第38話 常識を破るために
「何……?」
身動きを封じられると同時に、神器から溢れていた光も消えた。勇者は声の方へと視線を向け、舌打ちを溢す。
「チッ……まさか、君が邪魔してくるなんてね」
彼に釣られて、トウマも目を向けた。
薄汚れたフードを被った少女が、駅のホームに立っていることに気づいた。
そして、トウマは目を見開く。
震える声で、呟くように、彼女の名を溢した。
「ルミア……ちゃん……?」
死の淵に立たされたトウマを助けたルミアは、緊張した面持ちで勇者を睨んでいた。
「……何のつもりだ、これは。まさか、君は僕らを裏切り、魔王に手を貸すことにしたのかい?」
「わ、私は……」
ルミアは人間の味方だ。エルフである彼女が、魔族の味方をするはずがない。
だが――。
「私は、魔族と人間が、もっと共存できるようになるべきだと思う! だ、だから、彼は殺させない……ッ!」
杖を構えて勇者に警戒を向けながら、ルミアは言った。敵に寝返ったともとられる台詞。勇者は目を鋭くさせ、ルミアに疑念をぶつけた。
「……つまり、本格的に人間を裏切るというつもりか。魔王に何をされたか知らないが、人間を裏切るというのなら、僕は君を殺さないといけない」
「ッ……! やめろ、貴様は俺だけを殺せばいいだろう!?」
「黙っていろ、魔王」
脅すような低い声が、トウマを射抜いた。押し黙ると、勇者は苛立たし気に拳を握りしめた。
「……どの道、俺にルミアは殺せない。皇帝陛下が必要としているからな」
意外な名前を出され、ルミアの目が丸く開かれた。
「へ、陛下が、どうして私なんかを……」
「君には利用価値があるからさ。詳しい事情は知らない。ただ、ルミアを必要としているのは確かだ」
視線をルミアへと戻し、勇者はそう告げた。
「つまり、僕がこの世界に来たのは、神器の回収だけが目的じゃない。君を連れ帰る役割もあったのさ」
「待て! 貴様ら人間は、ルミアちゃんをよく思っていないのだろう!? なのに、なぜ今さら……」
「だから、僕は知らないと言っている! 必要としているのは陛下だ!」
苛立たし気に勇者は叫び、胸の裡に沈めた不満を爆発させた。
「僕だって、こんな奴は殺してしまいたい! どうしてこの勇者たる僕が、目障りな神官を連れ戻しに魔界まで来なければならない!? どこにいても目障りで、僕の理想の邪魔ばかりするくせに……こんな奴、生きている価値などないくせに!!」
「それが貴様の本心か。ならば、やはり死んででも食い止める!」
「やはり、君は僕を止めるつもりか? ああ、何でこうも君は……君たちは、邪魔な存在なんだ……!」
光の鎖に縛られた勇者は、恨み言を口から吐き溢した。
「僕は選ばれし人間なんだぞ。だから、世界は僕の思い描いた通りに回るべきなんだ。僕が望むものは全て与えられ、僕が要らないと思った存在は須らく消し去る……それが、世界の正しいあり方のはずなんだ……!」
そう言って、勇者はキッと鋭い目を地面に座り込むトウマへ向けた。さらに歯噛みし、「なのに……」と、続けて蓄積した怒りを吐き出した。
「どうして君やルミアは僕の邪魔ばかりする!? 僕の思い通りに行かない世界など、おかしいに決まっているだろ!」
「世界は貴様を中心に回っているわけではない! 世界中の者が手を取り合い、支え合うことで世界は成り立っているのだ!」
「違う! 選ばれた僕は特別なんだ! 何をしても許されるし、どんな未来も僕の思い通りにならなければおかしい! 世界は、そのようにあるべきなんだ!!」
勇者は、たった一人の人間が選ばれる存在。
故に、彼は自らを特別な存在だと信じて疑わない。
だが、そんな考えは確実に間違えている。
