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70 グランディア

 


  人の噂で感じる事は無かったが、本人から婚約破棄を望まれて、グランディアは何も考える事が出来なかった。


  ーー「君との婚約は、国王陛下のお気持ちにより、今に至るのだから」


  婚約破棄を口にしたリリーに対して、とっさに一番強く力のある、破棄出来ない理由で切り返した。


  そしてその場の流れに話を合わせ、アトワのフィエルに嫌みを言われて初めて、リリーの握りしめた拳が震えている事に気がついた。

 

  (最低だ)


  今でも、蒼白なリリーの顔が頭から離れない。

 

  こんな事で丸一日、何も手につかなくなるとは思っていなかった。


  グランディアの様子を見ていた護衛のサイが、周囲に休養を告げて来客を遠ざけたお陰で、翌日は少しだけ冷静さを取り戻す。


  だがその後の数日間、口数少なく仕事にだけ向き合うグランディアに、全ての事情を聞き出したサイはある提案をした。


  「菓子?」


  「はい。リリエル様は、無類の甘いもの好きです。殿下も、何度か頼まれて右側(ダナー)の城に運ばれていました」


  「……ああ」


  今よりも責任も何もなく、ただ思い付くままに行動していた子供時代。ダナーへの手土産は、いつも王都の菓子を用意した。


  「ですが聞くところによると、リリエル様はスクラローサ国内にある甘味では、満足していないようなのです」


  「……そうか」


  「なので、殿下が作ってみてはいかがですか?」


  「……そうだね。……え?」


  ここに来て、ようやく意識が覚醒した。


  「誰が、何を作るって?」


  「殿下が、リリエル様に菓子を作るのです」


  「サイ、何を言っている?」


  「いつか役に立つかと、バックス国から砂糖を仕入れてあります。あの国の糖分は、他と比べられないほどに甘いので」


  アトワ大公領に隣接する砂漠国のバックス、そこで栽培される糖分の強い植物がある。


  「……サイ……」


  「王妃様に、作り方も伺っております」


  「……」


  逃げ場がない。そして他に何も思い付かなかったグランディアは、流れるように極秘に用意された部屋で粉を捏ねてみた。

 


 **



  教室から出て、食堂に移動する。右側(ダナー)がよく通る廊下に現れたのは、黒制服(ステディア)のリリー。


  待ち伏せたグランディアの姿を見て護衛達が少し下がると、彼らの主であるリリーが定型の挨拶をした。


  「王太子殿下に、黒の安息を」


  「スクラローサに穏やかな闇を、ダナーのリリー」


  「?」


  返事を返すと、怪訝な顔でリリーはグランディアを見つめた。


  「これを君に贈ります」


  震えはない。真白い華奢な両手は、グランディアが差し出した拳ほどの巾着を受け取った。


  「こちらは?」


  「…………作ったんだよ。私が」


  「え、」


  面を食らった顔をした。きょとんと見開いた蒼い瞳から、慣れない事をしたとグランディアは頬が赤くならないように目を逸らす。


  「出来れば、味を見てもらえないか?」


  「……………………ここでですか?」


  王太子と右側(ダナー)が居ることで一般生徒は近寄らないが、大公令嬢は行儀を気にして躊躇った。


  それは当たり前だと思ったが、限られる時、グランディアにも引くに引けない訳がある。


  「ぜひ」


  「……」


  無茶な頼みに、蒼い瞳は戸惑いながらも包みを開く。現れたのは形の良い菓子。想像よりも上手く焼けた出来上がりに、グランディアには自信があった。


  思った通り、それを興味津々と見つめるリリー。だがふと、周囲をぐるりと見回した。少し離れて佇む護衛たちはよく躾られており、見ないものとして目線を床に落としている。


  大公令嬢に、無理を勧めている事は分かっている。だがこの機会を逃したくない。


  行儀を気にして戸惑うリリーと、グランディアは見つめ合う。


  「……」


  深刻な表情のリリーは、何かの決意にこくりと深く頷くと、グランディアを見つめながらサクリと一欠片口にした。


  「……?」


  口に含んだ甘さに、蒼い瞳は徐々に大きく見開かれる。それは昔、訪れた右側(ダナー)の城で目にした表情(かお)。そしてグランディアを評価する様に何度も頷いた。


  「殿下、お菓子を作れるのですね?」


  「母上がね、たまの里帰りで作る事がある。……あの人は、菓子作りだけは職人より上手いんだ。今回、分量だけ参考にしたよ」


  「とっても甘くて、今までのお菓子の中でも一番甘くて、すごく美味しいですわ」


  子供の頃以来、久しぶりに見たリリーの満面の笑顔。それにつられて、グランディアも自然と笑顔が溢れ出た。


 

 **



  時を告げる鐘の音に、生徒たちは息抜き思い思いに動き出す。だがこの日、異様に静まり返った教室内に入り口を見ると、生徒ではない制服の男が立っていた。


  恐れるように道が開ける。それを構わず乗り込んで来たアエルは、奥の席でこの場の主の様に座ったままの、リリーの前にやって来た。

 


 

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