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グランディアを見送って、立ち去るわけでもなく、フィエルはリリーに歩み寄る。そして赤い瞳を冷ややかに、廊下の先を見た。
ロビーから、右側の十枝の者達がこちらを見ている。今にも襲い掛かって来そうな殺気だが、主の少女の出方を見て、堪えている姿に笑いがこぼれた。
「……フッ」
「??」
鼻から抜けた笑いに、リリーは驚いた顔をした。そして蒼の瞳はスッと侮蔑に眇られる。
「ごきげんよう。お名前は、なんだったかしら?」
アトワの跡取りを知らない者などいない。明らかに嫌味を言った右側の末子。馬鹿馬鹿しいとは思ったが、フィエルはそれに付き合ってやることにした。
「名乗るほどの者ではない。覚えられぬ者に、与える物は何もない」
「確かに。印象に残らない者ほど、聞いても覚えられないものよね」
(印象に、残らない者…?)
フィエルの見た目に、今まで一度もそんな事を言われた事も、考えた事もない。
あくまでも知らないと、あり得ない挑発を令嬢は繰り返す。
(おかしな奴だな)
思ったフィエルはリリーの黒髪を見て、神殿に飾られた神獣の大きな絵を思い出した。
エルロギア神に遣える第二の神獣フロートの、漆黒の鬣の様に波打つ黒髪。そして蒼と碧が入り交じる強い色の瞳。
生意気そうな大きなつり目は睫毛に縁取られ、さらにきつい印象が強くなる。そして日に当たらない真白い肌に、化粧気の無い唇は、薄く赤く色付くのみ。
フィエルの妹のサーエルとは全く真逆の印象に、敵とはこうも分かりやすく違うものかと観察していると、同じくフィエルを見つめていた令嬢は、瞳を嫌悪にグッと歪めた。
「……」
過去に一度、中身を見たことがある。
突然ダナーに乗り込んだ第四王子を訝しみ、一族内がざわめいた。何かの策略だと思ったフィエルは、王宮から運ばれる手紙を横取りし、中を確認してみたのだ。
それはただ、グランディアがダナーの令嬢に会いたいという恋い焦がれる内容だった事に、フィエルは酷く失望した。
あろうことか右側に、長く長く手紙を送り続けていたグランディアは、未だに令嬢を想っている。左側に繋がる者として、それは恥ずべき行為だと、フィエルはとても呆れていた。
「シベルを知っているか?」
「…シベル、左側の三伯爵家の一つだわ。なら十枝の「ならばあれの母方の家という事も知っているか?」
「あれ?」
「我がアトワを支える三公、三侯、三伯は、ステイ大公領の十枝と同じく、遡ればどこかで血の繋がりがあり、その中で、シベル家は全てにおいて常に末席を担ってきた」
「だから、何が言いたいのかしら?」
「たとえ王太子に選ばれたところで、末席は末席という事だ。お陰で今回、あれの浅慮を片付けるという面倒事を、我らが押し付けられた」
「浅慮」
「格好悪いだろう? 仮にも、左側の血を引く王子が、君なんかに振られたなんて」
「振った? 私が、ぐ、王太子殿下を? えーと、……なんの事かしら?」
リリーのきょとんと間抜けな顔に、フィエルはそれを下手な演技だと苛立つ。グランディアの愚行にも問題があるのだが、第四王子を誑かした者がそもそも悪いのだ。
「君はダナーで隠されて育てられたそうだが、異性の扱いは上手なようだ」
「……それは、それ程でもないわよ」
「だがあれに取り入ろうと、そちらに得になる事は何も無い。しかも女というものを使うしかないとは、とても残念だ。君は一番、兄弟の中でも、大したことがないんだな」
性別しか取り柄がないと馬鹿にした。フィエルの言葉に言い返せず、ダナー家の令嬢は羞恥に震えるだろう。
「……」
だがリリーは、小首を傾げた後に、フィエルを肯定して深く二度頷く。
「当たり前じゃない。うちの兄たちをご存じならば、そんな当たり前の感想面白くないわよね?」
「!?」
「他には無いの?」
「??」
「無ければ教えて差し上げましょうか? 兄たちの優秀さは、短い時間では語りきれないのだけれど。今回は特別よ」
思ってもいなかった答えに、逆にフィエルが内心でたじろいだ。




