星見る落ちぶれ令嬢の婚約
レーヴェ星見伯令嬢ステラは没落令嬢。
今はもう時代遅れと揶揄される星見の一族だ。
困窮する実家を救うため、王家への渡りをつけてもらおうと公爵家の開いたパーティーに参席する。
そこで出会ったのは王太子ヘンリック。
彼は突然ステラのことを婚約者であると公衆の面前で発表してしまう。
「ようこそ、星見伯のお嬢さん」
そう言ってこちらを見る相手の冷笑にレーヴェ星見伯令嬢ステラは作り笑いを返す。
「ご機嫌よう、オルティス公爵」
金色のウェーブのかかった髪、キラキラと輝く緑色の目、ステラの麗しい見た目は他の令嬢と比べて遜色ない。
ただ喪服のような漆黒のドレスがきらびやかな舞踏会に参席するには異様を放っていた。
しかし、これはレーヴェ星見伯家の正装だ。着替えることは許されていない。
レーヴェ星見伯家は代々この国で星見の一族として名を馳せてきた。
星の観測を通じて吉凶を占うのがステラの一族の生業であった。
しかし、数十年前、当時のレーヴェ星見伯、ステラの祖父は飢饉を予知できなかった。
星見伯の評判は地に落ち、すっかり財政難だ。
今日のステラのドレスも、叔母が若い頃に着ていたものを仕立て直したお下がりだ。
対するオルティス公爵はレーヴェ星見伯領から最も近いところに住む貴族だ。
先代の国王の従弟というだけあって、王家との繋がりも強い。
ステラは病弱な父とまだ六歳の弟にかわって、今日、なんとしてでもこの公爵に取り入り、王家との仲を取り持ってもらわなくてはならなかった。
「どうぞ楽しんでおいきなさい。たしかお嬢さんはもう18歳でしたな、そろそろ嫁入りを考える時期でしょう」
「え、ええ、まあ」
(余計なお世話だわ)
そう思いながら、ステラは微笑む。
落ちぶれた星見伯の娘に縁談など来るはずもなく、そうでなくとも今の状態の実家から離れることなどできない。
「よきお相手が見つかることを祈っていますよ」
それだけ言うと公爵はステラを置いて、さっさと他の貴族の元へと去った。
「…………」
ステラはじっとその背を見つめる。
オルティス公爵は好色で有名であった。いっそのこと色仕掛けで籠絡しようかとも思ったが、彼がステラにそういう興味を持つ素振りはない。どうやら自分は公爵の好みではないらしい。
ステラは自分の色気のなさを棚に上げてため息をつくと、ダンスホールに足を踏み入れた。
(諦めては駄目、今夜は私の守護星が天空の河の中心に入る夜。よき出会いがあるはずなのだから……)
星に縋るようにステラは窓を見たが、閉めきられた窓から外の星はろくに見えはしなかった。
一時間後、ステラはすっかり壁の花になっていた。
飲み物の入ったグラスを傾けながら、きらびやかに談笑する人々を眺める。
ステラがにこやかに近付いても、多くの人たちはその黒衣にあいまいな微笑みを向けて、去って行ってしまう。
(落ちぶれた、もはや不吉の象徴ですらある星見伯なんかには、誰も関わりたくないってことね……)
わかっていたつもりでも、現実を突きつけられると少し落ち込む。
ステラはため息をつきながら、グラスを空にした。
ステラがそうしてぼんやりとしていると、ざわめきがダンスホールの入り口から聞こえてきた。
「ああ! 到着されましたな!」
オルティス公爵がわざとらしいくらいに声を張り上げる。
「皆々様! 本日は特別ゲストが来ておられます!」
その言葉に思わず目をこらすステラだが、人混みに紛れて、何も見えはしない。
ざわめきの広がりから抜け出す人影を、ようやくステラは見た。
天空の河にきらめく星々を思わせる銀の髪、透き通るような灰の目、すらりとした体に纏った青い軍服の胸には王家の紋章。
「…………!」
王家の軍人、それもステラとそう変わらない年齢とくれば、それは王太子ヘンリック殿下に違いなかった。
思わずステラは多くの令嬢がそうしているように、その姿に見とれていた。
「王都から遠いところをわざわざ来てくださいました。我が国の王太子! ヘンリック殿下でございます!」
公爵が彼を喧伝する。
来客達から拍手が湧く。
ヘンリックはその拍手に小さく礼を返した。
一気にヘンリックの周りをご令嬢達が取り巻く。
ヘンリックは今年、20歳。まだ結婚をしていない。
一時期は隣国の姫君との縁談も持ち上がっていたが、隣国との関係悪化に伴い、その話は立ち消えてしまい、婚約者もいない状況である。
(多くのご令嬢にとってはそりゃ狙い目、でしょうね)
目を輝かせるご令嬢たちに、にこりともせずに応対しているヘンリックは、とうてい彼女らに陥落しそうになかった。
ステラもしばらく遠目にヘンリックを眺めていたが、あの群衆の中へと分け入る勇気もなく、ため息をつくと、空のグラスを交換して、ひとりバルコニーに出た。
春先の外は少し寒いが、星が綺麗に見えた。バルコニーの柵に腕を置いて空を見上げる。
