15:暴君になった原因その2
「さて、今日は何をしようかな」
一週間に一回来るように言われているシャーロットは、再び王城を歩いていた。前回案内してもらって大体の道は覚えたので、もう案内役は一緒にはいない。
前回はじゃんけんを教えてかくれんぼをしたから、今日は鬼ごっこでもしようか。
シャーロットに弟や妹はいない。薬草や薬研究馬鹿な兄がいるだけだ。実は下に兄弟の欲しかったシャーロットはリオンと遊ぶのは嫌ではなかった。
――懐いてくれてるっぽいしね!
「殿下はただいま勉強の時間ですので、もうしばらくお待ちください」
リオンの部屋に向かっていると、部屋の前にいた侍従に引き留められ、リオンの部屋の近くの応接室に連れてこられた。どうもタイミングが悪かったようだ。
婚約破棄してからしばらく座っていない質のいいソファーでシャーロットは居心地悪く身動ぎする。
「出直しましょうか?」
「いえ、あと三十分ぐらいで終わると思いますので、出直すよりは待たれたほうがいいかと思います」
確かにその程度なら待つのは問題ない。もう一度出直すほうが手間だ。
侍従の言葉に従い、シャーロットはリオンを待つことにした。
チクタク、と応接室に備え付けられた時計から音がする。
「暇だわ」
早々に飽きた。三十分何もしないのはなかなかに苦痛だ。
シャーロットは侍従が置いて行ってくれた紅茶を飲み干すと、ほっと息を吐いた。
「じゃ、覗きに行きますか」
飽きたシャーロットの決断は早かった。
あの生意気な子供がどんな風に勉強しているのか覗く。今のシャーロットの頭の中はそれでいっぱいになった。
多少大人びていても、シャーロットはまだ十二歳。好奇心に勝てないお年頃だった。
応接室の窓からそっと抜け出したシャーロットは、そのままリオンの部屋の窓まで辿り着いた。
「どれどれ」
シャーロットが窓から覗くと、真剣に何かをノートに書き写しているリオンが目に入った。
――きちんと勉強はしてるのね。
てっきり勉強も嫌がってわがままでも言っているかと思ったが、見た限りそんなことはなさそうだ。
そういえば、この間話したときも、王族としての自覚はあるようだった。あの年で上に立つ者としての自覚があるとは大したものだ。性格は難ありだけど。
そっと窓に耳を寄せると、声も聞こえた。
「――それではいいですか。常に人の上に立つ者として、相手より優位に立たなければいけません」
ん?
シャーロットはおかしい言葉たちが聞こえてきて動きを止めた。
相手より優位とはどういうことだ。他国との交渉のときになるべくそうなるようにするということはあるが、常に相手より優位という教えはしないはずだ。
シャーロットは王族の勉学には明るいのだ。なぜなら次期王太子妃だったので。
「優位って?」
リオンが訊ねた。
「相手にはこちらが上だということをわからせるために、偉そうな態度でいなければなりません」
そんなわけない。なんだこの教育係。
偉そうな態度をする王族など碌なものじゃない。偉そうにするのではなく、威厳があり尊敬されるのが王族である。この二つの間には雲泥の差がある。
「私の言うことを聞いていれば大丈夫です。これは殿下のためですよ」
どう考えても大丈夫ではない。身分を笠に着て偉そうにしている王族などもっての外だ。
これほど真逆の教えを説く教育係がいるとは驚きである。
というよりお前もだな。お前もリオンの人格形成に大きな影響を与えているだろう!
どうしていくら親バカだとしてもここまでのボンクラに、とは思っていたが、教育係がこれではボンクラにもなる。
誰だ! こいつをリオンの教育係にしたのは!
「コネに違いないわ……絶対そう……!」
思いつく限りの罵詈雑言を浴びせてやりたい気分だった。
そしてシャーロットが一番気になるのは「私の言うことを聞いて」という部分である。
リオンはこの国唯一の王子で王太子である。つまり、将来的には王になる。私の言うことを聞いて、という言葉の意図は、その王を孤立させ、自分が思うように動かせるようにしてやるということなのだろう。
――なんてやつなの! 絶対許せない!