人も魔族も、互いに助け合って生きていくという本質は変わらない。一人では、決して生きていけないのだ。
「貴様は、まるで自分一人で生きていけると思っているのだろう。しかし、どれだけ力を持っていても、貴様だって誰かに助けてもらっているはずだ。それを、まるで一人で世界のすべてが回っているかのように言うのは間違っている!」
仲間を喪失する辛さは、トウマが一番知っている。自らが魔王になってからというもの、城に仕えていた魔族が次々離れていったのだから。
勇者はトウマの言葉を鼻で笑った。あからさまに軽視し、小馬鹿にした口調で返してくる。
「下らない戯言だな。僕が誰よりも特別だということは、人間界の常識だ。ルミアも分かっているだろう?」
ルミアに水を向け、勇者は湧き出る怒りを隠そうともせず目を眇めた。
「僕にこんなことをしていいと思っているのか? 殺すことは出来ないが、死にたくなる苦しみを与えることは可能だぞ」
勇者は冷たく言い放ち、光の鎖で縛られた身体を無理やり動かした。ルミアがさらに魔力を高めて強く縛ろうとする。しかし、勇者の動きは止められない。
ついに限界を迎えた鎖が、ガラスが砕け散る音を立てて霧散した。
ルミアの魔法が効かない。
そう把握した瞬間に、勇者は振り上げていた剣でトウマに襲い掛かって来た。
振り下ろされる銀閃に、トウマは反応が遅れる。銀の剣身から伸びた光が迫り、身を焦がすような熱を感じた。
目を灼くほどの閃光を前に、トウマは腕で顔を覆い、目を瞑った。次の瞬間に、自らの身体が蒸発するほどの熱で焼かれる――そう、脳裏に危機がよぎった瞬間。
「待ってッ!!」
ルミアが叫んだ。
薄く目を開ければ、光はトウマの鼻先で止まっていた。その向こうで、勇者はホームに立つルミアへと視線を向けている。
視線を追うように、トウマもそちらへと顔を向けた。
ホームに立ったルミア。
その首に、魔法で作られた光の剣が付き立てられていた。
光の剣は、ルミアが作り出したものだ。彼女の持つ杖の先端。そこにつけられた青い宝石が光を放っている。
「な、何をしているんだ、ルミアちゃん!」
驚愕に声を震わせるトウマ。
ルミアは彼を一瞥し、僅かな逡巡を見せる。しかし、一つ瞬きをすると、覚悟を決めたように勇者へと告げた。
「……私、人間界に戻るわ。だから、彼には手を出さないで。――手を出すなら、わ、私は、死んじゃうからっ!」
声は震えていた。
恐怖が伝わってくる。
本当は、死に体などと思っていないのだ。
トウマを助けるために、身体を張っているに過ぎない。恐怖するのも当然。
ルミアが恐怖しているのを感じ取った勇者は、肩を震わせて笑い出す。
「ははっ。震えてるじゃないか。確かに、君に死なれると皇帝陛下に何と言われるか分からない。それは困ることだ。だけど、君は死ねない。死ねるはずが――」
「覚悟なら、出来てるから」
勇者の言葉を遮り、ルミアは目をギュッと閉じた。
瞬間、空中に浮遊していた光の剣が、ルミアの首筋を僅かに裂いた。白い肌にジワリと血の雫が浮かぶのを見て、勇者は慌てて叫ぶ。
「やめろ!」
「や、やっぱり、私が死ぬのはダメなんでしょ? だから、トウマを開放して……!」
「待つんだ、ルミアちゃん! 俺はこんな奴に負けたりしない! だから、君が犠牲になる必要なんて……」
「ダメなの……トウマでも、神器には勝てない……!」
その時、ルミアの頬に涙が一筋、流れた。翡翠色の瞳を濡らし、彼女はトウマへと視線を向ける。
「神器は、世界を一つ、滅ぼせるから……絶対に、その剣には勝てないの……」
「まさか、ルミアちゃんも神器のことを知って……!?」
