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短編2話  作者: 野原いっぱい
2/2

赤いサンバード


挿絵(By みてみん)


 倉本雪江は婦人警察官である。

いや目下のところ交通巡査と言ったほうが正確かもしれない。

目つき鋭く角顔のがっしりした体型で、紺色の制服に身を固めた彼女は、もともと婦人警官が志望ではなかった。むしろ職業としての警察は、もっとも選択したくなかった仕事といっていいだろう。


実は彼女の父親が刑事であった。

すでに定年を終え現在は隠居の身であるが、最終的に警部補まで勤めた刑事一筋の人間であった。

父親の在職中は事件が起こるたびに署から呼び出され、自宅にくつろぐ時間もない有様で、雪江が子供の頃、父親と一緒に遊んだり、打ち解けて会話をした記憶がなかった。

帰宅時間が深夜になることはしょっちゅうで、帰らない日もあり、休日も自宅にいないことが多かったため、親子三人水入らずで食事する機会もない、いわば断絶家族の典型。

そのような警察官家庭を、身をもって体験してきているため、自分の夫となる男性はまず警察関係者以外の人間を選ぼうと、固く心に決めており、ましてや自分の職業とするなどもってのほか。

子供の頃の職業としてのあこがれは、スチュアーデスになること。

高校、短大と進むにつれ華やかな商社や銀行のOLになることが希望となった。


ところが、いざ就職シーズンに突入するや、自分の女性としては大柄で、しかも眼光鋭い負けん気の強そうな顔立ちと性格が、事務応接を要求する応募先の面接には不利ではないかと思うようになってきた。