シャーロットが一言言ってやろうと窓枠に手をかけた。
「それは嘘だろう」
シャーロットは手を止めた。
「な、何を申されるのです……!?」
教育係が動揺しているのが、その声だけでわかった。
きっとリオンは今までこの教育係の言うことを鵜呑みにしていたのではないだろうか。だから教育係は反論されることを予想していなかったのだろう。
「この態度をよく思わない人間に会った。たぶん今までみんなを不快にさせていたんだろう」
おそらくシャーロットのことであろう。シャーロット以外は誰も指摘していなかったから。
「言われて、みんなの反応を見れば、俺も自覚する。今までの行動を顧みる機会ができた」
人間、言われなければ、教えられなければ、わからないことがある。
幼ければなおのことだ。
「王はただ偉そうに踏ん反り返っていればいいわけじゃないと知った」
きっとあの爆発事件のあと、王妃や王と話をしたのだろう。前回会ったとき、まだ偉そうだったが、きっとあのときシャーロットに指摘されてはっきりと自覚したのだ。
「殿下、私は殿下が家臣に舐められる王にならないようにと、その一心で……!」
教育係は必死で言い訳していた。それもそうだろう。意図的に王子を傲慢になるように教育していたとなれば、反逆の意思があると捉えられかねない。そしておそらくそれは間違いではないのだろう。
「殿下、どうかおわかりください……私はあなたのために……」
「そんな言葉を信じるほど俺は馬鹿だと思われていたわけだな」
猫なで声を出す教育係に、リオンがため息を吐くのがわかった。
「お前が俺にどのような教育をしていたのか、すでに両陛下はご存じだ。今日わざわざ呼んだのは、俺が直接自分で、一度はっきり言っておきたかったからからだ」
教育係の「そんな……」と言う震える声が聞こえた。
「お前にはそれなりの罰があるだろう。沙汰を待つんだな」
教育係は悔しそうに歯ぎしりしたあと、バンッ、と大きな音を立てて扉を閉めた。部屋から出て行ったのだろう。
ドンドン、と品のない足音が聞こえる。気が立っているのだろうか。それはそうだ、だって彼にはもう後がない。
品のない足音が遠ざかるのを聞きながら、シャーロットは窓をトントンと叩いた。音に気付いて振り返ったリオンが目を見開く。
「シャーロット!」
リオンが足早に近寄って、窓を開けた。シャーロットは開いた窓から軽やかな動きで室内に入ると、リオンの手を取った。
「すごいじゃない、リオン!」
シャーロットは興奮していた。
「全部聞いていたわ! 私あなたのこと甘やかされたお馬鹿さんだと思ってたのに、言うときは言うじゃない!」
「おい、正直すぎるだろ!」
失礼極まりない発言をするシャーロットに、リオンが不満の声を漏らすが、本当のことだから撤回はしない。
「偉い偉い」
シャーロットはリオンの頭を撫でると、リオンは恥ずかしそうにしながらも、その手を払わなかった。
「お前にこの態度があり得ないと言われて、俺なりに考えたんだよ。今までは偉そうにするのが正しいと言われていたから疑いもしなかったけど、よく考えたらおかしい。父上は部下にそんな態度取らない。あいつは俺を孤立させたかったんだな」
「どうしてあの人の言うこと素直に聞いちゃったの?」
「あいつが俺の教育係になったのは俺が四歳のときだ。その歳なら疑うなんて知らないし、色々な審査を経てやってきた、侯爵家ゆかりの教育係がそんなことをするだなんて、誰も思わなかった。父上や母上の前では、あんな発言はしなかったしな」
なるほど。四歳の子供なら、大人の言うことも、そう疑わず、そういうものだと言われたら信じてしまうだろう。
侯爵家ゆかりの教育係ということは、おそらくリオンを何にもできない王にして、侯爵家とその派閥が実権を握ろうと画策したに違いない。
「あなた……大変ね……」
元婚約者はまともな教育係をつけられていたが、生粋の馬鹿だった。だがリオンの場合、意図的にそうなるようにされていたのだ。憐みすら覚えてしまう。唯一無二の王子様って大変だ。
なでなでなでなで。
自然とさきほどよりしっかりと頭を撫でていた。小さな声で「やめろ」と聞こえるがそんな可愛い反抗でやめるわけがない。ツンツンしながら撫でられる様子はまるで猫のようだ。
シャーロットは満足するまで撫でまわすと、ふう、と息を吐いて備え付けられている椅子に座った。
「大人たちがあの教育係を成敗するのを見ていればいいだけなのに、自分でけじめつけようとするところが偉いわ」
「はっきり言ってやりたかっただけだ!」
リオンも椅子に座り、シャーロットから顔を逸らした。だが、首が真っ赤である。
照れている。
生意気な言動は相変わらずあるが、反応は年相応だ。
「それに……」
「それに?」
「俺だって次期国王だ。王として恥じない人間になりたい」
いつの間にか背けていた顔を正面に戻し、真剣な目でそう語るリオンにドキリとする。
七歳と思えない真剣な眼差しに、心なしか顔に熱が集まっている気がする。
「どうした? 顔が赤いぞ」
気のせいではなかった。本当に赤面していた。
「べつに何でもない!」
リオンにときめいたことがバレたくなくて、シャーロットはそっぽを向いた。
――顔が! 王妃様譲りのその美しい顔が悪いのよ!
顔を合わせないシャーロットを、リオンは不思議そうに見ていたが、それ以上突っ込んでこなかった。
「ふうん? それで今日は何する? 毛虫取りでもするか?」
「絶対いや!」