グリーンくん
ある小さな町の小さな駅にはまだグリーン色の公衆電話があ。
プッシュホンではなく、ダイヤル式といって、穴に指を入れて回すという時代遅れの代物だ。
なんでそんな時代遅れのダイヤル公衆電話がおかれているのかは、誰も知らない。
誰も興味がない。ましてや誰も使わない。
いつから置かれているのかもわからない。
昼間は、学校へ通う生徒や、病院へ通院するお年寄りが利用するが、夜ともなると閑散とする。そんな一時間に一本各上下列車が停車する、そんな田舎町の駅にある公衆電話の物語である。
ある日の夕方――
一組の夫婦が駅前を歩いている。若い夫婦と小学校2年だろうか、3年だろうか、とにかく半ズボン姿である。
初夏の夕刻、夕涼みであろうか。
お母さんがお父さんに声をかける。
「あら、珍しい。公衆電話だわ」
「ああ」とお父さん。
「お母さん、公衆電話って何?」と子供。
「そうか、太郎は公衆電話知らないのね」
そこでお父さん、
「ん、一度使ってみるか?」
「どこへかけるの?」と太郎と呼ばれた子供。
「弘のところはどうだ?」とお父さんは声をかけ、電話のところへ。
「へえ、おじさんのところか。僕、かけていい?」
家族全員、駅舎にある公衆電話のほうへ向かう。お父さん、お母さんには見慣れた電話だが、太郎にとっては未知の代物だ。
「お父さん、これ、どうやってメールするの?ゲームは?」
「ん、これはメールもゲームもできないぞ。ちょっと弘おじさんのところにかけてみるか」
太郎は興味深げに公衆電話をのぞき込む。
「かけてみるよ。どこを押さえれば、おじさんのスマホにつながるんだい」
お父さんは笑いながら言う。
「これは押さえないんだ。こういう風にして、穴に指を突っ込んで、ぐるりと回す。ダイヤルするっていうんだ」
と、実際にやってみる。
「ああ、面白い。僕、やってみるよ」
「じゃあ、おじさんのところにかけるぞ」
お父さん、コインの投入口に十円玉を放り込む。
「じゃあ、やってみろ。ええっと、あいつの電話番号、何番だっけか?」
考え込むお父さんに、お母さん、「スマホの住所録」とつぶやく。
公衆電話のグリーンくんはうれしかった。久しぶりに自分を使って電話をかけてくれたのだ。
うれしくてうれしくて、叫びだしそうだった。
つい、20年ほど前までは、僕は時代のエースだったのだ。
サラリーマンは会社との連絡に。
主婦は旦那さんや子供とのやり取りに。
恋人たちは、僕を使って愛をささやきあった。
それが今やどうだ。駅の目立つところに置いてあるというのに、だれも見向きもしない。
人影がこっちにやってくると思ったら、隣のジュースの自動販売機だ。
たまにジュースの自動販売機に声をかける。
「自売機くん、君はいいよなぁ。昔は僕も、モテモテだったんだぜ」
「冬になれば暖かい飲み物が売れる。夏になれば冷たいジュース。最近は水まで売れるんだぜ」
自動販売機は得意満面だ。
「うらやましいよ」
「元気を出しなよ」
ジュースの自動販売機が励ましてくれる。
グリーンくんのところへ人が立ち寄らない日々が続いていた。もう孤独にもなれたもんだ。あの子供連れが寄ってきてくれてから一か月は経っただろうか?
本格的な夏になっていた。
夏の夜は夜でも暑い。
グリーンくんもぐったりだ。そんな真夜中、二人連れの人影が見えた。
ここは田舎町の無人駅である。
真っ暗闇だ。
暗闇に紛れて二人の男が動いている。
男二人は、阪神タイガースの帽子をかぶったいかにも悪そうな中年男だ。
タイガース男二人組は、グリーンくんに近づき、べたべた撫でた。
一人はハンマー、もう一人の男は、人の手を広げたくらいの大きな鋏を持っていた。鋏を持った男は、グリーンくんにつながっているコードをぶちぶち切っている。
男の一人は言った。
「ノリオ、コードは全部切ったぞ」
「よし!俺の出番だ」
グリーンくんは、ボルトで壁に固く固定されている。固定されている箇所は4か所。男の一人はそこを思い切りハンマーでたたく。
ものすごい音がし、ボルトが壁ごと吹っ飛んだ。田舎町の駅の付近には民家もなく、夏の深夜に音だけが鳴り響いた。
四つのボルトは、あっという間に騒音とともに吹っ飛んだ。
グリーンくんは緑色の電話のくせに真っ青になった。
ノリオと呼ばれた男が言った。
「トリオ、運ぼうぜ」
阪神タイガースの中年男は、どうやら、ノリオとトリオというらしい。
ノリオとトリオは、グリーンくんを「よっこらしょ」と持ち運び、道路に停めてあった軽トラの荷台に置かれた。
ノリオとトリオは軽トラの座席に乗り込み車を運転させた。
真っ暗な田舎町の道路を軽トラは行く。