実際就職試験を受けた民間企業各社からの不採用通知。

その後、ランクを落として就職活動を続けたものの、思うようにいかず、ますます自分の容姿のせいだと思い込み不機嫌になっていった。

そうこうするうちに年が明け、周囲の者も気を揉むようになった。

ところが今まで黙っていた父親が、恐る恐る婦人警察官募集の話をもってきた。

元刑事であった父親のコネと、またその子供は優先的に採用してもらえるとのこと。

もちろん彼女はきっぱり断り、母親も猛反対。

けれども、その後も応募先の反応は思わしくなく、面接試験に臨むことに疲れを感じるようになった。

また、彼女自身、自宅で花嫁修業する気はさらさらなく、ようやく父親の話に条件付きで乗ってみることにした。

その条件とは。

一、婦人警官になっても、他にいい就職先が見つかったら、いつ辞めても文句言わない事。

二、残業・休日出勤は断ってもいい事。

三、娘の仕事に父親は口を挟まない事。

である。

父親はやれやれと思ったものの、もともと娘には頭が上がらないし、それ以上に娘の不機嫌な顔を見たくなかったため、早速管轄署に応募書類を送りつけた。

すると、やはり父親のコネは強く、簡単な筆記試験と一度の面接だけで合格してしまったのである。

また、彼女にとってはまことに不本意な就職となった。


 卒業後、採用手続きを経て、警察学校で警察官教育、技能訓練を受けたが、真剣にカリキュラムを習得する気はなかった。

表向き規則や規律に従う態度ではあったが、警察官という職業自体、一向に好きになれず、チャンスさえあれば、いつでも退職届を出し他の就職先に移ろうといつも考えていた。

そのうち、研修期間も終了し、現在の部署に配属され交通巡査の仕事が割り当てられていた。

彼女にとっては、社会人として希望にあふれたスタートというには、ほど遠い心境であった。


 少年にとって、今日は運転免許を取得してから初めての遠乗りのドライブだ。

二か月前に実施試験に合格、念願の資格を得て、自宅付近を乗り回していたが、試運転にすぎなかった。

ようやく待ちに待った長距離走行に臨み、朝から爽快な気分に浸っていたのであった。

愛車は少年が免許を取る前に、両親に懇願し購入してもらった新車である。

一人息子だけに相当甘やかされて育てられたと言っていい。

車への愛着も半端ではなく、毎日ボディ、ガラスを何度も、何度も磨いて、車内もゴミひとつ見当たらなくなるまで清掃を徹底。まるで恋人を扱うように大切にした。

もちろん運転は慎重・安全に徹した。

愛車に傷がつくのを極端に恐れて、少しでも危険を感じるとクラクションを鳴らし、ブレーキペダルを踏む。

一方で、汚れがついていないかと常に気にかけ、走行して帰ってくるたび、また車体を磨いた。そしてようやく遠乗りの日がやってきたのである。


 朝から晴天に恵まれ、市街地を抜け国道に入った。

予定では途中で食事を摂り昼過ぎにUターン、4時頃に自宅に戻るつもりであった。

ところが、その日は有頂天になっていたためか、慎重な彼には珍しく三度のミスを犯してしまった。

一度は途中に脇道から入った山道でコースを誤ったこと。地図を片手に注意しながら走ったものの、分かれ道で新しくできた山道に迷い込み、本来のルートに戻れなくなってしまった。何とか大きな道路に出ようと腐心したが、方向がわからず更に袋小路に入ってしまう始末となった。

二度目のミスは燃料が残り少なくなってきたのだが、道を捜すことを優先、補給を後回しにしたことである。途中で何度もスタンドを目にしたが、後手を踏んでしまった。

そして、迷い込んだ山道でとうとう燃料切れを起こしてしまった。

時刻は5時近く、周囲は薄暗い。焦ってもイライラ考えても、こうなってしまっては後の祭り。

もちろんあたりに電話などなく、最寄りのスタンドまで車を押して行くにも距離がありすぎ。

かといって、そのまま、愛車を置いて行く気にはならなかった。


『そうだ、走ってくる車を止め燃料を分けてもらおう。無理ならば適当な所までロープで引っ張ってもらったらいい。何とか頼みこもう』


しばらく車は走ってこなかった。周りは一面樹木で、暗くなって気味が悪い。が、こうなっては辛抱強く待つ以外ないではないか。

遠くからエンジンの音。

『助かった!』と、胸をなで下ろす。

『暗くて運転手に見えなくちゃあ困る』と思い、道の中央に出て車が来るのを待つ。

近づいてきた車に向かって、少年は両手を大きく左右に振る。

これだけ派手にすれば相手も気が付き止まってくれるだろう。けれども期待は裏切られた。

どんどん近づいてくる。

彼にとっては今日、三度目のミス。

そして致命的なミスであった。

車はスピードを落とさず近づいた。

目と鼻の先まで。


*

 倉本雪江はとにもかくにも交通巡査として警察官のスタートを切った。

職務としては、交通規制、歩行者保護、交通違反の取り締まり等々。いわゆる道路交通の安全の維持、歩行者、車両の通行に側面から便宜を図ること。

歩行者の誘導も仕事だが、もちろん自動車のスピード違反、酒酔い運転等の違反行為の摘発も行う。

その場合、グループで行動することが基本であった。

今日も彼女のチームは市内の主要道路で駐車違反の取り締まりを行っていた。


近年、都市の交通事情は自動車の増加に伴い、悪化の一途。

目抜き通りでは、ドライバーが駐車場を捜そうと躍起になっており、あふれた車、もともと横着な車が路上に違反覚悟で止めているが実情。

その状況はメーンストリートで顕著で、ビジネス街、官庁街等の中心部では、昼間道路の両脇にズラリと車が駐車されている光景があたりまえのようになっている。

以前は黙認していたこともあるが、渋滞や事故の原因となり、これ以上無視できず、警察も積極的に違反の取り締まりを行うようになってきた。

雪江のチームもその守備範囲をローテーションで駐車違反の摘発を行う。

不法駐車のドライバーに反則切符を発行し、違反車にはステッカーを貼り付けていく。

悪質なものについてはレッカーを呼び移動することも。

もちろん違反者もおとなしく従う人間ばかりではない。

罰金、反則点数の増加は痛手となるため、不満を言われたり、抗議されることがままある。

停止時間が許容範囲だ。駐車禁止の看板が見えにくい等々。時には今回違反すると、免許取り消しになるので見逃してほしいと泣きつかれることも。

婦人警官ということでかなり食って掛かる運転手もいるが、その点、雪江はその性格からか頑として譲らない。いや、むしろ逆に相手を容赦なく叱りつけるほど男勝りなのだ。

上司からみれば、気の小さい男性以上に頼りになるが、少々愛想がなく素っ気ないと見られ、心配な面も。彼女の気質のゆえんか、もともと愛される警察官になる気はさらさらなかったし、彼女自身、車には縁がなく免許も持っていなかった。

