空使いの聲
これは、青くて痛い百合の復讐物語だ。
イジメを受け、自死を選んだ少女、カナは屋上でくるまいすの少女、ユメと出会う。ユメもまた苛烈なイジメを受けていた。
ユメは、動画投稿サイトで自分で作った曲を投稿し、登録者一〇万人以上を達成した有名人だった。
歌えないユメは、歌えるカナに歌声を求める。
イジメをするヤツらに、世界に復讐しよう、と。
歌で、復讐をしようと。
カナは自死よりも、復讐を選び、カナと手を取り合うことにした。
世界の向きが横から縦に変わる時、そこに真実は眠る。
これは、青くて痛い百合の復讐物語だ。
──今日こそ、死んでやるんだ。
人の温もりで満ちている教室を置き去りにして、熱を帯びた私は廊下を駆け抜ける。
あそこに私の居場所はない。
誰かが呼び止める声がした。無視をする。
誰かにぶつかった音が響く。無視をする。
誰かから文句が飛んでくる。無視をする。
私は冷たい人間になり果てるんだ。
誰もが幸せで、誰もが笑うこの昼休みに。そして、どこかの誰かに傷を刻み込んでやるんだ。
これは私の復讐だ。私だけの復讐だ。誰にも邪魔されてなるものか。
息を切らせ、私は階段を駆け上がる。
精一杯の勢いをつけてドアにタックルして、古ぼけたチェーンつきの南京錠を破壊して屋上に飛び出した。
何度世界に絶望しただろう。何度世界に裏切られただろう。でも、誰も慰めてくれない。知ってる。
どうせ私なんかいなくても世界は回っていく。
それが事実だ。知ってる。
だから終わらせるんだ。私は、私の何もかもを。
いつからこんな人生になったんだろう。小さい頃は世界が輝いて見えた。何をしても、私は許された。認められた。自由だった。そんな世界だったのに、どうして私は今、ここまで苦しい思いをしているんだろう。
人を人と思わないイジメを受けているんだろう。それが、受け入れられない。
金網が音外れのファンファーレを鳴らす。
細くて頼りないから、指に食い込む。痛みなんて知ったもんか。
「私は、私はっ……!」
息が苦しい。
この期に及んで生きたいのか、私は。なんて生き汚い。醜いのは死体だけにしてくれないか。私は、綺麗に死にたいんだ。
「何してるの? こんなところで」
声がかけられる。知らない聲だ。
ひどくみすぼらしい聲。誰もが耳を塞ぐだろう、不快な聲。
眉根を寄せながら見ると、そこには車いすに乗った少女がいた。制服を着ているんだから、当然うちの学校の生徒なんだろうけれど、本当に見たことがない。
怪訝になっていると、少女はまた首を傾げた。
「ねぇ、何してるの?」
純粋な疑問のように感じられて、私は虫唾が走った。
「見たら分かるでしょ。死んでやるのよ!」
私は金網に跨りながら怒鳴ってやった。
それだけささくれていた。けど、少女は首をまた傾げた。
「どうして?」
「どうしてって……あんたにその理由を説明する理由、ある?」
「あるよ」
少女は即答した。
「だって今、あなたが飛び降りしたら、私が最後の目撃者になるもの。そうしたら私が状況を説明しなくちゃならないでしょ」
ぞくっとした。
嫌そうでも、嬉しそうでもない。ただ、本当に心もなにもない表情だったからだ。
氷なんてもんじゃない。真っ暗だ。
「知ってる? こういう場合の第一発見者って、同時に疑われるのよ。そして、私はきっと犯人に仕立て上げられてしまう」
言いつつ、少女は自分のシャツの袖をまくった。細い腕には、出来立ての赤い傷がたくさん刻まれていた。
リンクするように、私の傷も疼痛を訴えてくる。
少女は車いすの車輪を撫でた。
「私はクラスから嫌われてるんだ。今日だって久々に登校したらさ、筋トレだって言われて、ここに置き去りにされたんだ」
「ひどい……」
「知ってるでしょ。ここの学校にいじめはない。だから先生は絶対に認知しない。だからこの事も何もないんだよ。むしろ先生からすれば、私はやっかいものだよね」
薄く微笑むあの子は、絶望している。
よく知ってる。あの子は、私と同じだ。
「でも、親にも頼れないの。私、こんなんだから。親からも嫌われてるんだ。ふふ、この声のせいでもあるけどね。あなたも不愉快でしょ?」
そう質問されて、私はどう答えたらいいか分からない。
確かに、不愉快というか、不快な声だ。例えようもなく気持ちが悪い。
答えに迷ってると、少女はゆっくりと首を振った。
「いじわるな質問してごめんね。でも、親もきっと助けてくれない。ううん。むしろ喜んで犯人にするんじゃないかな」
泣きそうな顔で、少女は笑う。
「そんなのイヤだから。そうなったら復讐できなくなっちゃう」
「……復讐?」
「ええ。復讐。あなただって、今死のうと思ってるってことは復讐したいんじゃないの?」
核心を抉られた。
