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私にとっての"父"

作者: 羽渡 優雨
掲載日:2019/05/10

私は、ふとした瞬間に考えた時、求めていたものや感じていたものを少しでも知ってもらいたいと思った。ただ、それだけ…

 小さい時からものすごく頼れる存在だった。一家の大黒柱だから当然だろうと言われそうだが、当時の私にとってはとても偉大だった。"父"は、とても時間に厳しかった。21時には寝て、6時に起き、7時10分には家を出る。それを守らなければ、とにかく叱られていた。おかげで小学校生活の大半は規則正しい"普通"の生活ができていた。学校では親の話などする機会がほとんど無かったから話すことはできなかったが、私は本当に"父"が好きだった。しかし、未だに許せないことが2つある。

 1つは、人混みだ。"父"が休日のショッピングモールや公園、イベント会場などといった人がやたらたくさん集まる場所が苦手で、休日はとにかく家で引きこもってゲームをしていた。仕事は本当にしっかりしてて、尊敬できるなと思っていたが、この「人混みが苦手」という"父"の個性により外出することは滅多に無くなり、私はめちゃくちゃ人混みが苦手になった。これは、今も変わらずで特に"父"も苦手とした「子供の甲高い声」には異常な程、苦手なのだ。この間のGWに行った富士山こどもの国は、クモの巣ネットという遊具で妹たちが遊んでいるのを近くで見守っていたのだが、調子を崩し…というか頭痛と苛立ちが止まらなくなり、本当に地獄だった。「子供の甲高い声」の他に家族、知り合い以外の「他人の声」も苦手で、富士山こどもの国の前に行った白糸の滝では、橋の端と端に立ち、写真撮影している海外観光客に苛立ちながら、たくさんの人の話し声が響きまくる恐怖は本当に辛かった。本当は、そんなことを考えずにたくさんの場所に出かけたいのだが、そういうこともあってか家に引きこもる率は格段に増えた。"父"が亡くなったあと、お出かけ好きの母に強制連行されて多少は緩和されたことはあるが、これだけは今も酷いものだ。

 もう1つは、友達だ。他人を家に上げることを嫌った"父"の個性のおかげで私の家で遊ぶことは滅多に無かった。友達の家に遊びに行く機会が増えたが、人との関わりを本当にしてきたことがなかった私は引っ込み思案で遊ぶ約束もいつも友達の方から言ってくれたものばかりだった。「優雨ちゃんの家に遊びに行きたいんだけどいい?」と聞かれる度に「○○ちゃんの家で遊びたいな」や「ごめんね、宿題時間かかるから」みたいな断り方をしている内にみんなと遊ぶ約束を立てることが苦痛になり、そんな私を察したのか友達みんな私を誘わなくなっていった。「他人との関わり方」を知らない引っ込み思案の私は、本当に辛かった。母にもあまり話してはいなかったが、学校では本当に友達と呼べる友達は居なかった。"仲良くしてもらっているだけ"の関係だった。小学校の卒業式に仲の良かった子たちは集まって写真撮ってもらってたりしたけれど、そんな輪に入れるはずがなく、私は"表面上の友達"とはクラス写真でしか撮らなかった。

 これだけに限らず、辛かったことはたくさんある。学んだこともたくさんある。しかし、本当に「あの時、"お父さん"が断らなければ…」や「あの時、"お父さん"が嫌そうな顔をしなければ…」と思ってしまうことが多すぎて、許せていない。

 そんな"父"は、家族…私にとっては立ち直れなくなりそうなほど…いや、実質まだ立ち直れない程の衝撃をもたらし、この世を去った。これだけは、一生恨み続ける。「子供部屋で首吊り自殺をした」ことだ。曖昧だが、両親の喧嘩の末に亡くなった。あの当時の記憶は、鮮明に残っている出来事もあれば、あまりの衝撃に飛んだ出来事もある。

 まずは、飛んだ出来事から話そう。"父"の死に関わる両親の喧嘩…というより、話し合いだ。一番その記憶があやふやなのだ。母本人や周りの大人に聞いたものと自分の記憶がすれ違いすぎているほど。覚えているのは、結果の終着点「子供部屋で首吊り自殺をした」ことのみ。これだけは事実だ。

