生者だてらに幽霊船長、はじめました
ラウル・ラドリックは船上で冒険者パーティを追放され、人生終わりかけていた。そんな彼を助けたのは戦争と略奪と殺戮が大好きな元王女(現在:船幽霊)だった! 三十年前に撃沈した軍艦をなんとか動かし、ラウルは船幽霊達を従えて再起を図る。今度こそ自分のための人生をやるために――魔物が手下だし、最悪の王女が仲間だし、後ろから刺される事も込みで波乱の予感しかしないけど! 何とか平和に成り上がろうぜ系ファンタジー
「ここでさよならだ、ラウル」
突き飛ばされた瞬間、手を伸ばすのも諦めた。彼は自分より強いし、何より船に乗る全員がこの決定に賛成している。戻ったところで何になるというのか。
ラウルの身体は投げ出され、月の明かりが一条も届かぬ暗い海へと飲み込まれていく。荒れた海には落下の音すら響かずに、まるでそれが命の価値のようだった。
「世話になったよ、お前には。でも仕方ないだろ?」
それはただ罪悪感を紛らわせるための言葉か。彼――リーダーだった男の声を最後に、船はラウルを取り残して進んでいく。
集団を維持するためには泥を被る役がいた方がいい。ラウル・ラドリックがまさに冒険者パーティにおけるその役割だった。
割り切れない話や真相が分からない話はラウルが悪いことになったし、責任を取って動くのもまたラウルだ。金の計算が合わない、魔物の討伐に失敗した、有力者に嫌われた、はたまた誰かが勝手につまみ食いをしたというどうでもいい話まで。
パーティの中で器用貧乏なラウルが軽く見られがちというのもあったし、後ろ盾も地位もない孤児だったのもある。何より強く言い返さない性格が問題だったのだろう。
分かってるよ、命懸けの仕事で皆もストレスが溜まってる。でもそれは俺も一緒なんだよ。
初めはこうじゃなかっただろ。いろんな場所で穴を埋められる俺の事を重宝してくれたし、一緒に楽しく酒だって飲んだ。うまくやれていたはずなんだ。
後悔をしてももう遅い。少しずつズレていった歯車を直さぬままに船旅で食料が危うくなり、「一人を犠牲にすれば助かるかもしれない」という状況が来てしまった。全員で助かろうという考えは、もう彼らにはなかった。
もしまた生まれ変わる事が出来たら、その時は――
「その時は?」
「その時はもう少し自分の意思を出していきたいなぁ――って、生きてる?」
冷えて指先が覚束ない、泥に浸されたように身体が重い、脳の奥に鈍痛が走る。が、それを感じられるという事は生きているという事だ。
甲板の上だが元々乗っていた船ではない。軋み砕けそうな床板は、けれど見渡すほどに広く敷かれている。商船、あるいは軍艦と言ったところだろうか。ラウルに船の知識はそう多くある訳ではないが。
痛みをこらえて空を見上げれば、渦を巻くように不吉な雲と千切れ飛んでほとんど残っていない帆が目に入る。マストは……一応無事か。ところどころ砕けてはいるが。
「死んでる?」
「いや地獄じゃねーですって。ここ、あたいの船」
そう言えば呼び掛けられていたなと、もう一度気合を入れ直して視界を動かせば、そこには半透明の影のような人型。見覚えのある存在ではあるのだが、街とか村ではなく主にダンジョンとかで見慣れている。
「し、死んでる……」
「あたいは死んでますけど! お前は生きてるんで! ややこしいな畜生!」
女の声ではあるもののその輪郭は不確かで、時折揺らめくように姿を変える。月明りだけが頼りでは表情すらも分からない。
ゴーストと呼ばれる事が多い魔物の一種だ。人間が死んで生まれるリビングデッドの中でも実体を持たない魔力体であり、故に自我や記憶も薄い。ラウルも喋る個体を見るのは初めてだった。
リビングデッドは生前の記憶によって行動が左右されやすい。中には人を助ける行動をとるものもいるとは言われるが、残された経験から反射的に行動しているに過ぎない。魔物が人間に好意的であるなどありえないからだ。
「……でも、明らかに自我がある感はあるよな。お前」
「そーっそーなんですよ! こんな流ちょうな受け答えするゴーストが他にいますか、いやいない! 一家に一台、船にも置いときオマケに二台! あたいがいれば百人力ですぜ兄さん!」
「これが自我無かったらそれはそれでめちゃくちゃ怖いな……」
生前の意思や魔力が強いほど人としての傾向は強く残ると言われるが、流石にこのようなリビングデッドは前例がない……はずだ。対話が可能であれば人間と魔物はここまで激しく争わない。誰もが魔物は人類の天敵であると習うのだ。
じゃあこれは一体なんだ、と。考えを巡らそうとしてまた頭が痛む。今は面倒な事を考えている場合じゃない。
「……お前が助けてくれたんだよな。礼は何も出来ないが、ありがとう」
「いえいえーっ! 今までも割と助けてきたうちの一人だから畏まらなくてもオーケーですぜーっ。あと、結局助かるかは兄さん次第なんで!」
「というと?」