トウマの問いかけに、ルミアは震えながらも首肯した。
「……知ってたわ。けど、作り方は知らなかったの! まさか、こんな酷いことをして作ってるなんて……!」
さらに唇を噛み、悔しさを露わにする。
ルミアは人間だ。魔族の敵で、魔族がどうなっていようと同情する必要のない存在。
けれど、今の彼女は魔族を敵だと思っていない。魔族と人間が共存できると思い、現状に抗おうとしている節さえ見受けられる。
「だから、私は人間界を変えたい! 魔族は敵なんかじゃないって、そう思ってもらいたいの! そのためにも、人間界に戻る。そして、皇帝陛下に会うわ」
「……皇帝陛下がどうして君を必要としているかは分からない。ただ、そんなことを言えば、ここで死ななくとも後で死ぬことになるぞ」
「それで死ぬのなら構わないわ。魔族を傷つけた贖罪があるもの……」
ルミアは勇者と共に旅をし、魔族と戦ってきた神官だ。
直接手を下したことはないかもしれない。神官は後方支援がメインで、自らの手を汚すことはあまりない。
それでも、勇者と一緒に魔族を傷つけてしまったことに変わりはない。
「だから、お願い……トウマを傷つけないで。私があなたと一緒に人間界に戻るから、彼を赦して……!」
ルミアが涙を孕んで必死に訴える。
双眸を涙で濡らすルミアへ、勇者は憎々し気な視線を向ける。自分の思い通りに動かない彼女が、よほど気に入らない様子。
しかし、同時に勇者は神器に集めていた魔力を霧散させた。神器から伸びた光が消失し、その剣を腰に佩いた鞘へ戻した。
戦意を収めた勇者は、頭を掻きむしる。そして、吐き捨てるように言った。
「……仕方ない。皇帝陛下のご命令だ。いくら勇者でも、あの人には逆らえない」
傲慢な勇者でも逆らえない『皇帝』という存在。
まだ見ぬ未知の権力者に、トウマは身体が震えるのを感じた。一体、皇帝はどんな人間なんだ……。
だが、そうして考えている間に勇者はホームへと上がった。
自らの首に光の剣を突き立てていたルミアは、彼が正面に立ったところで剣を消した。
「まったく……僕は君が大嫌いだ。すぐに殺してしまいたい」
嫌悪感を隠すこともなく言い放ち、勇者はルミアの細い腕をおもむろに掴んだ。視線を階段へ向けると、彼女を引きずるようにして地上に向かって上がりだす。
「や、やめろ……ルミアちゃんを連れていくなッ!!」
慌ててトウマは立ちあがろうとした。
せっかく助けたルミアを、連れ去られてたまるものか……!
だが、足が動かない。
視線を下ろせば、光の鎖が足を縛っていることに気づいた。
ルミアの持つ杖が光っていることから、彼女が作り出したのだと、トウマは瞬時に理解した。
「何故だ……どうしてだ、ルミアちゃん!!」
「……トウマ」
勇者に引きずられながらも、ルミアはトウマに振り返った。涙混じりの瞳。しかし、その表情は。
「ありがとう、助けてくれて」
ルミアは笑っていた。
無理やり作った笑みは、ぎこちない。硬くなった粘土を無理やりこね回して作ったような、不格好な笑い方だ。
それが、ルミアの精一杯の虚勢だと気づく。感情を押し殺してでも、トウマを安心させたいという気持ちが伝わってきた。
トウマは歯噛みし、階段の上へと向かうルミアへ必死に手を伸ばした。
掴むのは空気ばかり。
ルミアを捕らえることは、できない。
「行かないでくれ、ルミアちゃん! 俺は……君がいないと、ダメなんだッ!!」
慟哭したその言葉に。
「……ごめんなさい」
ルミアは振り返ることなく。
勇者と共に、姿を消したのだった。
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