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  いつもとは全く違う、すとんと表情が抜け落ちたリリーの顔。


  ダナー家特有の人々を萎縮させる氷の目線とも異なる、何を考えているのか分からない、文字通りの無表情は見るものを不安にさせる。


  エレクトとメイヴァーは、過去にもこの顔を見たことがあった。虐待に関する事柄に、リリーは過剰に反応するのだ。


  その強い関心が、今回人権の虐待という奴隷制度に疑問を持ち、国王に意見して軟禁された。


  ファンを連れて会議室を出ていくリリーの後ろ姿に、エレクトは一抹の不安を感じていた。



 **



  初めて見たリリーの感情の抜け落ちた、本物の人形の様な顔。それが気になったファンは、翌日リリーの部屋を訪れた。


  侍女に案内されて入室したリリーの自室、笑顔で出迎えもしないリリーは、ぼんやりと空を見上げたまま。そしてファンを振り返り、「私、何も出来ていない」と呟いた。


  「私こそ、お力になれずに申し訳ありません…」


  「ありがとう、ごめんなさいね」


  力なく笑ったリリーは、吹き抜けた風に舞い上がった黒髪をおさえると風の道を振り返る。その視線の先には、血の色の様に赤く染まった、不気味な矛が浮かんでいた。


  「私たちエルローサが大切にする幻獣(ヴェルム)との繋がり。それはこの世をお護り下さるエルロギア神の加護の下、自然の力を少しだけお借りする。神に愛された幻獣(ヴェルム)は魔力を多く持ち、人に分け与え、昔は、エルローサ国民全体が力を分かち合っていたそうです」


  「……」


  「与えられた力は、一人一人が自然に少しずつ返す。木を頂けば植樹する。守護の力を頂けば、守護が必要無くなった時に魔力をお返しする。奪うだけ奪い返さなければ、それはやがて歪むと」


  「……何が歪むの?」


  「自分だけが良ければいいと力を奪い続ければ、天災が増え、大切なものを奪っていくのだそうです」


  「天災…? 戦争は人災だわ」


  「それも歪みの一つです。ですが人災より、もっとも恐るべきものは搾取され続けた自然神(エルロギア)自身、天災なのだと、エルローサ(わたしたち)は学んでいます」


  再び不自然に空に突き刺さる赤い矛を見上げたファンは、それを悲しそうな瞳で見つめた。


  「境会(アンセーマ)は自然に逆らい、魔法紋で無理やり空に穴を開け、百年を超える長い年月、異様な力でスクラローサを覆っています。それにより、他国の自然まで歪めてしまうかもしれない」


  「……」


  「赤い矛(あれ)はおそらく、悪意の象徴なのです」


  「悪意の象徴?」


  その言葉に、リリーは風景の様に眺めていた矛を、初めて意識した。


  「見て下さい、三叉の一つが欠けているでしょう? あれは、ダナーの皆様が触媒を破壊して、消してくれたのです。それにより、ダナーの土地には境会(アンセーマ)の不自然な魔力は及ばない」


  「ファンくん」


  蒼い瞳は、力を取り戻して輝いた。


  「なら、()()を全部消せば、少しは皆様のためになるのではないかしら?」


  「それは、もちろんそうですが…」


  突然、力強く手を握られ、リリーの勢いに尻込みする。だがもじもじと頬を赤める少年の両手をしっかりと握ったまま、リリーはにっこりと微笑んだ。


  「私、良いことを思いついたわ」



 **



  東ステイ大公領と西ハーツ大公領は侵略軍と拮抗したまま、リリーの軟禁からニ週間が経った。


  「お兄様、私、そろそろお出かけしようと思うの。ファンくんを連れて街に行ってもいいかしら?」


  王太子グランディアが昨日北へ出陣した。避難勧告こそ出ていないが、緊急事態に街中は閑散としている。


  停滞した状況に、メルヴィウスはリリーの一度の息抜きに許可を出した。


  ーー「ケーキのお土産を楽しみに待っていてね」


  出かける時にはいつも嬉しそうに纏わりついてくる。だが周囲の雰囲気を察したのか、妹は兄の許可に慎重に頷くだけだった。


  張りつめた空気から抜け出すために、リリーとファンに与えられた一時の外出。だが玄関前に停められていた黒の馬車、メイヴァーの手を取り段差に足をかけたリリーは、ふと屋敷を振り返って二階執務室の窓を見上げた。


  「行ってきます」


  まるでもう二度とここには戻れないと、家族に別れを告げる兵士の様に何かを決意した蒼い瞳。


  そのリリーの些細な変化を、緊張状態の中、メルヴィウスとダナーの騎士たちは、見落としてしまった。


 

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