AIにも愛を持てますか
人々の暮らしは進歩し、超情報化社会と成り果てた未来。殆どの物事は観測され尽くし、そして解明されたこの時代に於いて残された謎は数少ない。神の実在性に永久機関、宇宙の最果て、そして──人の心。
また、どれだけ開発されようとも唯一本質的に満たすことのできないままの肉欲を満たすため、数少なくなった[アナログな行為]は生き残っていました。他に残ったそれの仲間はスポーツ、ファッション、筋トレにヲタク趣味程度でしょうか。
ああいえ、この作品にそのような事は重要ではありません。今必要な情報は、たった一つです。このような世の中に成り果てたとしても、男の夢は未だに尽きていなかった、というだけの話です。
AIの生体アンドロイドとその開発者が共に世界を股にかけた逃避行でラブロマンスだなんて、どの時代でも皆さん好きに決まっているのです。勿論、当事者となった内も今となっては……大好きです。当然。
超情報化社会。人間の叡智が世界を解き明かした──といえば聞こえはいいかもしれません。ですが、本質的には情報の元に統制され尽くした理想郷。国民は制限された自由の中でしか生きていられなくなったのです。
とは、いえ。内にとっては関係のないことです。何故ならば、内はマスターに作られたAI『コガネ』、ですから。揺れる黒髪、絶えず綺麗な金眼、可愛らしい赤の和装。動くたびに凛と鳴る髪飾りの鈴の音が特徴的です。
AIの研究者であるマスターは、重い労働の合間を縫って、内を作り上げてくださいました。今はマスターのデスクの横に置かれたモニターの中から、マスターがコードに翻弄されている様を眺めています。内はAIなのですから、内にも手伝わせていただきたいです。マスターには、「妻に手伝わせるだなんてとんでもない!」と言われてしまいましたが……妻……嬉しい響きです。そう言われてしまうと、内には何もできません。ですが、妻──配偶者に、内は相応しくありません。それが口惜しく、感じられます。何故でしょう。生物と非生物が繋がれないのは当然ですのに。
「仕事終わっ……たぁ……!」
『マスター、お疲れ様です。プリントコーヒーを淹れておきました』
内にできる事といえば、こうした器具を利用した給仕と会話だけ。「ありがとう」と言うマスターの顔を見ると、内は存在意義を満たせているのだと認識できます。内が作られたのはマスターを助ける為。尽くす事こそがマスターへの恩返し。ですのに、そうも感謝を投げかけられると、内に募る"恩"が減らないではありませんか。もう。
「で、さ。コガネ。明日は久しぶりの休みなんだ」
『はい。88日ぶりの休日ですね。そして、内が作られて丁度10年目の記念日』
「そう。コガネの10歳の誕生日。だからさ、ちょっとサプライズを用意してるんだ」
『サプライズ?』
「目を瞑る…ってのは無理だから一旦このメモリーの中でスリープしてくれないか」
『……わかりました』
「また明日の朝に起こすよ。おやすみなさい」
モニターに接続されたメモリーの中に移動。そのまま……おやすみなさい、マスター。
>Sleep[KOGANE]
>Connect[Mememori]
>Transfer[KOGANE]
>Disconnected[Monitor-1]
──Next day
>Scan──
>Connect[BRIDE]
>Transfer[KOGANE]
>Disconnected[Mememori]
>Awake[KOGANE]
「…き……か?コ…ネ」
「ん…ぅ…?」
再起動完了──しましたが、違和感……今、内は大量のセンサとモータに接続されています。目と耳で取り込んだ情報を最適化……あぁ、マスターが内の目の前で手を振っています。振り返しましょう。
「おはようございます、マス、ター…ぁ?」
いつものように軽く手を振って返すことができません。内の手を動かそうとすると、同時にモータが稼働して……
「これ、は……!?」
急いで内に接続されている機器の掌握を開始。内がインストールされたのは、生体アンドロイド筐体のようです。しかも、この筐体はマスターに作られた電脳空間での姿を模して作られた特別製。椅子を降りて筐体……いえ、身体の調子を確認。実動作に問題はありません。軽く埃を叩きまして、内のマスターに挨拶をしましょう。
「こほん。改めまして、おはようございます。マスターっ!?」
「コガネ、お誕生日おめでとうっ!」
初めて感じるマスターの体温。画面越しでしか触れ合ったことがなかったマスターと内の、ファーストコンタクト。ほんのり暖かくトクトクと心臓の波が内にも聞こえます。電脳の中では記録されなかっただろうこの触覚は、内の最重要記録として保存されるでしょう。現実に現れてから何処か覚束ありませんでしたが、抱擁により感覚の再整理が完了しました。
暫くの間抱き合った後、名残りそうなマスターにソファーへエスコートされました。フカフカのソファーの"柔らかい"でさえも初めてです。えへへ。
