葉巻から立ち昇る煙が、電脳的テクスチャの質感を持った部屋に充満していく。端的にいえば部屋は散らかっていた。間借りしたオフィスなどこんなものだ。ましてや、私立探偵の職場など。
「カークさん! またなに妄想ドラッグ蒸かしてるんですか! 現実逃避じゃなくてお仕事持ってきて私に給料払ってくださいよ」
キィン、とした高い声が俺を妄想ドラッグの官能的な世界から連れ戻す。さらば、愛しの葉巻たち。さらば、俺の居心地のよい世界たち。
俺はソファにだらしなく預けた体を起こして、声の主であるキルンへと向いた。
「キルン、これは必要な出費なんだ……。お前もやるか? スターダスト社の知り合いが横流ししてくれた逸品だぞ」
そばかすを頬に散らし、ギークな眼鏡を掛けたキルンがはぁ〜と長いため息をついた。彼女は前時代的な三角巾を頭に付け、遺産的なモップを手にし、驚くことに数世代前かと見違うようなフリルのエプロンを身に着けている。
しかし彼女は好きでそうしているわけじゃない。ギークなのは、まあ本人も否定はしないだろうが、このようなコスプレ同然の格好をしているのは俺に理由がある。俺は懐古的なのだ。キルンの格好は俺のやる気を出させるためのものだと言える。
「いやっす。だって違法電子ドラッグでしょ、それ」
俺は最後の一吸いをしてからいつものような言葉を並び立てる。
「キルン、これは違法じゃないぜ。政府の違法電子ドラッグ欄をカーソルでクリックして、A to Zで確認してみな。そのどこにもこれの名前はない。ということは違法じゃない。簡単なQ.E.Dさ」
「単純にまだそれに使われてる成分が違法認定されてないだけでしょ。そのうちまた規制されますよ」
「そうなったらまた新しい成分を配合して合法ドラッグが生み出される。俺らは常に先回り。政府はハンカチを噛んで悔しがる」
「ダメニートには何言っても無駄っすね。せめて事務所の掃除でもしてもらいましょうか! ほら、もし依頼者が来てこのきったない部屋を見て回れ右でもされたらどうするんですか? 間違えてスラムに来た! なんて思われたらもう政府評価が地べたを這うことになりますよ」
それは最悪だぁ、と俺は天井を見上げる。時間は午後のニ時頃を過ぎており、向かいの高層マンションが日光を遮り陰気な影を部屋に落としている。
俺の探偵事務所に仕事が舞い込んで来ることは滅多にない。あったとしても人探しや無くしものの捜索。ひどいところでいうと、痴話喧嘩の仲裁なんかを頼まれたこともある。
おかげで常に財政は逼迫しており、財務担当のキルンからは常に小言を言われ続けている。というのもその原因は俺の吸う違法……いや、合法妄想電子ドラッグが数少ない報酬を食い潰しているからなのだが。
キルンが水を入れたバケツと雑巾を俺に渡し、床を箒ではいている。なーんでこの時代にわざわざこんなことしなきゃならないんすかね! と憤っているがいつものことだ。
掃除をしない理由がざっと百通りは頭に浮かんだが、キルンから箒をフルスイングされないような言い訳は片手にも足りなかった。しかも、成功確率は半々。
全くもってしょうがない。俺は青プラで出来たバケツに手を突っ込んだ。
prrrrr.
俺は韋駄天の速度で受話器を取る。もはや遺産であるとすら言える黒電話式だ。骨董ジャンクの店長に高値をつんで改造したかいがあったと言えるほどの出来。
「はい。こちらカーク探偵事務所です。ご依頼はなんでしょうか? 下は痴話喧嘩から上は世界的犯罪の解決まで。なんでもお受け致します」
キルンが呆れた顔をしている。おおげさな、と思っていることだろう。なんせ、俺の探偵事務所の実績は、せいぜい盗難被害にあった商品を見つけ出して犯人を警察に突き出したので最大なのだから。
「モシモシ。依頼したいことがあるのだが」
その声は老人と子供を足してニで割り、甲高いようでいて地から響いてくるような声だった。簡単にいったら合成音声だ。ボイスチェンジャーを使っている割には、この声が偽物だということを隠そうともしていない。
キルンに目をやると、彼女はすでにパソコンを開いて黒電話に接続を開始していた。
「もちろんなんでもお受け致します。どんなご依頼内容で?」
「カークくん。君のことをぜひ見込んで、私の秘匿的な仕事を依頼したい。もちろん、これは他言無用という意味であって、そこで逆探知をしようとしているキルンくんとカークくん以外には誰にも仕事内容を言わずにやってもらいたいのだ」
キルンがギクリ、と体を停止させこちらを向いた。額には冷や汗が浮かんでおり、油をしばらく指してないロボットを連想させる。
俺は一瞬呆気に取られ、言い返そうと口を開くと、