「あたい実体がないから船とか一人じゃ動かせないんで!」
「まじ?」
「皆さんには生き残って欲しいんですけどねーこれがもう中々! 今じゃそこらをさまよう霊魂の仲間入りってんで救われねぇ! こちとら話し相手の一人も欲しいだけだってのに!」
なんとか身体を起こしてみると、海は荒れに荒れている。頭痛からの錯覚かとも思っていたが、どうやら海の藻屑が如き船の有り様はこのせいらしい。
この海域一帯は過去使用された魔術兵器の影響により複雑な潮流の中にある。中心部にほど近い場所であればこの様相も納得だ。さて問題は移り行く気象の影響ではない以上、時化が収まるのを待ってという訳にはいかない所。
この荒れた海を、一人で? 無理に決まっている。
「死んだ……」
「過去形じゃなくなったっすねー! 一歩前進っすよ兄さん!」
「お前は死ぬほど前向きだなぁ」
「死んでますから!」
わぁいと両手をあげてハイタッチ。普通にすり抜けたが。
話し相手が欲しいという気持ちも分かる。たとえ死んで食事も何もいらないとしても、この景色ばかりはずいぶん気が滅入る。自分も死ぬまでの話し相手が出来て良かったと考えよう――ラウルは溜め息を吐いて、ゆっくりと甲板へと腰を下ろした。
諦めるのだ。人生はいつもそればかりだった。最初がそれなら最後もそれというのがラウル・ラドリックの人生だったのだろう。
「しかし兄さんはありがてぇ事に、あたいの話を聞いてくれるんすね。死んだ人間の方々、逃げるか斬りかかってくるか幻覚だと思うか、って所で全然話し相手をしてくれなくて」
「まぁこういう性分なんだよ。優しいとか、お前を気に入ったとかじゃなくて。話してる奴がいたら聞いちまうっていうか」
「うへー、損しそうな性格っすねー。かわいそかわいそ」
可哀そうに映るのだろうか、何も知らない他人の目には。自分の事を便利に感じている仲間たちはそうは思わなかったようだが。
いつも誰かが何かをするのを待って聞くだけの生き方は自動的に可哀そうになってしまう。流されるだけでは、自分の好きな事なんて一つも出来ない。
人生が詰んでからようやく思い知った。ラウルは我を通した事なんて一度もなかったのだ。それでは誰もラウルの意思なんて分かるはずもない。
「畜生……死にたくなかったなぁ。今更だけど」
「へっへっへ! そうでしょうそうでしょうとも! 死んだら飯も食えねぇし話してくれる人もほぼいねぇ! 受け身な兄さんだって切羽詰まりゃあ怖くもなる!」
ゴーストの透けた表情が眼前に迫る。笑っているのだろうか、顔であろう場所の下部がぱっくりと開いた。
「話を聞いてもらったんだ。兄さんの我儘も聞かせてくだせぇや。お互い様でいきましょ」
「我儘ってもな……死にたくない、ってのと」
「家族とかは?」
「天涯孤独って奴だよ……でも、家族とかも作れたらいいなって、考えた事もあったかな」
「金とか、飯とか?」
「生きるのに不安にならないだけの金とかは、憧れるよな。肉を腹いっぱい食ってみてぇな」
「と来たら、女!」
「想像したこともねえよ。でも腹割って話せる、友達っていうの? そういうのとかっていた事ないからな。……こういうの、自分の立場が弱いと思ってるからダメだったと思うんだよな。強くなりてぇよな」
「いえーい! コール&レスポンスしなくても十分言えるじゃねぇっすかー! 強くなって金稼いで飯も食いに行きましょうぜ!」
気付けば周囲には半透明な影が集まっていた。眼前の女よりもなお不確かな影が、夜の闇にかろうじて溶けずに漂っている。
リビングデッドの反射的な行動だ。生前の記録を辿っているだけの意味のない揺らぎだ。理性の声はしかし、感覚にかき消される――まるで祝っているようだ、と。俺を中心にテーブルを囲んでグラスを傾けているようだ、と。
女が目の前で手を叩く。実体を持たない拍手は音もなく。
「この私! カワイイ第三王女メレクの死後を預けましょう! 何とかする気があるのなら我ら寂しがりのゴースト一同、船長の力になりやすぜー!」
メレク、という名には聞き覚えがあった。というか誰でも知っていた。
女だてらに前線に出ては戦略目標を無視して戦地を蹂躙する悪逆の姫。戦いと略奪が好きで、婚姻になれば相手が三日で音を上げる。荒くれ共とも酒を酌み交わし、教養知識は全て人を貶めるために利用された。
その最期は三十年前、船での遠征の際に嵐に巻き込まれて帰らぬ人と聞いたが。
嘘か真かは知れないが、この女は危険だ。この場所に縛られているというのであればそのままがいい。
自分が彼女を連れて外に出ればどうなる? この女は何をする? ラウル・ラドリックの命ひとつと引き換えに、何千もの被害が出てもおかしくない。
この女は悪逆で、魔物で
「分かった。お前らを預かるよメレク。今日から俺がこの船の長だ」
そしてそれ以上に、ラウルにとって今までの人生と他人全てより価値があるものだった。