 次に覚えている出来事を話そう。今でも鮮明に蘇るのは、首に紐のようなものをぶら下げてうなだれている変わり果てた"父"と"救えなかった"という雰囲気を纏った暗く悲しい表情をしながら家から去っていった救急隊員の姿。ものすごく忘れたくて、ふとした瞬間に思い出し、泣き叫び、過呼吸を起こして苦しんでる…今も続いているんです。未だにその子供部屋は、あまり立ち入れない程、入ると息が詰まる。"父"を思い出す。…思い出したくないのに。あとは、母が手首を切って自殺未遂をしたり、母が祖母に怪我させられたり…と"父"の自殺ほどではないが、未だに頭に残っている。

 中学生では、存外役に立つことが多かった。

 1つは、アニメだ。両親共にアニメヲタクで、昔から色々な作品を見ていたことにより、話題が湧き出て、意気投合する人が多かった。私がアニメヲタクになったのは、本当に両親のおかげである。"父"が好きだった母も好きなガンダムの話は、意外と仲良くなるきっかけになったのですごく感謝している。

 もう1つは、ゲームだ。学校以外に通っていた場所があるのだが、そこで同い年の子やひとつ下の子たちとすぐに打ち解けた。お互いにゲームを布教しあったり、攻略を教えあったりととても充実していたのを覚えている。

 まぁ、不登校になって自分の趣味に時間をたくさん注ぐ機会があったからこそ今の自分がいるだろうし、不登校じゃなければよかったと思うこともある。(主に勉強面だ。)

 高校生では、役に立つことしかない。

 アニメは、友達が見ている系統と違うのであまり話は弾まないが、ゲームはめちゃくちゃ弾んだ。友達の一人と入学後、すぐに仲良くなったのはゲームのおかげだ。「初めまして。俺、○○って言うんだけどゲームとか好き?」というような感じで声をかけてくれて、今でも仲が良い。本当に攻略面では助けられてるし、イベントの詳細や入手しておくと良いものなど情報がある程度全て流れてくるので助かっている。

 私は、この苦しみを…この忘れられない記憶の恐怖を6年も抱えてきた。カウンセリングに行こうが何しようが私の時は"父"の亡くなった「命日」で止まっている。私がもうすぐ小学校6年生になって、思春期であろう時期だ。…もう、追い求めた日々は過ごせない。











 私にとっての"父"は、愛情をくれなかった冷たい人。

 生活を鮮やかにする知識を身につけさせてくれたことには感謝をするが、家庭内でいつも素っ気ない態度…「私たち子供に興味が無い」と言わんばかりの雰囲気で過ごしてきた面が私には印象が強い。保育園児の頃は、それなりに愛情を受けていたと感じてはいる。しかし、私にとっての"父"は、冷たい存在でしかない。

 だから、世の中の"父"に…"親"に聞いて欲しい。子供は「できたことはとことん褒めて」あげてください。それだけで愛情をもらったと感じることができるんです。興味を持ってくれたと嬉しくなるんです。私には両親から「褒めてもらうこと」が本当に足りませんでした。そして、これからも褒めてもらうことは、ほとんど無く、足りないままでしょう。興味を持ってもらえていないとも思い続けるでしょう。私は、子供たちにそんな思いをしてほしくないんです。「誰でもみんな君を愛している」ということが子供の目に見えててほしいんです。特に長子は、本当に両親の感情にものすごく敏感です。目に見える「愛情」をたくさん示してくれないとそれだけで「頑張り=褒められない=興味が無い、頑張っても意味が無い」と覚えこみ、心に闇を抱えることになります。…私がいい例です。本当に一時期…というよりも今もなお、自殺願望はものすごくあります。それこそ「頑張り=褒められない=頑張っても意味が無い」と思い続けているからなんです。「愛情」を兄弟に等しく注ぐのは難しいです。しかし、頑張ったら頑張った分だけ褒めることはできるはずです。褒めてあげることだけ忘れないでいてください。

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