また今まで男性からドライブに誘われたこともなく、特に乗用車には良い印象はもっていなかった。

よく彼女の友人から、彼氏に遠乗りに誘われたとか、休日にドライブに連れて行ってもらったといった話を聞くたび、不愉快になったものである。


 今日の受け持ちは金融ビジネス街で、彼女は義務感というより事務的な調子で片端しから、停車中の車にチョークでチェックして回った。

銀行の建物の前に真っ赤なボディのスポーツカーが目についた。

このような場所には珍しく、また最も嫌いなタイプでもある。もちろん、その車の前輪にしっかりとマークをつけた。

しばらく他の場所に移り、先ほどチェックした区域が違反となる時間を見計らって戻ってきた。

移動してない車には、容赦なく違反ステッカーを閉錠して回る。

赤いスポーツカーを認めた。

ステッカーを取り付けようと近づいたが、そこで彼女は気が付いた。

車輪のチョークの位置に、路上の印がない。明らかに移動しているではないか。ムカッといて腹が立ちもう1回と思ったが、上司の三角からこのゾーンの取り締まりを終わらせるようにとの連絡があった。彼女は心残りではあったが、指示に従った。


*

 それから三日目、また同じビジネス街で取り締まりがあった。受け持ちは以前と同じ区域。

運悪くその場に居合わせたドライバーに反則切符を切りつつ、テキパキとマークを付けていく。そして銀行の前で、三日前と同じ赤い車体をみつけた。全面オールレッドのサンバード車種。彼女は以前の腹立ちがよみがえった。今日こそはとの意気込みで念入りにマークする。ところが今回も同じであった。彼女が戻ってくると場所を移動している。


「どこかで運転手が隠れて見ているんだわ」


と周囲を見回したが、それらしき人間は見当たらない。念のためもう一度マークし、時間がきて再び調べてみた。車はあるものの、やはり移動している。

『これは私に対する嫌がらせ以外には考えられない』

車内を注意深く見回したが、両側のドアはいずれもロックが掛かっている。窓ガラスも閉じられており不信な荷物はない。ところが不思議なことに車のキーがそのまま差し込まれていた。


「まあ、運転手も慌てていたのね。キーを付けたままロックして。いい気味」


本人が現れ、慌てふためく様子を見たかったが、集合合図があり、悔しくはあったが今日もあきらめた。

彼女は上司の三角に今日のことを話し、悪質ないたずらだと分かった場合、違反者として取り扱っていいか尋ねてみた。


「よほど、悪意のある場合は、警察の職務に対する公務執行妨害として処理していいが、その場合でも現行犯としての条件があり、ステッカーを貼るかどうかはモラルの問題に係わってくる」


