静謐の魔女と、魂と虚飾の悪魔
魔法士の少女オフィリアは人類に扱うことができない魔法しか使えないことで魔法士たちの学派から差別を受けていた。
彼女を疎ましく思う上層部の判断によりオフィリアは魔法の蒐集という、実質追放の任務を与えられる。
オフィリアが所属する学派の騎士、幼なじみにして兄貴分のリュカを監督官として、オフィリアは魔法蒐集のための旅に出かける。
この旅が、オフィリアの根源との対決、そして大陸を震撼させる争いの始まりであった。
『オフィリア、貴様の任務は古代魔法の蒐集。任期は無期限、成果が出るまでは帰ることは叶わないものとする』
魔法士試験に合格し、学生だった者たちがそれぞれ任務につく中、十六歳のオフィリアに与えられたものは実質的な追放宣言だった。
白い象牙の塔の外で、ひとりぼっちでベンチに座っているオフィリア。
白いシャツに黒のパンツ。黒のローブはボロボロである。
雲一つない晴天は人々の門出にふさわしい春模様だ。
魔法研究集団〈白の学塔〉の生徒だった子供たちは、ひとり空を見上げているオフィリアを見ると白眼視してそそくさと去っていく。
魔法士になってなにかが変わるかと期待したけれど、実際は差別と偏見が地続きでつながっているだけだった。
フードに隠れたボサボサの茶髪をいじり、溜息をひとつ。
「お気に入りの昼寝場所じゃなくていいのかい?」
空を眺める視界に映ったのは白髪の老人男性。オフィリアの師匠であるラグネだ。
少女は師匠を視認するとぺこりと頭を下げる。
「いつものところは混んでいるので……」
「そうかそうか。ともあれ、魔法士試験合格おめでとう。座学も実践も申し分ない」
「ありがとうございます。師匠のおかげですよ」
こちらが笑ってみせると、ラグネ師匠は表情を曇らせる。
「すまないね、追放までは止められなかった」
「いいんですよ。色々言われるよりひとりの方が気楽ですし」
強がってみせると、ラグネ師匠はさらに顔が曇っていく。そういうつもりではなかったのに、師匠を心配させてしまったようだ。
すると、ラグネ師匠はいつものように声をかける。
「……そうだ、今日は夕食を食べにこないか? しばらくは手紙でのやり取りくらいだろうし」
ずっと会えないと言わないあたり、師匠はこちらを慮ってくれているのがわかる。
もしも自分が普通の魔法士であればここで甘えてもよかったのだろう。
けれど、オフィリアは自分から離れなければ大事な人たちが傷つけられてしまう。
せめて自分が普通の人間であればと思ったことは何度もある。
どれだけ現状に不満を言ったところで現実が変わるわけでもなく、この葛藤はずっと抱え続けなければならないものだ。
だから自分は親しい人たちにこそ甘えてはならないのだ。
「明日すぐに出発ですから、これから準備しないといけないんです。誘っていただいてありがとうございました!」
◆
オフィリアは孤児だった。
物心ついた時には街のゴミ箱を漁って生をつないでいた。
ある時、パンを盗んだ時に商人に対して無意識に魔法を使ったことから〈白の学塔〉に保護され、今までを過ごしてきた。
魔法士になるための授業も抜け出してばかりだったけど、黒パンでもご飯が出てくる生活は天国と言ってもよかった。
両眼の碧眼も、保護された時は病気で失明の危険性があったらしいがラグネ師匠が治してくれたのは覚えている。
受けきれない恩を貰ったのも〈白の学塔〉で、差別と偏見にまみれていたのも〈白の学塔〉だ。
恩はあった。だが、それ以上に他の人間から受ける被害の方が遙かに大きく。
このままでは自分が普通ではないことに対して大切な人たちにあたってしまいそうで、それだけが怖かった。
だから、このまま別れるのがいい――
「まさか監督官もつけずに出られるとは思っていないだろうな」
――だというのにもう一人の家族がオフィリアを待っているだなんて考えてもいなかったのだ。
紺色の髪に鋭い碧眼。体格は細く見えるがその実筋肉のお化け。
神経質そうな面持ちの青年――リュケイオン・ユースティティアが朝早くから旅装を着こんで、荷物を持って〈白の学塔〉にあるオフィリアが住む物置の前に待ち構えていた。
「げっ、リュカ……!?」
「げ、とはなんだ。大体君という<白の学塔>きっての問題児が監視もつけずに出られると思っているのが甘えているんだ」
