89 アーナスター
「ぐぁ!」「がっ!」
「!?」
命じたはずの矢は放たれず、異様な声を出してドサリドサリと地に伏せる。異変に振り返ったクラウンは、灰色の祭司の半数以上が一気に倒れた事に、蒼白にその場から一歩下がった。
「なんだ、これは」
よく見ると、倒れた者達の首や急所に弓矢が突き刺さっている。祭司達は慌てて瓦礫に身を隠すと、周囲の森を警戒に見回した。
「先程からそちらのお話を聞かせて頂きましたが、うちならば、密通よりも、もっと良い筋書きを作ります」
「生意気な! 申請許可がなければ、境会に会う事もままならない庶民風情がっ!」
「勘違いなさっているようです。我らナイトグランドは、過去に境会の息のかかる王族により、爵位を与えられた事がある」
「何?」
「でも賢い祖先は、それは不要だとお返ししたのです。この意味が解りますか?」
「……庶民、」
「中途半端で使えない爵位を押し付けられ、境会の子飼いの貴族となるよりも、財力でそれを辞退した」
「いい加減に……」
「信仰と金、どちらが強いか勝負してみるのも悪くありません」
「あの庶民を殺せ!!!」
「まあ既に、我が祖先から寄付という施しを多額に受け取り、あの豪奢な大聖堂を建てた時点で、どちらが勝っているかは一目瞭然ですが」
クラウンの叫びにボーガンは発射されるが、横合いからそれを別の弓矢が弾き飛ばす。クラウンが岩場に隠れ、その間に物陰の無い泉から離れようと三人は森へ向かって動き出した。
祭司の数人は、腰の剣を抜き身に石像の影に隠れ、次に泉周辺の茂みに移り忍び寄る。
「こうなったら、絶対に、庶民と令嬢だけは、なんとしても殺せ!!」
クラウンに言われて、捨て身に走り出した灰色の外套祭司たち。だが何処からともなく飛来する矢に、リリーの元へと届く前に全て倒れた。
「あの茂みまで走って下さい!」
「あっ!!」
アーナスターの指示でエンヴィーを押していたリリーだが、突然横合いから現れた灰祭司、構えるボーガンを見てエンヴィーを庇うように抱き付き押し倒した。
「!!」
短い矢は、リリーの背に向かって発射された。だがそれは、鋭い刃の一線に撥ね飛ばされる。
ーーカン!!
弾き砕かれた矢と共に、倒れた灰色の祭司の背後にはエレクトが立っている。そしてリリーの真上から女騎士の声がした。
「遅くなり、申し訳ありません」
「ナーラ様! エレクトくん!」
現れた護衛騎士たちに安堵し全身の力が抜ける。地面に強かに身体を打ち付け、痛みに顔を歪めて半身を起こしたエンヴィーは、自分に覆い被さる温かい体温が、ナーラによって剥がされたのを見た。
「ご無事で」
「ナーラ様、エレクトくんも、良かった…」
エレクトが周囲を見回すと、殆んど敵の姿は見えない。ナーラとエレクトを見つめたリリーは、しっかりと立っている二人に涙ぐむが、その背にエンヴィーは問いかけた。
「なぜ庇った」
振り返ると、出血に真白い顔が蒼白となったエンヴィーがゆっくりと立ち上がる。言われたリリーは小首を傾げたがほどなく軽く頷いた。
「そこに貴方が居たからよ」
「私は境会の祭司だ」
何の事かと黒の瞳を見つめた蒼の瞳。それは数回瞬くと、結ばれていた唇が開かれた。
「境会と怪我は別なのよ」
言われたエンヴィーは意味が分からずその場に立ち竦む。少し離れた泉の岸辺では、グランディアとエレクトが灰色の祭司と切り結び、教会跡地の瓦礫の中ではクラウンが短外套の少年に「主祭司様に連絡を!」と叫んでいた。
「……」
エンヴィーを置き去りナーラの元へ歩き出したリリーの背に、すがるような声がかけられた。
「思い当たる節がある、貴女はそう言った」
「?」
振り返った蒼の瞳は少し何かを考えた後、思い出したと頷いた。リリーは、エンヴィーに自分の謎を与えたままだった。
「そうね、まだ答えを言っていなかった」
背後でナーラが眉をひそめるが、リリーはエンヴィーに向き合うと、何故か両手を腰に胸を張る。
「貴方と私の共通点、それはね、悪役だからなのよ」
「??」
「間抜けにやられる事が仕事なの。だからそんなに怪我をした」
「???」
リリーの答えに間の抜けた表情をしたエンヴィーの、心中を理解できたのはナーラだけ。言った本人は満足ににっこり笑ったが、それをエンヴィーは不満に呟いた。
「私の考えとは違う」
握ったままの胸元から、握りしめた手の平を前に出した。それにナーラは身を固めたが、リリーは疑問に首を傾げる。
「どうぞ、これが私の答えです」
「?」
「姫様!」
嫌な予感にナーラは叫んだが、「どうぞ」と言われたリリーは素直に手の平を差し出した。
真白い手が重ねられ、エンヴィーが手を引くと緑の石が残された。リリーの手の平の半分ほどの大きさ。何処かで見たことのある美しい緑色は、破片の縁に光を宿し、見つめていると、光は石の中央に急速に集積された。
「?」
ーーカッ!!!
「キャア!!」
真白い光が辺りを包み込み、石から光が迸る。叫んだが、手から石は離れない。リリーの持つ石の光は二ヵ所に分かれると、教会跡地の瓦礫の地中、聖女が座る穴に吸い込まれていく。
「なんだ!?」
異変に光を目で追う者達は、二つの穴から空に伸ばされた光の柱が、赤く光る魔法紋に突き刺さるのを見た。
「矛が、三叉に、」
触媒の破壊により一つ失われていた刃先が、再び三つとなり空に浮かんでいる。魔法紋の力が漲るそれにクラウンは笑ったが、誇らしく見上げた境会を護る矛は、ビシッとひび割れに瓦解した。




