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春休みでもないのに、誕生日休暇で一週間も居なかった。ちらほらと増えてきた黒制服の者たちを目にしていたフィエルは、廊下で彼らの頂点に君臨する女子生徒を発見した。
「……」
フィエルの整った顔を見て、あからさまに目を眇めるダナー家の娘。
「休暇は楽しかったかい?」
「そうね、今も余韻に浸っているわ。だから道を開けて隅に寄っていただける?」
「十七歳に、なれたんだね、リリエル・ダナー」
念押しの冷やかしに、本人ではなく横の護衛から殺気が放たれた。
「それが、何か?」
「ダナーの家の令嬢は、十六歳以上は難しいと、そう聞いていたのだが」
「難しい…?」
リリーはいつもの様に、フィエルの言葉など意に介さない顔をしているが、言葉を重ねる度に断頭官と呼ばれるメイヴァーの気配が鋭く尖る。
「アトワの、言葉を選ばれた方がいいな」
一歩前に踏み出したメイヴァーだが、それをリリーの軽く上げた手が止める。
「ずいぶんと、我が家に興味がおありのようね? お勉強なされたの?」
ダナー家の不幸を聞いて、リリーの姿が見えない間、苛立ちに過ごした数日。顔を見ればいつもと変わらない能天気な姿に、それは更に募る。
「百年ほど前から歴代ダナー家の令嬢は、十七歳の前に亡くなっている。まさか知らなかったわけではあるまい?」
笑ったフィエルに、それを言われたリリーは首を傾げた。
「……」
無言になったリリー。蒼い瞳はフィエルを見つめて考える。そこでメイヴァーが、殺気を纏いフィエルの喉元に手を伸ばし、それをラエルが素早く抑えた。
掴み合う腕と腕、浮き出した手の甲の血管、拮抗する力に、ラエルは犬歯を剥き出し笑った。
「規則を破ったな」
学院内での殺傷行為の禁止。先に手を出したのは右側だった。
「……?」
だがここで、フィエルはある事に気がついた。口を閉じ、フィエルを見つめたままのリリーに、殺気立ち過剰に苛立つ護衛騎士。
(まさか、知らなかったのか?)
「……」
リリーは、今も深刻な表情で何かを考え込んでいる。フィエルは、それからふっと目線を下に逸らした。
「行くぞ」
この場を無かった事にした。右側を攻撃出来る絶好の機会を封じられたラエルは、信じられないと主を見る。
「何故ですか!」
勢いつけて互いに離した掴んだ手。だが何故か、優勢だったはずのラエルは、敗者の顔でフィエルの後を追って行った。
それを忌々しく睨んだメイヴァーだが、我に返って主の少女に跪いた。
「申し訳ありません。出過ぎました」
「いいのよ。よくやったわ」
頷く少女の許可に立ち上がる。だが左側のせいで、今まで一族がリリーに隠し続けた秘密を暴かれた事に、メイヴァーは眉間に皺を寄せて瞑目した。
「右側の歴代の大公女様方が、早世していると左側が言っていたけれど…、メイヴァー様はご存知だったのかしら?」
「……はい」
「残念だわ」
「!!」
「左側は、もう少し分別があると思っていたのに。亡くなった方を持ち出して、それを私への嫌みに使うなんて。残念」
リリーに隠し事をしていた、自分が責められたと思って身体が硬直した。だが続いた言葉に、メイヴァーは面を食らった顔をする。
「姫様、その、奴らの言葉など、気にする事はないのです。…歴代大公女様の事は、その、」
思った以上に冷静なリリーの姿。だがこの場を収集しようと焦るメイヴァーの言葉はから回る。それに「わかっている」と頷きが返った。
「こう言ってはなんだけど、昔なのだから、環境や医療技術など、子供が育つ環境として、いろいろと難しい事があったことも想像出来るわ」
「え、」
「特にダナーは寒いから。皆さま、大変だったと思う」
「……はぁ、まあ、そうですが、その、」
「先ほどは惜しかったわね」
突然切り替わった話しに、メイヴァーはなんの事かと首を傾げた。
「私が反対側から狙えば、一発当たったかも。ちょっとぼんやり見ていたわ」
ぐっとやる気に拳を握ったリリーを見て、メイヴァーは苦笑いに頭をかいた。