つまはじきのボガート
かつて、俺の仕事は死んだ敵兵に成り代わることだった。
組織に潜り込んで、信頼関係を破壊することが俺の存在意義だった。
戦争が終わると、みなが口を揃えて言う。人間社会は信用が大事だ。それを壊そうなんてのは、人でなしの所業だ。人間失格だと。
この社会はもう、替え玉師なんて必要としていない。それが受け容れられないから、今も未練がましくこんな稼業を続けている。俺にはこれしかできないから。
今日も俺は、他人の皮を被って人の世を生きている。
自分が自分であることに耐えられないから。
ヒトはみな無限の可能性を秘めているので、大抵の場合、他の誰かで替えが利いてしまう。俺という存在も、無限の代替可能性で満ち溢れている。しかし、それは絶望ではない。むしろ希望なのだ。
その気になれば、俺は大統領になれる。
炊き出しに列ぶ浮浪者にも、私立学校通いのお嬢様にも成り代わることができる。大事なのは肝っ玉と演技力。そして何はなくとも“ネウロイド”が必要だ。
夜十時、アンヌン戦争記念公園、慰霊碑前。指定した場所に赴くと、齢十六、七くらいの少女が独り佇んでいる。そいつは俺と同じ背格好をしていて、俺と同じ濃紺のロングワンピースに身を包んでいる。だから、直ぐに分かった。この少女が今回の依頼人で間違いない、と。
「レイラ・コンフナーだな?」
俺は敢えて男の声で呼び掛ける。少女は一瞬怯えた表情を見せたが、俺の姿に気付くと脱力したように笑みを浮かべた。
「本当に瓜二つなんですね」
「そりゃあ、そうだ。君の身体構造を馬鹿正直に複写したものだからな。ソバカスのグラデーションまで完全再現さ、ほら」
俺は、レイラの真ん前に顔を突き出してみせる。
きっと誰かが見ていたら、鏡から抜け出してきた虚像のように見えただろう。造形作家のおやじはいつも良い仕事をしてくれる。
「私、ソバカスなんて無いんですけど」
レイラはツンとした口調で言い放つと、俺の肩を掴んで突き返す。
大半がプラスチック素材で構成された俺のボディは、その軽さ故に少女の腕でも容易く退けることができる。生身とのギャップを感じながら、俺は後ろ足でその場に踏み留まった。
その様を見て、レイラは少し意外そうな顔をする。
「随分軽いんですね、ネウロイドって」
「ああ、元は戦闘用のマシンだからな。身軽さが第一なのさ。たぶん、君よりも重量は小さいんじゃないか」
「……貴方、ケンカ売りに来たの。仕事しに来たの?」
「やあ失敬。じゃあ早速、本題に入ろうか」
腕の端末を起動すると、夜闇の中へディスプレイが投写される。
内容は“替え玉”契約の重要事項説明というやつで、長々読み上げていると眩暈を覚える。こんなものはインテリにやらせれば良いのに。
「まず前金で一万ユーロ、指定口座に送金を確認。よし。次は、提供されたスキャンデータからネウロイドを製造――ってこれももう済んでいるな。後のもザッと読んでくれれば良いよな。どうせもう、目を通しているんだろう? なら結構だ。君はさっさと用事を済ませてくれば良い。その間は、俺がうまいことレイラ・コンフナーを演じてやるさ」
「本当に、バレたりしませんか?」
「ああ」頷きながら、俺は説明書一式を雑にスウィープする。
「俺の評判は聞いているだろ」
「ええ。通算百名以上とのすり替わりをこなした、凄腕の替え玉師だと。きっと、リピーターも多いのでしょうね?」
「……まあな」
俺は曖昧に応える。
残念ながら、その百余名の本物たちはすり替わる拍子に全員が死の運命を辿った。だから、俺の仕事にリピーターはいない。すり替わりの対象者と、こうして長々話すのもはじめての体験だ。
かつて、俺の仕事は死んだ敵兵に成り代わることだった。
組織に潜り込んで、信頼関係を破壊することが俺の存在意義だった。
戦争が終わると、みなが口を揃えて言う。人間社会は信用が大事だ。それを壊そうなんてのは、人でなしの所業だ。人間失格だと。
この社会はもう、替え玉師なんて必要としていない。それが受け容れられないから、今も未練がましくこんな稼業を続けている。俺にはこれしかできないから。
「君の不安を拭ってやろう。今から表情制御をオートに切り替える」
やや強引な話題転換だったが、レイラに気付いた様子はない。
「切り替えると、どうなるんです……」
「見れば分かる」
実演が大事なんだと、造形作家は言っていた。
だから俺は、その言葉を忠実に実行することにした。
奥歯に擬装したキルスイッチを噛むと、ネウロイドは本来の有り様を取り戻す。荒事に不要なもの――たとえば笑ったり泣いたり、呼吸の真似事をする機能を一斉に削ぎ落とす。そうしてそれらは、距離にして二十キロ、アンヌンの街並みを超えて俺の脳味噌へと伝送される。
機械に掠われていた神経信号が還ってくると、身体がビクリと跳ね上がった。痙攣にも似たこの反射運動が、俺はあまり好きではない。スイッチの性質上、それは常に人の死を予感させるものだったから。
