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「右側がある女を、秘密裏に処分した事を知っているか?」
「?」
「さすがに、境会を敵視していることくらいは知っているな?」
カチリカチリと手首のボーガンを片手で組み立てる。そして人の流れが途切れる瞬間を待つ。
「今日は彼女と一緒ではないのかい? 可愛い弟よ」
褐色の顔、美しい顔に残る傷痕を隠すように、手にした紙をヒラリと翳す。
「!?」
転写された紙にはアーナスターと女が一人。ナイトグランドの門から出てくる姿を写したもの。
「証拠は捏造出来る。お前が私を犯罪者と仕立てた様に、同じことを私が出来る事を忘れるな」
「何の事ですか?」
「境会に属する聖女が、足繁くナイトグランドに通い、そこの次男と深い恋仲だと知ったら、右側はどう思うだろう」
「…陳腐な風評です。右側には意味がない」
「あのお嬢様は、そうは考えないかもしれない。お前が思う以上に相当に純粋だから。フフ」
「……」
「お互いに、面倒事は最小にしたいと思わないか? 可愛い弟よ」
「……」
笑顔で真横を過ぎ去ったグラエンスラー。アーナスターは、組み立てたボーガンを向けること無く、その場に立ち止まった。
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およそ百年前に造られたという、石重ねの小さな塔。それはダナー城を取り囲む森と、サテラの街の片隅に一つ。
道案内の様に文字が彫られるが、誰も読むことが出来ない飾り文字。異国語でも呪文でもない子供の落書きは、昔、幼児のリリーがよく紙に描いていたものに似ていた。
ーーガッ!!
縦に一線。メルヴィウスの剣が中央からそれを両断した。
「こんな物が、我らの領地にあったとはな」
今までは道の装飾の一部と捉えていた、右と左に分かれて倒れた石の塔。呪いに関わる異物に目を眇めて、メルヴィウスは急ぎ王都に向かった。
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中央には境会の象徴である二重の円。その飾り幕の真下に配置された教壇に、壮年の男が立っている。
「主祭司クラウンに、ご挨拶申し上げます」
エンヴィーが呼び出された大講堂には、珍しく赤い外套の主祭司の一人が待っていた。
「よく来たね、祭司エンヴィー。他でもない。君が例の件を担当していると聞いたので来てもらったんだが、少し、実行を早めてほしいのだよ」
「……大公女の件ですか」
「そうだ。主祭司オーカンがお怒りでね。それに核にも余裕が無い。あと二度の召喚は可能だろうが、実際、そればかりに使ってもいられないからね」
「……」
「もうすぐ春が来る。そうなれば、大公女様は十七歳になられてしまう」
「……」
「君は皆と違い、幼い頃から寂しい思いをしてきたと聞いてるよ。今回、大公女の件が片付いたら、きっと主祭司オーカンは、君を認めて下さるだろう」
笑顔のクラウンは、壇上からエンヴィーを見下ろし微笑む。
「励みなさい」
闇色の瞳でそれを見上げたエンヴィーは、軽く会釈して大講堂を後にした。
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「お久しぶりね!」
振り返ると、アーナスターが求めていた本物が立っていた。中庭に続く回廊から出てきたリリーは陽射しを浴びて、波打つ黒髪はキラキラ輝いている。
「あ、…………ぉ…………」
全身の血流が駆け巡る。緊張に身が固まり、全く声が出てこない。
「…………」
大きな蒼い瞳は、逸らされずにアーナスターをじっと見つめたまま。だがその澄んだ瞳が、アーナスターの内面を透かし見ている様に思えた。
脳裏に翳されたのは、グラエンスラーが手にした転写紙。
「お元気にしていたかしら?」
陳腐な風評だと言い切ったアーナスターだが、リリーによく似た別の女と過ごした時間、それを蒼い瞳が責めていると目を逸らす。
「…………申し訳ありません…………」
リリーの為に動いたはずが、込み上げる気持ちの悪さに顔を伏せる。そして頭を下げると、その場から逃げるように歩き去った。