との教科書的な回答。

よし、そうなら次回は運転手が現れるまで見張ってやると心に決めた。


*

 その日は数日も経ずにやってきた。やはり同じ場所に赤いサンバードが止まっている。

車内を確認すると、驚いたことにドアロックの状態でスタートキーが差し込まれている。


「この前から置きっぱなしかしら?」


首を傾げながら、とにかくしばらく張り込んだ。

ほとんどその周辺でチェックを行い、チラチラ腕時計を見やりながら監視する。

多少その場を移動したものの、充分見渡せる範囲内。

時間が超過し、今日こそひっ捕らえようと近づき、マークを確認。

ところが、彼女はあ然として開いた口が塞がらなくなった。

車体が1mほど移動しているではないか。

誰かが近くで嘲笑しているのを感じる。

このままで済ますわけにはいかない。

移動時間がきたが、他のメンバーに後で合流することを頼み込んだ。

なんとか許され、今度は車体に張り付き一歩も動かなかった。

持ち主が現れるか、何度も周囲を見回す。

今度こそ間違いなく摘発できる。

検挙することもできると思いながらチョークの位置を確認。

そして時間がきた。

やはり運転手は現れない。いや、出たくとも来られないのに違いない。

勝ち誇った思いで車体に近づく。

が、その瞬間信じられないことが起こった。

エンジンが掛かり、マフラーからガスが噴出した。

三、四回アクセルを踏み込む音が聞こえ、ゆっくりと車は動き出す。

そして走行車線に移動し、かなりのスピードで離れて行くではないか。

あっという間の出来事。

彼女ははっきり見た。サンバードが走り去るのを。

しかも無人で。


*

 雪江は署に戻り上司の三角に報告したが、予想通り信じてもらえない。

同僚にも説明したものの、誰からもそのような幽霊自動車の存在などと、軽く受け流されてしまい、あげくは仕事熱心のあまり疲れが溜まっているのでは、と労わられる始末。

無理もない、彼女自身が半信半疑の状態であった。

けれどもはっきり見たのである。自宅に帰ってからも真剣に考えた。

そして出た結論は。


「リモコン操縦。そうだ外部から無線で車を動かしているんだわ。でもなぜそんな手の込んだいたずらをするのか。私に恨みをもった人。反則切符を切ったドライバーの仕返し。でもこの職について間もないのに、なぜ狙われたのか。それ以前は?」


