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  第三王女エルストラが、ステイ大公令嬢リリエルを階段から突き落とした。


  ひきつれた叫びがあちらこちらで聞こえたが、教典を投げ捨てた教師の一人が、落ちるリリーを受け止め下敷きとなった。



  「うっ、」


  「急に動かないで」



  数段を共に落ち身体を段差に打ち付けた教師はセオル。誰かの悲鳴と何かを叫ぶ声が響く中、妙に落ち着いた声が耳に落ちる。


  顔を触る冷たい手に瞳を動かすと、灰色の外套に境会の祭司の証である金色の刺繍帯が見えた。


  「息苦しくないですか?」


  セオルの脈を取り呼吸音を確認する。蝋の様なその手が次にリリーの唇に向かうと、それをセオルが掴んで止めた。


  「大丈夫です…。私が、」


  痛みに呻きながら身体を起こすと、横たわるリリーはぐったりと動かない。それに傍に来た黒制服(ステディア)の生徒が、自分も蒼白な顔で覗き込んだ。


  「姫様、」

  「救護官は呼んでいますね。頭や首、打ち所を考えて、まだこのまま、動かさない方がいい」


  呼吸は浅いが脈はある。気道は確保したが、これ以上は下手に触る事が出来ない。セオルの確認を傍で見ていたエレクトは、自分の上着を脱いでリリーに被せる。だが固い上着の質感に、これでは駄目だと待機する部下に強く命じた。

 

  「身体が冷える、毛布を!」


  周辺では教師が野次馬の生徒を遠ざけて、救護官を呼ぶ慌ただしい声がする。


  「姫様、お願いです、目を開けて下さい」


  意識だけでも確認したい。セオルとエレクトは、そっと慎重に、何度も真白い少女の顔に声をかけ続けた。


  「リリー様、リリー様、」


  すると瞼がピクリと一つ痙攣し、微かに唇が開いた。


  「姫様! 気付かれましたか?」


  エレクトの声かけに、リリーの蒼い瞳がうっすらと開く。背後で様子を見ていた王太子もそれを確認すると、踵を返して階段を上がっていった。


  「リリー様、聞こえますか?」


 『…………、…………、………………』


  いつもの何かを呟いて、おぼろ気な瞳は気だるく伏せられる。それにエレクトは安堵し、セオルは痛みを堪えて一つ息を吐いた。


  「…なぜいつも、あなたは危険な場所に行くのですか?」


  思ったよりも、縋るような声が出た。セオルは、目を閉じたリリーに言い聞かせる。



  「ご自分の命を、大切にして頂きたいのです」



 *



  (失敗したのか)


  灰色の外套、金色の刺繍帯。涼しげな光の無い黒の瞳は、旧教の神官が身を挺した事により救われたリリー・ダナーをじっくりと観察する。


  (そういえば、おかしな事があったな)


  国全体にかけられている術式によって、召喚された異物の容姿と言葉は変換されているはずだった。


  異物と相対する者が好意的に捉える容姿と、異界言葉の翻訳。


  だがリリー・ダナーは、召喚異物と同じ言葉を話したように聞こえた。


  「…………」


  「祭司エンヴィー! 手当てをお願いします!! 君たち、救護官に至急連絡を!」


  王太子と他の教員に急かされて、その場は倒れる二人の確認を優先した。直ぐに黒色の制服(ステディア)に囲まれて、目的の少女は救護官の担架で移動される。


  「有り難うございました」


  「いえ。あなたも王家の血筋。ご無事で何よりです」


  「……」


  少女を庇って強かに全身を打ち付けた神官セオル・ファルは、明らかに彼の方が負傷していたが、救護官の担架を拒むと、教員や生徒に囲まれ自分の足で医療室に向かう。


  『私、何もしていない。だって皆、見てるはず、エルストラちゃんが虐められてると思って、止めに行っただけです、』


  こちらも教員と警備隊に囲まれて、言い訳だけをしている異物。


  そして少し離れた場所には、犯人を断罪する厳しいグランディアが立っていた。


  「何をしたのか、分かっているな?」


  「グランディア様、私、私は、あれは、故意ではないのです、」


  取り乱すエルストラに、今直ぐにでも首を跳ね飛ばしそうな殺意をぶつける。珍しく強い怒りを顕にしたグランディアに、それを周囲は恐々と見守っていた。


  (存外、思いきって突き飛ばしたものだが、惜しかったな)


  召喚異物が全く仕事をしないので、そろそろダナー家の大公女を葬ってみようと、上から指示があった。


  なのでリリー・ダナーに悪意を向ける一手として、分かりやすく敵視するエルストラに、王太子の婚約情報を教えてやった本人は、失敗した結果に落胆する。


  「エンヴィー祭司も、報告を、こちらです、」

 

  再び呼ばれた灰色の外套の境会祭司。エンヴィーは、目撃者の一人として状況確認に階段上に向かった。


  『ほんとに、私、触ってもいません、』


  学院警備隊に詰問され、おどおどと答える異物。すれ違いに眼が合ったが、再び兵士からの強い問いかけに身を竦ませた。


  陽に当たらない白い肌、鈍色の髪に光が宿らない黒色の瞳。


  今までエンヴィーの顔を見たことも無い召喚異物は、いつもの様に高圧的に何が欲しいと要求してはこなかった。


  (あれはもう、駄目だな。新しいものに替えなくては)


  使い物にならなくなった異物。それに境会のエンヴィーは背を向けた。




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