「報酬金は五千万だそう」
キルンが椅子からずり落ちてギークな眼鏡がそばかすをふちどる。俺の手のひらはいつの間にか手汗でだらだら。
「ご、五千万ですか」
「そうだ。更に前金として一千万入金しよう。信じてもらえないのなら、今すぐにでも構わないが?」
俺の袖をくいくいと引っ張るキルンが耳元に口を近付けてきたので、俺は受話器をそっと遠ざけた。
「金ないんすから受けるべきっす……!」
「でもなぁ危なそうだし」
「それでもっす! 私の給料!」
確かにそうだ。ただでさえ、最近は仕事がなくて暇なのだ。このままでは生活費もままならなくなるかもしれない。
依頼を受けるかどうか思案していると、ピンポーン、とチャイムが鳴る。キルンが慌てて郵便受け――これすら俺の趣味だ――に行くと、ぴゃぁぁ! という悲鳴が聞こえてきた。
「カカカカークさん! み、見てくださいこれ現ナマ一千万っすよ!?」
電話から独特な声が響いてくる。
「君はアナログが好きらしいからね、前金は手渡しということにしておこう」
「……オーケェ。しかし、依頼内容がわからない以上、金額が見合わない場合はどうするつもりで?」
「不満かな? じゃあ八千万にあげよう」
「グッド! いえ、コホン。もちろんお受け致しましょう。我々のモットーは決して依頼者を見放さず、仕事を完遂する、ですからね」
そんなの初めて聞いたっす、という声が聞こえてきたが無視。
「それは心強い言葉だな。では君に依頼しよう。カークくん、キルンくん。君たちには巷を騒がす電脳霊媒体、レッドノウズの正体を明かして私の元に連れてきてもらいたい」
レッドノウズ。テレビを付けてその名を聞かない日はない。電脳で今一番人口の多い街、グラッツェパリィに現れるという謎の未確認電子生命体のことだ。
彼(?)がやらかした事件は数多にも上り、例えばKKKの秘匿機構が長年保持していた特大スキャンダルを暴露したり、どのような場所にでも――そう、政府施設などにも――入り込む事ができるのだという。しかし電脳都市において目撃されたことはなく、その存在が疑問視されている。いわば都市伝説のようなものだ。
電脳に現れた最後の謎だとか、国の実験で生み出されただとか色々な噂があるが、所詮クリーピーパスタだと俺は考えていた。だが、どうやら本当に実在し、さらにこれほどまでの金を積まれるほどのやらかしをしたらしい。
「詳細は明日午後三時、マルベリのベルリンというカフェに使いの者を出している。そいつから話を聞くといい」
ガチャリ! という音が鳴って電話が切れた。キルンが目をキラキラと輝かせながら手をあげ、俺もそれに応えるようにハイタッチする。
「やったぜキルン! 超大型案件だ! フウウウウ!」
「やりましたねカークさん! これを解決すれば知名度もアップでウハウハですよ!」
「やーっとツキが回ってきたぜ。さぁ、早速俺の愛しのドラッグちゃんを……」
キルンが手に持った現金を庇うようにして胸に抱く。
「カークさん。私の給料、滞納した家賃、そしてほうぼうにしている借金の返済を……」
※※※※
「クソっ! 三百万しか残らなかったじゃないか!」
俺たちはマルベリの雑多なストリートを歩いていた。道行く人を見れば、流行りのカスタムであるマルチシステム搭載のオールドファッションなロボット型がアイスを手に歩いている。
キルンは手にした給料でチェックの短パンオーバーオールとキャスケットを買っていた。もちろん、これは俺があれこれと口に出して買わせた逸品だ。恥ずかしそうに斜めがけバックを両手で掴みながら歩いているのを見ると、その懐古的な姿に感動すら覚えてくる。
「まじで慣れないっすねこれ。あ、あそこですよベルリン」
クローズドと掲げられた看板を無視して俺たちがベルリンに入ると、店内は荒れに荒れ、第三次電脳大戦を思わせる程の惨状だった。これなら、俺の事務所の方がよっぽどましだ。
キルンがカウンターの奥に倒れ伏した男の元へと駆け寄る。
「大丈夫っすか……」
男は黒尽くめのコートを纏い、傍らにトレンチ帽が転がっていた。しかし丁寧に仕立てられたであろうその服は、土埃と血に塗れ風景と完全に同化している。
「ゴホッ、カークとキルンだな……。話なぞはいい、俺の頭の中に情報がある」
それだけで俺達は全てを理解し、次の行動へと取り掛かる。つまり、俺達はこいつの脳内に直接アクセスし、命の灯火が消えるまでに関門を突破しハッキングしなければならない。
言うなれば、これは依頼者からの最初の挑戦といったとこだろう。本来、人の脳内にアクセスするには最低でも三十分は必要だ。
「了解っす。接続開始します」
キルンがギークな眼鏡を掛け直す。