いくら考えても心当たりはなかった。


「ナンバープレート。ナンバーを調べれば持ち主がわかる!」


違反者を捕え懲らしめることに気が向きすぎていたようだ。


「ようし。次回は即ナンバーを控えてやる。そして有無を言わせずステッカーを貼り付けてやる」


彼女にとっては、仇討の心境であった。


*


 そして、とうとう悪夢の日がやってきた。

今までの傾向から今日、赤いサンバードがいつもの場所に現れる予感があった。

この区域の受け持ちではなかったが、特別の許可を得ての単独行動である。

最近の取り締まりの功が奏したのか、道路脇の停車は少ない。

荷卸し中の軽トラックが一台、その前にテールランプが点滅している白い乗用車、そして予想通り、少し離れた前方に赤いサンバードが停車していた。

彼女はまずナンバープレートを確かめるため近づいていった。

手前の白い乗用車から運転手が降りて足早に銀行に入って行ったが、気にかけずそのまま進む。突然サンバードは挑みかかるようにバックし、白い乗用車に隣接して停止した。

やはり無人である。

彼女は素早くナンバーを書きとめ、ドアロックを確認。

まごまごして逃げられるからとステッカーを取り出し、サイドミラーに近寄る。


が、そのとき、後方から女性の悲鳴が上がった。

銀行から覆面をした三人の男性が出てくるのと、振り返るのが同時であった。


「銀行強盗だ!」


と大声が続き、何事かを判断する必要はなかった。

まさしく彼女は三人組と鉢合わせの状況になった。


「な、アニキ警官だろ」


内一人が真ん中の男に言う。

「なんだ婦人警官じゃないか。おまけに交通巡査だ」


「おい、命がほしいならそこをどけ!この銃が見えないのか」


二人が拳銃を持っての威嚇で一瞬身が竦んだが、父親の血を引いているからであろう、ひるまず対峙し、身構えた。


「あなたたち強盗ね。私は警察官よ。観念しなさい」


長引くことの不利を感じたか、


「なにお、女のくせに生意気な。痛い目にあうぞ」


一人が殴りかかる。が、彼女は冷静であった。

研修時に習った合気道が役に立ち、逆に投げ飛ばしていた。


「そんなおもちゃで脅しても無駄よ。あきらめなさい」


と、もう一人の男の行く手を阻む。

がそれがいけなかった。その男は頭に血が上がったか、


「おもちゃかどうか、ちくしょう覚悟しやがれ!」


言いざま発砲。

彼女は胸に痛みを感じた。

なおも犯人を取り押さえようと試みたものの、体はその場を一歩も動けない。


「アニキ撃っちまったよ」


「うるさい逃げるんだ」


という声が聞こえる。

投げ飛ばした男を一人が助け起こし、車のところまで走っていくのを見た。

がそのあと、立っていられなくなり、膝から崩れ落ちる自分を感じた。

まだ犯人の声は聞こえる。


「おい、なんだこの赤い車は!前にぴったりくっつけやがって、出られないじゃないか」


「ア、アニキ、さっきまでこんな車なかったんだ」


「バカヤロ、お前が車から離れたからじゃねえか」


と叱り飛ばす声。


「でも警官が来たんでアニキに知らせようって」


「おい、この車エンジンがかかってるぞ。おまけにロックしていないぞ」


「運がいい。よし、その車でずらかるぞ!」


彼女はうっすらとした意識の中でその声を聞いていた。


『赤いサンバードのロックがかかってない。そんな!最後まで私を騙したわね』


そして、消えかかる霞みの奥で決心した。


『こんな目に遭うなんて、やっぱり警察官なんかやめてやるわ。もうこりごり。なんといわれようと・・・』


と、誰かに向かって叫んでいた。


*

 「ユキエ、ユキエ」

遠くで父親の呼びかけを感じる。久しぶりに耳にしたなつかしい声。


「ユキエ」


今度ははっきりと聞こえた。

顔の輪郭もぼんやりと見え、なんだか思い出せないが伝えたいことがあったのだが。


「もう大丈夫だ」


真上から覗き込んでいるのが見える。

少し胸にうずく違和感。銀行の前で、拳銃で撃たれたことを思い出す。


「お父さん、ここはどこ?」


「ここは警察病院だ。手術の後三日間眠りっぱなしだったよ。さっきお母さんも安心して帰ったところだ」


「そう、私は犯人に撃たれて・・助かったのね」


「そうだ、大変だったな。よく頑張ったな。医者が、もう大丈夫だと太鼓判を押していたよ。あとはゆっくり休むといいよ」


父親は目が真っ赤であったが、温和な笑みを浮かべながら娘をもう一度寝かせようとした。


「お父さん、犯人は?」

「逃げられたの?」


やはり事件が気になるのだろう。

少し躊躇したが娘のしっかりした様子を見て答えた。


「いいや、三人とも捕まったよ。というよりこの病院に入院中だ」


「それはどうして?」


一瞬、その言葉を理解できない。


「実は犯人達はお前を襲った後、路上に止めてあった赤い車で逃走を図ったんだが、お前とやりあったことでよっぽど慌てていたんだろう、二百メートル走ったところでハンドル操作を誤って電柱にぶつかってしまったんだ。衝突が激しかったせいで車はほとんど大破してな、かなりの重傷で入院してしまったってわけだ」


「え!あのサンバードが大破・・」


彼女は捕えようとしていた赤いサンバードのことを思い出した。


「そうだ。三角君から聞いたんだが、お前もあの車を張っていた最中だったそうだな。調べていく内に以外なことがわかってな。もちろん盗難車だったんだが、その車の持ち主は一か月前に奥多摩でひき逃げされて殺されていたんだ。免許取り立ての少年で可哀想だったそうだよ。ただ少年が乗っていた車が見つからなくって手配されていたところだったんだ。そこで、傷の軽い犯人の一人を追及したところ、とうとう白状してな。三人で奥多摩をドライブしていた途中で人をはねたらしい。薄暗くなって、道の真ん中に少年が突然現れて避けきれなかったと、言い訳しているがね」