鋭い視線をジッとオフィリアに向け、くどくどと説教を続けるリュカ。
彼だって接するならば素行も成績も優秀の学生のほうがよかっただろうに。ラグネ師範によくするように言付けられているから自分に関わるのだ。
「……どうせわたしは授業も聞かずにサボってばかりですよーだ」
「君が魔法のルール……魔法律に囚われないからといって、授業をサボる言い訳にはならない。また反省文を書かされたいのか?」
「わたしだってもう一人前の魔法士なんですー。反省文を書かされる身分じゃありませんー」
「どこへ行こうが君は<白の学塔>の預かりなんだ。外で厚顔無恥な行動をすればラグネ師範に迷惑がかかるだろう」
リュカの真っ当な指摘にオフィリアはなにも言うことができずにふてくされる。
自身の感情も力も持て余してしまう自分が嫌いで仕方がないが、いまさらどうしろというのだろう。
呪われた血と蔑まれるたびに自分の足下が不安定になっていく感覚。その呪いはすでに自分の立ち位置すら不明瞭にしている。
だがそんなオフィリアを見て、リュカは小言を言うことはなくゴツゴツとした暖かい手でこちらを握って落ち着けてくれる。
「……確かに君の扱いは良くない。しかし学生だったころと比べると自分の裁量で物事を決められる。良い機会だと考えるといい」
「……そうする。師範の家も居心地いいけど、それじゃ迷惑かかるもんね」
「師範は君を邪険に扱うことはないさ」
それはそうかもしれない。けれどもオフィリアは知っている。あの人は自分が原因で学塔内でも白い目で見られていることを。
オフィリアは特別で、魔法のルールに囚われない。だがその特別な力は特別ゆえに常識の中で生きることを許されない。彼女を守ろうとする人さえも不幸にする。
「……リュカも?」
恐る恐る尋ねると、青年は確たる信念をうかがわせる面持ちで頷く。
彼が見つめる先はいつも遠く、オフィリアがそれを理解することはない。
「僕の魔法騎士としての任務は君の守護。君を悪いように扱うなんてことはない」
「……そっか」
がっかりしたような、そうではないような不思議な納得にオフィリアは心を落ち着ける。
日もかなり昇ってきている。そろそろ出発しなければ。
「それで、君は行き先を決めているのか?」
「行き先?」
「……分かった。君は馬鹿だな。旅に目的地はつきものだろう」
大きくため息をつくリュカに対してオフィリアは地理の授業で得た知識をぶつける。
「じゃあ港町! そこだったら情報の行き交いもあるだろうし!」
「エスタルか。君にしては悪くない考えだ。じゃあそろそろ準備を始めようか」
そうだね、と少女が返すと物置に向かってくる足音。石畳と革靴が小気味の良い音を立てた。
何事かと思い音の方角を見ていると、ラグネ師範が袋を抱えてやってくる。
「ふう、間に合ってなによりだ。歳を取ると運動がおっくうになっていけないね」
「師範、なぜ……」
肩で息をする師範。オフィリアは急いで魔法で身体を冷やすが、彼はそれを手で制した。
老齢の彼は少し間を置いて、布袋を少女に渡す。
「弟子の門出を師匠が祝わないわけないだろう? これからの君に必要なものだ」
言われて袋の中からしまわれているものを取り出すと――そこに納められていたのは深緑色のローブとトネリコでできた腰の丈ほどの杖。
ローブは魔法士という身分を証明し、杖は魔法の行使を補助する役割を持つもの。どちらも魔法士には必須とされるものだ。
そのどちらもがオフィリアでも分かるほどの素材と技巧を凝らされたもので。
緩む涙腺を悟られないように、頭を下げる。
「ありがとうございます……!」
「行っておいで」
つらくなったら帰ってきてもいいんだから、とラグネ師範は続け。
泣きたくなるくらいに嬉しい贈り物を受け取り、オフィリアとリュカは<白の学塔>を去って行く。
その道中でオフィリアは決意をする。
普通ではない自分を愛してくれた人がいるのであれば、その人たちに恥じない人になると。
「ねえ、リュカ」
「なんだ?」
「この旅でわたしは普通の魔法士になる。血筋に囚われない、普通の魔法士に」
ふたりの旅はこうして始まる。
自身の血にまつわる宿命に向かって。
己の宿命を、オフィリアはまだ知らない。