01:婚約者が別の女を連れています
シャーロットは十二歳の今日までこの国の王太子と婚約していた。
「シャーロット! 貴様との婚約を破棄する!」
おそらく今この瞬間までは。
シャーロットは婚約者である王太子を見た。
濡れカラスのような艶のある黒髪に、神秘的な赤い目で、顔はさすが王子様というべきか、大変整っている。よくご令嬢にキャーキャー言われているのを知っている。
だがシャーロットからしたら見た目だけ良くてもどうにもならないと思う。
中身もちゃんとしていたらおそらくこんなところで婚約破棄はしないはずだ。
シャーロットがいるのは、王城の広間。
今回不在にしている国王夫妻の代理としてパーティーを主宰している王太子のパートナーとして呼ばれたはずなのに、その王太子は迎えに来ないわ、仕方なく自分の馬車で向かえば、まったく知らない少女を隣に侍らせているわ、どこから突っ込んだらいいのか追いつけずにいたら、この事態である。
――絶対国王陛下が不在なときを狙ったわね、この馬鹿。
馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれど真正の馬鹿だったとは。馬鹿ほど救えないものはない。
「おい、何とか言ったらどうだ!」
ざわざわと混乱した様子の周りは目に入らないのか、濡れカラスならぬ馬鹿カラスの王太子がシャーロットに怒鳴る。この王太子のこのすぐ怒鳴るところが嫌いだった。というか正直にいうとすべてが嫌いだった。
国王にお願いされて仕方なく結んだ婚約でなければ、速攻で解消する程度に嫌いだった。
「リチャード様、シャーロット様もきっとショックを受けているんです」
ショックは受けている。あまりの馬鹿さ加減に。
王太子であるリチャードの隣にいる少女が、潤んだ瞳で彼を見上げる。
愛らしいピンクのふわふわした髪を揺らし、黄色い瞳を潤ませる姿は庇護欲をそそる。弱々しく可愛らしいその姿は、なるほど、シャーロットとは正反対である。
そんなシャーロットの容姿はというと、手入れはされているので綺麗で艶はあるが、よく見る茶色い髪に、空色の瞳は綺麗で気に入っているが、その瞳で甘えることなどできない、芯の強さがある。この予測不可能な事態に対しても、背筋をスッと伸ばし、決して取り乱さない。
容姿から性格まで、何もかもこの少女とは違う。おそらく、リチャードの本来の好みはこういった愛らしい女性なのだろう。
可愛らしい少女に見上げられた途端、リチャードがデレっとした顔になった。すっかり骨の髄まで虜にされているらしい。
ただでさえ馬鹿なのに、馬鹿丸出しの表情をしないでほしい。
「ベリンダ、君はこんな女にも優しいんだな」
優しいと言われてベリンダという少女が頬を染めた。しかし、シャーロットはしっかりとこちらを見て勝ち誇った表情を浮かべたのを見逃さなかった。
――こわっ! 女怖い!
まだ自分と同じ十二歳の少女とは思えない表情に、シャーロットはドン引きした。弱冠十二歳にして女が出来上がっている。怖い。今がこれでは将来を考えるともっと怖い。
ベリンダはピンク色の髪を揺らし、リチャードにしがみ付いた。
「きゃっ、シャーロット様が睨んでくるぅ……」
「シャーロット、貴様……! ベリンダをいじめるだけでは飽き足らず、また睨んでベリンダを怯えさせるというのか……!」
睨んだというか呆れた視線を送ったのだが、通じなかったらしい。
というか、いじめたとはなんだ。シャーロットは生まれてこのかた、人をいじめたことはない。
むしろリチャードの婚約者として嫌がらせを受けていた。シャーロットが望んだことではないし、なんなら誰かに譲りたかったが、残念ながら、リチャードの婚約者はシャーロットであった。
リチャードは顔はいい。中身は最悪だとシャーロットは思っているが、あの容姿と王太子という身分に目が眩む人間は少なくない。
王太子妃になりたいと妬む少女。自分の娘をその座に付けたかった親たち。色々な人間がシャーロットを敵視してきた。
きちんとやり返したけれど、婚約者という立場など、あげられるものならあげたいぐらいだった。
何でみんなこの馬鹿の婚約者になりたがるんだ。たとえ王になったとしても、支えるのが大変なレベルで馬鹿なのに。おかげでシャーロットはリチャードの分まで勉強を詰め込まれていた。理不尽だ。
「いじめとは何のことです?」
シャーロットが一応聞いておこうと訊ねる。まったくもって身に覚えがないが聞いておくに損はない。だって絶対濡れ衣着せようとしている。
「貴様、しらを切る気か!」
「シャーロット様、ひどいですぅ!」
何でこの二人は二人だけでこんな楽しそうなんだろう。こちらを置いてきぼりにしないでほしい。二人の世界は二人だけのときに展開してくれ。
「で、何のことです?」
まったく動じずにまた訊ねると、ピンク髪の少女がさっきまで泣いていたあとをまったく見せずにシャーロットを睨みつける。嘘泣きが最高に下手なタイプだなと思った。もう少し大人になったら涙も自由自在になりそうなタイプではあるが。
「私のドレスを刻んだり、取り巻きを利用して孤立させたり……あと……あと私に悪口を言ったりしていたじゃないですか!」
最後思いつかなくて今考えたなと察せられる溜め方だった。
つまり言うまでもなく全部嘘だ。
訴えすらボロを出すばかりで馬鹿の相手は馬鹿なのだなという感想しかない。
「ベリンダ、かわいそうに、こんなに怯えて……!」
どう見ても怯えずにこちらを睨みつけているのだけれど、きっとリチャードには何かフィルターがかかっているのだろう。でなければ頭だけでなく目もおかしい。
三文芝居を見せられているシャーロットは、ため息を一つして、片手を上げた。
「ひとまず、申し上げたいのですが」