18:助けるリオン
「なあ、あいつ苦手なものないのか?」
「あいつって誰?」
遊ぶ日を週三回に増やしたおかげで合う回数が増えたリオンが、シャーロットに訊ねる。
「あいつだよ! 銀髪のいけ好かないやつ!」
「ハロルドね……」
ハロルドと会わせた日から、リオンはハロルドについてよく訊ねてくるようになった。
「えー……特に思い当たらないけど……」
「いや、あるはずだ。教えろ」
「思いつかないって言ってるのに……?」
なんという無茶ぶり。こういうところは変わらない。
言われたので改めて考えてみたが、やはり思い浮かばない。
我が幼馴染ながら、人格、外見ともに完璧な男である。
「絶対あるはずだ……見つけてやる……」
よくわからないことに執念を燃やしている。まさかまだ相手の弱点を探して脅したりしているのだろうか。それだったら問題だ。しかしハロルドはシャーロットの知る限り弱点などないので大丈夫だろう。
「どうしてそんなにハロルドのことを目の敵にするわけ?」
リオンがギクリと動きを止めた。
「いや、だから、その…………お前とよく一緒にいるから……」
「え? 何? 声が小さくて聞こえない!」
ボソボソしゃべってシャーロットにはまったく内容がわからない。
「なんでもない!」
リオンは顔を赤らめてそっぽを向く。そんなリオンの様子に首を傾げたが、ハッとシャーロットは気付いた。
「まさか、ハロルドのことが好――」
「それ以上言ったら怒る」
「すみません」
違った。
これだけ興味を持っているのだからもしかしてもしかするのでは? と思ったが当てが外れた。
「そろそろ、授業の時間だ」
リオンがシャーロットに告げる。リオンの授業中はさすがにシャーロットは部屋を出なければならない。
「じゃあ、また後でね」
「ああ」
リオンに声をかけてシャーロットは部屋を後にした。扉を閉めて、背中でもたれながら、ふう、と深く息を吐き出した。
「嫌だなあ……」
思わず漏れてしまった声に慌てて口を塞いだ。誰かに聞かれてはいけない。
シャーロットはもう一つため息を吐いてから、リオンの部屋から離れた。
◇◇◇
シャーロットにはリオンの遊び相手として、城の客間を一室与えられている。リオンの授業中だったりするとただ待つことになるのでその時間を有効活用しようというのだ。
ありがたいことに、王家持ちで教育係からシャーロットも勉強を教えてもらっている。
国を追放されて、薬の開発でのちのち資金はできるにしても、現在そこまでお金がないシャーロットとしては、無料で学べるのは嬉しい。
しかし――。
ペシン!
手を叩かれた。
「動作がなっておりません。もう一度」
「……申し訳ございません」
今は令嬢としての礼儀作法の勉強だ。といってもシャーロットは昔隣国の王太子の婚約者だったのだ。七歳の頃から徹底して学んでいたので、そうそう粗相をすることはない――はずである。
なのに叩かれた。
まったく納得いかないが、王家が善意で用意してくれた教育係であるため、ぐっと堪え、シャーロットは不承不承謝罪した。
しかし。
ペシン!
再び叩かれる。
はっきり言って叩かれるような失敗はしていない。自分で言うのもなんだが完璧だったはずだ。
この教育係は初めからこんな感じだった。初めの頃は、教育係が舐められないようにあえて厳しくしたのかと思ったが、その後も変わらずこの様子である。
おそらくただ難癖付けたいだけだというのはもう気付いている。
しかしこの教育係の授業以外では問題ないため、シャーロットは我慢していた。
突然他国からやって来て住み着いて、気付いたら爵位までもらい、さらに王太子の遊び相手に選ばれた。そういった、美味しいとこ取りしたと言えなくもないシャーロットの家を気にいらない人間も多い。この教育係ももしかしたらそういう人間なのかもしれない。
「まったく……そんな不出来だから婚約破棄されるのですよ」
シャーロットの婚約破棄をどこかで聞いたのか。貴族というのは噂話が好きだし、この国に来た理由が理由だから、知られているのも無理はない。
無理もないが、シャーロットはイラッとした。
婚約破棄の理由が不出来とはなんだ。はっきり言って不出来はあの馬鹿な王太子の方だ。不出来すぎてシャーロットが王太子の分まで勉強していたというのに!