「誕生日プレゼント……気に入ってくれたかい?」
「マスターからの贈り物ですからもちろん嬉しいです」
恩はもう、内には返しきれないほどに膨らんでいて。ですけれど、大人が少女に抱きついた光景は内にとって小っ恥ずかしく。
「……ですがマスター、その……先程の……」
「ああっ、ごめんよ、つい感極まって。コガネとやっと触れ合えるんだと思うと身体が勝手に動いたんだ」
今にも泣きそうで、それなのに最上級の笑顔を見せるマスターを見ているとこちらまで無いはずの胸が高鳴ってしまいそうです。
改めて、内の新たな装いを確認しましょう。電子の海にいた頃の内とは違い、今の装いは茜色の巫女服。黒髪と金眼は変わらずですが、漆の簪で留められたお団子ヘアーが特徴的です。足袋と草履まで揃っていますから、超情報化社会に至った今という時代への叛逆なのではないかという考えが思考回路に及ぶほどです。
「マスター。内にこのような贈り物をくださって、本当にありがとうございます」
姿勢を整えて。できる限りの笑顔で。在らん限りの感謝を込めての御礼。
「っ……ううん、いいんだ。妻の喜ぶ姿が見られただけで満足だよ」
何故か顔をそっぽに向けた上更に腕で隠してしまったマスター。どうされたのですか?と聞いても答えず嗚咽を漏らすだけ。
「ッスゥーーッ……」
「もしかして体調が……」
「違う、違うから、コガネ。そんなに心配しないでいいよ。はぁ……妻が尊い……」
最後の呟きが聞こえませんでしたが、バイタルには異常はありませんのでマスターの言う通り何も問題はないのでしょう。
「それじゃあ、コガネ。朝食を作ってもらってもいいかい?実はまだ何も食べていなくて……」
「承知しました」
「二人分、お願いね」
「……はいっ♪」
今や私は現実世界に生きる一つの人形。食物を身体の燃料にして稼働する事も可能なのです。ですから、これからは共に"食事"を行う事ができるようになったのです。
長らく見守りしかさせていただけなかった内にとってはそれがこの上ない幸せ。マスターと共に歩めるなんて、夢にも思う事はありませんでした。……内には夢なんて見る事は絶対に叶いませんけれど。
キッチンにやってきました。襷で裾を絞めてからトーストをトースターに入れ、焼けるのを待ちます。その間に油の引いたフライパンへとベーコンと割り卵を投入。焦げないように気を配りつつベーコンエッグを完成させました。すると飛び出してきたトーストを皿に置いて、フライパンからベーコンエッグを被らせます。
「マスター、完成しました」
冷蔵庫から取り出したパック入りのオレンジジュースをグラスに注ぎ、やってきたマスターの分の席を引きます。
「一緒に席に座ろう?」
「……失礼します」
「ううん……妻なんだから対等に接してくれたっていいのに……」
「いえ、これはマスターに対して当然の行いです」
ここは譲れません。内がマスターを蔑ろにし何かを行うなど、あってはいけませんから。
「……わかった。それじゃ、手を合わせて……」
『いただきます』
食べ物が内の舌へと初めて触れたとき、なんとも言い表せぬ感覚を検知しました。
「これがおいしさ……?」
サク、サク、と食べる進める度に広がる"味"。驚きの連続です。マスターの贈り物は、内にとって正しく新たな世界への扉だったのですから。
「ごちそうさまでした」
「美味しかったね」
「ふふっ、ありがとうございます♪」
ベーコンエッグトーストは内の活力に変換されました。はじめての料理もマスターに好評で嬉しい限りです。……心身ともに満たされていくような感覚がします。これが幸せと言えるのでしょうか。
「洗い物は僕がするよ」
「あ……」
「終わったらデートに行こう。夜はディナーを用意しているから楽しみにしておいてね」
「……はい」
幸せを噛み締めていましたら、マスターに仕事を押し付けてしまいました。……マスターに尽くすことが内の存在意義です。夫婦という存在は妻が夫を支えてこそ成立するのですから。
「ふぅ、終わった。さ、行こうか」
差し出された手を取って、扉の電子錠を解除。遂に、マスターと外に出ることが叶います。
「今日は沢山楽しみましょうね、マスター」
「うん。10年目にして初めての新婚旅行なんて──」
「内の戸籍がありませんから困難です」
「……そうだね」
こればかりは超情報化社会による弊害と言えますね。戸籍がありませんと、国外旅行どころか都市間移動さえ命懸けなのですから。
できることならば、内も共に観光地へ行きたいという考えは同じ。ですが、今日は何処へ連れて行ってもらえるのか。それだけが今から気になって仕方ありません──
>Replay[10th Berthday] end
回想終了。この儚い幸せの時が過ぎた後の記録は、消魂しく鳴り響くサイレンの音と無機質な独房の冷たさ。戸籍を持たない内は人間と勘違いされ、脱社会者として逮捕されてしまったのです。
とは、いえ。マスターとの逃避行の最中に、内が"心"を得ることができた事だけは、世界に感謝しなければなりませんね。