「知っての通り、いま君の目の前に居るのはただのロボットだ。駆動系や制御装置に生体パーツを使っているが、それでもやっぱり生き物とは呼べない。そんなものに表情の制御を委ねればどうなる?」
「……気味が悪い」
「そう、気味が悪い。“不気味の谷”ってやつさ。戦闘マシンにとって、表情筋はもっとも優先度の低い筋肉だったんだ」
「だから機械に学習させるのは諦めて、人間にロボットの笑い方を覚えさせたと?」
「ああ。安上がりだけど、なかなか根気の要る作業だよ。なにせ身体の動かし方をハイハイから学び直す訳だからね。表情まで気が回るやつは中々いない」
俺――と言っても、今レイラの目の前に居るネウロイドのことではなく、自室のベットに転がっている方の身体のことだが、兎も角、俺は得意の笑みを浮かべた。
自分が一番、ネウロイドを巧く操れる。
それが俺にとって、唯一の誇りだった。
「なるほど、貴方の実力はよく分かりました。これなら父もネウロイドとは気付かないでしょう」
「君のお父上……コンフナー上院議員か。ネウロイド規制派って聞いているが、実際の所どうなんだ?」
「仕事のことはよく分かりませんが、あまり良い印象は持っていないかと。この前も、替え玉師のことを『物体X』と呼んでいましたし」
それじゃあ、まるっきり人食いのバケモノだ。
俺たちは人語を解さぬエイリアンじゃない。
「別に取って食ったりなんかしないよ」
「分かってます。伯父様から紹介頂いた以上、貴方のことは信用してます。してますけど……」
「けど?」
「父には敵が多いのです。貴方や伯父様は兎も角、軍関係の人からは酷く嫌われていて。この前も家に脅迫文が……」
「過保護にもなる訳だ。抜け出したくなる気持ちも分かるがね」
彼女の伯父――カルマン中佐は、俺の元上官だ。
その中佐いわく、レイラの身辺には日中常に監視がついていて、夕方になると半ば軟禁のような状態で部屋に留め置かれるとのことだった。若い盛りの娘にはなかなか酷な話だが、命には替えられまい。
彼女の“用事”というやつが、単なる鬱憤晴らしの家出だったらまず依頼を断っていただろう。しかし、母親を見舞うためと言われては嫌とは言い難かった。それくらいの情は俺にもある。
「依頼人の人間関係を守ること。それが今の俺のポリシーだ。お父上の面倒も見てあげるから、安心して出掛けておいで」
「ありがとう、ボガート」
底抜けに明るい笑みを浮かべて、レイラは俺を偽名で呼ぶ。
悪戯妖精。家憑き神。形のない恐怖。
我ながら、捻りのないネーミングだ。しかし、そんなことが気にならないくらい、俺の内心は昂ぶっていた。なにせ、仕事で礼を言われたのは、これが初めてだったから。
さて、ネウロイドについて知っておくべきことは三つある。
一、素人が使うと感情表現が覚束ないこと。
二、ヒトより軽いくせにパワーがやたらと強いこと。
三、邪魔な人間はすり替えするに限るということ。
これだけ覚えればもう大丈夫だ。目の前でそっくりさん同士が殺し合っていたら、どちらがネウロイドか直ぐに分かる。必死な形相で抵抗しているのが本物、顔色一つ変えず暴行を振るっているのがネウロイド。
簡単なことだ。
血塗れの方がコンフナー議員。拳を振り上げているのが殺人マシン。
分かってるよ、畜生。
俺が居間に踏み込むと、二人のコンフナーがこちらを見る。
「レイラ、逃げろ」転がっている方が叫ぶ。
「手を貸してくれ、レイラ」跨がっている方が助力を乞う。
これが単なる双子の喧嘩だったら、どんなに良かっただろうか。
残念なことに、コンフナー議員に兄弟はいない。いま目の前で起きているのは、紛れもない殺し合いだ。気が済むまで殴り合って、最後には互いの健闘を称える、なんて心温まるエンディングは望むべくもない。弱い者が死に、強い者が生き残る。それだけだ。
議員が死ねば、次はか弱いレイラの番だ。
「お父様。どうかしばしの間、目を瞑っていてください」
俺はレイラらしく柔らかな声音でそう言うと、奥歯のキルスイッチを強く強く噛み締めた。すると再び、ネウロイドは感情の波をこちらに押し返してくる。抑制されていた苛立ちが、生身の脳に噴出する。
レイラを模した肉体は、既に一個の兵器と化している。
「この依頼は失敗だ。失敗したのはお前のせいだ。俺はもうレイラでいる訳にはいかなくなった」
「お前、まさか……」
俺の正体に勘付いたのは、案の定“跨がっている方”だった。
まったく忌々しいほど、同類の気配に敏感なやつ。
「そうだ、真似妖怪さ。お前、他人様の家に土足で上がり込んだんだ。タダで帰れると思うなよ」
依頼は失敗に終わったが、約束はまだ残っている。
ボガートの名の通り、家妖精の真似事でもしてやろう。
帰る家がないのは、俺だけで十分だものな。