そうだ。私は冷たい人間になるんだ。そうすることで、世界へ、私を虐げるすべての敵に復讐したいんだ。
「あなたも苛められてるんじゃない? その制服、唾まみれじゃない」
指摘を受けて、私はうつむいた。
そう。
私はついさっき、背中にクラスメイトから唾を浴びせかけられた。中にはわざとらしくタンをぶつけてきた奴らもいる。
「そうだよ。今日の私はタン壺なの。面白いでしょ? 歴史の授業で習ったから、それを実際にやってみよう、だって」
「人間でやる意味がないのにね。バカらしいわ」
「私は道具だからね、あいつらからしたら」
「だから復讐のために死ぬの?」
また抉られるように言われ、私は言葉に詰まった。
なんだろう、この有無を言わせぬ感覚。圧倒されてしまう。
「だったら、もっとちゃんとした復讐をしてみない?」
にっこりとした笑顔で言われ、私は胸がすく思いをする。
「ちゃんとした、復讐?」
「うん。そうなの。私はずっと準備をしてきたんだ。いつか、ちゃんと」
言いながら、少女はスマホの画面を見せてくる。
metube。世界的な動画投稿サイトの管理者画面だ。そして、そこにあったのは――登録者数一〇万人超えのアカウント。しかも、アカウント名はユメオイビト。
知ってる。
歌詞はあるけど声は入っていない楽曲を提供するアカウントで、どれもこれも名曲ばかりだ。
「ウソ……ユメオイビトって……」
「そう。私。一部じゃ有名になってるよね。すごい良い曲だけど、歌詞があるのに歌がない、って」
「そりゃね。歌ってみた界隈じゃ有名だよ」
「うん。知ってる。いろんな人が歌ってるよね。ユメって呼ばれてるのもね。嬉しい」
少女──ユメはまた笑う。
「でね、私はあなたのこと、実は知ってるんだ。カゴノカナリアちゃん」
ぎくり、とした。
「その反応が答えだよね」
言い逃れはできなさそうだ。そもそも必要ないと思うけど。
ユメは敵じゃないから。
「登録者数はまだまだだけど、すごくキレイな歌声。ねぇ、カナちゃん。私の歌、専属で歌ってみない?」
「え?」
「私、この声でしょ? しゃべるだけで誰かを不快にさせる声。こんなんで歌っても、誰からも見向きもされない。普段の生活だってまともにできないのに」
ユメは自嘲気味に言って、大きい傷痕の残る喉をさする。
確かに、ユメの声は心地よくない。
でも、その言葉は心地よいと私は感じ始めていた。
「でも、カナちゃん。あなたの声はキレイだよ。それに音程だって正確だし、歌の技術もすごい」
「……歌うのだけは、好きだったから」
私はうつむきながら答える。ちょっと恥ずかしいからだ。
でも評価はされてない。
登録者数だって、再生回数だって。
「うん。それなら、私の曲を歌ってくれない? タッグを組みましょ。そうしたら、復讐になるから」
「どういうことなのさ」
「私たちがタッグを組めば、さらに有名になれると思うんだ。一〇〇万人だってユメじゃない。そうなったら、暴露してやるのよ」
ばく、ろ……?
どくどくと、心臓が新しい血を巡らせるように鳴り響く。
「そう。学校名も、実名も、証拠も、全部。大騒ぎになるよ」
衝撃的だった。
まるで世界の向きが横から縦に変わったようだ。
「お見舞いしてやるのよ、最強の一撃を」
「前を向くのは今しかないと思うんだ」
「はっきりしてやるのよ、ヤツらが悪だって」
「私たちならできるわ、大丈夫」
「がっつり復讐しましょう」
「殺したいくらい憎いあいつらに」
「すごいでしょ? 成功したら最高だよ!」
また世界の向きが、縦から横へ戻っていく。
立て続けに熱弁されたからだと思う。
くらくらするような熱量と情報量と言葉に、私は毒されたと思う。
身体が自然と動いて、私は地面に降りた。
待っていたかのように、ユメが私に近づいてくる。
私も、歩み寄っていく。
差し出された手を、私はしっかりと掴んだ。温かい。
「やろう?」
「……うん」
私は覚悟を決めて頷いた。
そうだ。
私は死んでやるもんか。生きて、生きてあいつらに復讐するんだ。私を認めないあいつらを、世界を。
「ユメオイビトと、カゴノカナリア。あわせて、ユメヲカナエル」
ユメはすぐに自分のチャンネル名を変えた。
嬉しそうに画面を私に見せてくる。私も嬉しくなって微笑んだ。ここ最近笑ってなかったから、ひどくぎこちないものだけど。
「それじゃあ、早速打ち合わせをしましょ?」
「これから?」
「そう。もうこの学校に用事なんてないから」
ユメは楽しそうだった。釣られて私も楽しくなってしまう。
これから復讐を始めるというのに。
でも、どうしてなんだろう。
ユメと出会うのは初めてのはずなのに、初めてじゃない感じがする。イジメを受けている共通性が、復讐するって共通の目的が生まれたからだろうか。
いや、今はいい。
歌で、復讐を遂げるんだ。