そう言ってやりたいが、反論すると面倒なことになるのが目に見えたので、我慢した。
我慢していたが。
「おい、今なんて言った?」
リオンが我慢できなかったようだ。
授業が早く終わったのだろう。ノックもなしに扉を開け放ったリオンは、おそらく室内に入る前に、この教育係とシャーロットのやり取りを聞いている。
シャーロットの前では意地の悪い顔をしていたのに、リオンが現れると、途端に顔を青くする。
「い、いえ、なにも言っておりません」
「お前は俺の耳がおかしいと言いたいのか?」
「い、いいえ!」
自分ははっきり聞いたと遠回しに言われ、教育係が滝のような汗を流す。
「こいつの婚約破棄のことは俺も知っている。でもそれは、向こうが不貞をしたからで、こいつは何も悪くない」
リオンが知っていたことにシャーロットは驚いた。噂話には興味がなさそうだし、今までそんなことを知っているそぶりを出さなかったからだ。てっきり王妃辺りがリオンの耳に入らないようにしているのかと思っていた。
「それを知っていて、お前はそういうことを言っているのか?」
「いいえ!!」
「それから、お前、こいつのこと、叩いてたよな?」
「いえ、そのようなことはしておりません……!」
顔を青白くし、自らの手を力いっぱい握っていることから、動揺しているのだろうことが見て取れた。それもそうだろう。教育係の名のもとに、貴族令嬢をいじめていたのがバレたのだ。それが真実だと知られたら後はない。
しかもよりによって知られたのが王太子だ。言い逃れは不可能だった。
「お前、前に俺の教育係をしていたやつの親戚なんだってな」
教育係の肩が震えた。
シャーロットは前にリオンに馬鹿な教えをしていた教育係のことを思い出していた。
確かに似ている。腐ったやり方が。
「大方あいつに言われてやったんだろうが、そんなことしてただで済むと思っていないだろうな。前は穏便に済ませたが、お前もあいつも、今度はより厳しい処罰になる。二回目だからな」
「もっ、申し訳ございません!」
教育係が頭を下げた。何とか許してほしいのだろう。自分のこれからを考えているのか、教育係の震えは止まらない。
しかしリオンはそれを見下ろす。
「わかってないな。お前が謝る相手は俺じゃないだろう」
「あ……」
教育係は唇を震わせ、もはや青いを通り越し、土気色の顔色でシャーロットに向き直った。
「シャーロット様、申し訳ございません……」
「残念ながら、許す気にはなれません」
シャーロットに悪いと思っておらず、保身のための謝罪などもらっても何も思わない。形だけのそれを受け入れなければいけない必要がシャーロットには一切なかった。
シャーロットにバッサリ切り捨てられた教育係は、カタカタと歯を打ち鳴らした。
こんなに小心者なのに、なぜこういう行動をしてしまうのか。
「また後で連絡がいくだろう。出ていけ」
この後自分がどうなるのかを悟っているであろう教育係は、それ以上反論もせず、俯いて静かに退室した。
パタン、と扉が閉まると同時に、リオンがシャーロットに向き直った。
「どうして俺に言わなかった」
「だって、ただで勉強を見てもらっているのに悪いじゃない」
自分の家のお金で雇っている教育係ならなんとでもなるが、王家にお金を支払ってもらってる身の上では、不平不満は言いにくい。
「お前はここにいる間、王家の客人だ。それなりの態度で過ごせ」
リオンの言葉を聞いて、シャーロットはハッとする。
確かに客人であるシャーロットが我慢し、相応の対応をされないのは、王家にとってもよろしくない。
シャーロットは深く考えず、自分が我慢すればいいと思っていた自分を恥じた。
「そうね。これからはきちんと言うわ」
「そうしろ。叩かれた手はどうだ?」
リオンがシャーロットの手を取る。
さきほど叩かれた手の甲が赤くなっているのを見て、リオンが顔を顰めた。
「あいつ、こんなに強く叩きやがって」
ギリギリと歯を強く噛み締めるリオンに、シャーロットが慌てて宥める。
「だ、大丈夫よ、そんなに痛くないし」
「いいわけあるか! 俺は、お前が傷つくのが――」
そこまで言ってリオンは言葉を切った。
「? 何?」
不思議に思い、続きを訪ねる。
「な、何でもない!」
リオンが顔を赤らめそっぽを向いた。赤面する場面はどこにあったか、シャーロットは考えたがわからなかった。
リオンはまだ少し赤い顔をしながら、シャーロットの手を引いた。
「それより医務室に行くぞ!」
「え? 大丈夫よ。そこまでじゃないわ」
ペシリと叩かれただけだ。時間が経てばすぐに治る。
「いいから行くぞ!」
シャーロットの手を握ったまま、リオンが歩き出す。手を振り解こうと思ったが、なんとなく、もう少し握っていたい気になって、そのまま歩いた。