ステラの緑色の守護星は天空の河の中でひときわ綺麗に輝いていた。
「……はあ」
自分は何をしているのだろう。
近所だからと義理で送られてきたパーティーの招待状を握り締め、勢い勇んで乗り込んだというのに、何一つ成果を上げられずにいる。
せめて人脈を広げるくらいはしたかったが、それもどうにも叶わない。
星を見上げ、目をこらす。
今上がってきたばかりの赤い星は、半月後には天空の河に入るだろう。
赤い星は緑の星を守護星に持つステラにとっては天敵の星だ。
それが運命を司る天空の河に入る時期は、あまりよくないことが起こる。おとなしくしていよう。そんなことを星を見て考える。
(けれども、良い出会いだって……なかったじゃない……)
ステラは心を痛めた。彼女は星見の力を信じている。父から教わった大切な力だ。
けれども、今日はそれが当てはまらない日のようだ。そう思うと信じる気持ちがどうにも揺らぎ始める。
泣きそうになるのをグッとこらえてグラスをあおった。
「……先客か」
低い声が、バルコニーの入り口からこちらにかかった。振り返るとそこにヘンリックがいた。
「え……」
呆然とヘンリックの姿を見る。
バルコニーの扉を閉めながら、ヘンリックはこちらに近付いてきた。
「ご、ごきげんよう、ヘンリック殿下。わ、わたくしは……」
「その黒いドレスは星見伯の娘だろう」
ステラにみなまで言わせずヘンリックは冷たくそう言った。
「侍女もつけずに令嬢がひとりでパーティーに参加するとは、ずいぶんと困窮されているのだな、星見伯は」
「お恥ずかしながら」
ステラは羞恥にうつむく。
実家の財政は苦しい。パーティーに連れてきても恥ずかしくないような侍女はひとり雇うので精一杯。彼女は弟の家庭教師だ。勝手に連れ出せる人ではない。
そんなステラの衣装をじっとヘンリックは見つめた。
「そのドレスもずいぶんと古い」
顔がかっと赤くなるのがわかった。
「叔母のお下がりです……」
「そうか」
どうでもよさそうにそう言うと、ヘンリックは何故かステラの横に並んだ。
こうして近くで見るとスマートな体型ではあるが、胸板や肩幅がしっかりとしていて、鍛え上げられているのがわかる。
(……殿下は私に何か用なのかしら?)
ステラは戸惑う。こうして人目のない場所で若い男女がふたりきりになるなど、褒められたことではない。
(喧噪に飽き飽きして抜けてこられただけかも知れない。そうだとしたら私はお邪魔だわ)
そうは思ったが、ヘンリックはステラが今夜、会話できる最後のひとりになりそうだった。だからステラは思い切って言葉を続けた。
「殿下は、あの、どうして今日はこちらに?」
「オルティス公爵がしつこくてな。公爵には孫娘がいる。まだ16だが、どうやら私と契らせたいらしい」
「そうでしたか」
公爵の孫娘ならば、王家に嫁入りするのにも申し分のない身分だ。20と16なら大して問題になる年齢差でもない。
「要するに見世物だ。自分の孫娘はこれほど素晴らしい青年と契るのだぞ、と自慢したいようだ」
そう言ってヘンリックは鼻を鳴らした。
どうやら公爵には辟易としているらしい。
「……大変ですね」
ヘンリックは肩をすくめると、ワインの入ったグラスを傾けた。しっかりした喉仏が上下する。
「……ときに星見伯のお嬢さん、君は婚約はしているかな」
「いえ、落ちぶれた不吉な星見伯の娘を欲しがる殿方などいはしませんわ」
ステラは自嘲的に笑った。
「そうか」
ヘンリックはうなずいた。そしてステラを見た。
ステラも戸惑いながらその視線を受け取る。
「……なら」
ヘンリックが何かを言いかける。
そこにバルコニーの扉が開く音がした。
「ああ、ヘンリック殿下、こちらにいらっしゃいましたか」
オルティス公爵の猫なで声がする。
「ちっ」と小さくヘンリックが舌を鳴らし、グラスを柵に置いた。
「今夜はいかがでしたか?」
オルティス公爵の視界には、ステラは入っていないようだった。
「ぜひ紹介したいものがいるのですが……」
公爵の声を遮るように、ヘンリックはステラの顎を持ち上げた。
「えっ」
ステラが戸惑うのを無視して、ヘンリックはステラの唇を奪った。
ほんのりとワインの芳醇な香りが漂う。突然のことに体が硬直し、持っていたグラスが滑り落ちていく。
ステラの緑の瞳と、ヘンリックの灰の瞳が絡み合う。
グラスの割れる音が響き渡って、ステラは正気を取り戻す。
「…………っ!?」
ステラの唇を解放すると、ヘンリックは彼女の肩を抱いて、強引に引きずるようにダンスホールへ戻る。
何が起こっているかまったくわからないままに、ステラはそれに従う。
「皆様! 紹介しよう! 我が婚約者だ!」
ヘンリックは並み居る貴族達の前でそう宣言した。
「……なっ」
声にならない衝撃にステラは呆然と立ちすくんだ。