「でも、なぜあのサンバードが銀行の前に?」


「あとは推測なんだが、彼らは少年をはねた後、車をそのまま盗んで分乗したらしい。とすると奴らはかなり残忍な男たちなんだが、以前から銀行強盗を計画していたらしく、目星をつけていた銀行を事前に調査していたというわけだ。そのうち何回か止めていたところを、お前の取り締まりの日と重なってマークされる羽目になった。犯罪課の警部がほめとったぞ。あの車の挙動が怪しいと睨んだお前の眼力はさすが私の子だと。他の警官では真似ができまいと、感心していたよ。それで、とうとう犯行の日にお前と遭遇したというわけだ」


「推測ってどういうこと?」


「うーん、実はその男、サンバードを盗んでいないと言い張っているんだ。いずれわかることなんだが、まさか車が勝手に奥多摩の山奥から都心の銀行の前に移動してくるわけがないんでな」


雪江は犯人達が言ったことが間違いないことを知っていた。

『私は確かに見た。車が無人で走っていくのを。キーがついているのに、ロックがかかっているのを。犯人達が逃げる時、エンジンがかってにかかり、ロックが外れたことを』

そのことは、今話さないでおこう。


「さあ、もう疲れただろう。ゆっくりお休み」


「お父さん、もう一つだけ聞きたいの。大破したサンバードにリモコン操縦の装置のようなものはなかった?」


「なんだか妙なことを聞くね。そんなものはなかったよ。ただちょっとおかしな事がわかってな」


「おかしな事って?」


「うん、実はサンバードにはほとんどガソリンがなかったんだ。犯人達もよっぽど慌てていたんだろう。あのまま電柱に激突しなくても、もうほとんど走れなかったそうだよ」


 父親が帰っていった後、彼女は頭を巡らして考え、そしてある結論に達した。

途方もない結論に。でも体験したことからいって、そう考えるしかないではないか。


『あの車、赤いサンバードは主人の敵を討ったんだわ。少年がひき逃げされた後、犯人を追い、そして三人が銀行強盗を計画しているのを知った。そして、銀行の前で犯人達が現れるのを待つ。その間、私に違反ステッカーを貼られるのをなんとか避け、その日がやってくる。彼らが銀行に侵入した後、彼らの車にぴったり寄せ、その車では逃走できないように図る。更にエンジンを掛け、ドアロックを外し、犯人達が乗るように仕組む。急スピードで発進。最高速に達した瞬間、自らを電柱にぶつけた。彼らを乗せたままで。

まさか、私がマークしていた時、もうすでにガソリンがなかったのでは?銀行強盗の日に、私が来るように仕向けたのでは?』


雪江はしばらく自分の考えに浸っていた。


*

 「どうだ雪江、気分のほうは」


次の日父親が面会にやってきたが、良くなっていると答えた後、思い切って言った。


「お父さん、私もう警察官辞めるわ。なにか伝えようとして思い出したんだけど、やっぱりこの仕事向いてないわ。おまけにこんな目にあって」


「急になにも、もう少し体を治してから・・」


「いいえ、私はもう決めたわ。最初試験を受けた時からの約束よ。いやになったら、いつでも辞めていいって」


彼女はまくしたてる。


「うん、それはそうだ。私も反対しないよ。でも困ったな」


父親は娘には弱い。


「お父さんは何も困ることはないわ。私からはっきりと上司に説明するから」


その時、ドアがノックされ、まさに彼女の上司である三角と同僚の婦人警官がお見舞いに入ってきた。

三角は雪江と父親に型通りの挨拶を述べ、彼女が元気な様子で安心したようだ。

しばらくは皆、雪江に振りかかった災難に同情していたが、三角がなにやら誇らしげに満面に笑みを浮かべ切り出した。


「私も君の上司で鼻高々だよ。警察官としての犠牲的精神、強い職務意識による犯人の制止は新聞でも大きく報じられているし、テレビのニュースでも流れているしね。我々交通警官が日頃取り締まるだけと思われている認識が、今回の一件で改められそうだよ。また、近々警察表彰がされることに決まってね。君の行為が婦人警官としてだけではなく、警察官としての良きお手本と言われているよ。我々も一緒に仕事ができてうれしいよ。これからも頼むよ」


父親は話の途中で用があると部屋から出て行った。

雪江は少々めまいを覚えた。






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