荷台のグリーンくんは、満身創痍のすり傷だらけだ。
受話器は吹っ飛び、どっかへ行ってしまった。
「これから僕はどうなるんだろう」
グリーンくんは不安でいっぱいだ。
ところどころにある民家は暗く、人々は寝静まっている。
軽トラは大きな川岸に出た。
川は月に照らされて、きらきら輝いている。そして、ゆっくりゆっくり流れている。
おもむろに軽トラは川岸沿いの道に停まった。
ノリオとトリオは軽トラを降り、荷台のグリーンくんのところにやってきた。
ノリオはグリーンくんをひっくり返し、
「ここに金が入っているんだな」
と言った。続いて、
「トリオ、しっかり電話をつかんどれよ」
と言うなり、どこやらかドライバーを取り出した。
ノリオとトリオのグリーンくん解体作業が始まった。
ノリオが、「くそっ!お札はゼロか!」と言った。
グリーンくんは、
「僕の体をどうするつもりだ!」
と叫びたかったが、恐怖で声が出なかった。
「くそっ!コインもこれだけか!」
どうやらグリーンくんの体の中には少額のお金しかないようだった。
「トリオ、ほかすぞ」
「よしきた」
二人の手によって、グリーンくんは持ち上げられ、
「せーの」
の掛け声とともに、河川敷に投げ込まれた。
グリーンくんは、ようやく目が覚めた。辺りは朝もやが覆っていた。
早朝なのだろうか。
体中が痛む。川の流れる音がする。湿った土と雑草が生い茂っていた。
グリーンくんは、昨日のことを思い出す。確か昨日までは駅で、公衆電話という仕事をしていた。ほとんど利用してくれる人はいなかったけど、仕事をしてた。
そうだ、阪神タイガースの帽子をかぶった二人連れに襲われ、ここへ投げ込まれたんだった。
「君も投げ込まれたのかい?」
どこかで声がした。
「君は誰だい?」
聞き返す。
「僕は、たばこの自動販売機さ」
グリーンくんは、声のしたほうへ目をやった。
そこには、ぼろぼろの長方形の箱があった。それはつい最近までよく見かけた『たばこの自動販売機』だった。
「なんて呼んだらいいのかな。僕は、グリーンさ」
「『ななつぼし』とでも呼んでくれ。昔は、セブンスターというたばこがよく売ったからね」
そういえば、たばこの自動販売機はグリーンくんのいた駅にもあった。いつも間にか撤去されていたが……
「君も暴漢にやられたクチかい?」
「そうだな。でも、やられてなくても、僕らは消え去る運命なのさ。自分で言うのもなんだけどさ、たばこなんて体に悪いもの、いや悪いとわかってて売る国が一番悪いと思わないかい?」
「そうだよ。君は、全然悪いことないよ」
まったく方向違いのところから声が聞こえた。
「誰だい?」
グリーンくんと、ななつぼしくんが同時に声を出した。
「僕さ」
多い茂った草むらの向こうに、ブラウン管テレビが転がっていた。
「君は?」
「僕は、ブラウン管テレビの、ブラウンさ」
「君も、もう使われなくなったの?」
「今は薄型テレビの時代さ。デジタルさ」
「なんだ、デジタルって?」
そう、たぼこの自売機、ななつぼしくんが口をはさんだ。
「そんなもん、知るかい。けれども、僕はどんだけ人間に尽くしたと思ってるんだ」
ブラウンくんは、すっかりおかんむりである。
「お茶の間でどんだけ僕は、みんなを楽しませた?野球にドリフにタケちゃんマン。ネットなんてどこがいいんだ」
「ネットって何だい?」グリーンくんが聞く。
ブラウンくん、それに答えず、
「見ろよ。僕たちの周りを……これが現実だ」
朝もやは晴れていた。
そこには使われなくなったワードプロセッサー、ラジオ、ステレオ、そういった類のものが散乱し、散らばっていた。
そして、それらの前には『川をきれいに』と書かれた立て看板が。
グリーンくん、ななつぼしくん、ブラウンくんたちは話をしなくなった。
自分たちが時代遅れの用無しだ、と気づいたからだ。
公衆電話はスマホになり、たばこは体に悪いから誰も吸わなくなった。そしてテレビはデジタルになり、若い人たちはネットだという。
川べりは時代遅れのものであふれていた。
幾日もの日々が流れ、秋も終わろうとするころである。
グリーンくんら、がらくたたちは、おとなしく河川敷でたたずんでいた。
がさっ、ごそっ、河川敷の雑草に踏み込む音がした。
「ひどいごみの量ね」
女性の声である。
「ああ、ひどいもんだ」
男性の声も聞こえる。
それは、グリーンくんらが聞く、ひさびさの人の声だった。
グリーンくんらは色めきだった。
この人たちが、僕たちを救い出してくれないだろうか、と。
男女の顔が見え、軍手でグリーンくんたちを撫でた。
若いカップルなのか、夫婦連れなのか、仲のいい二人連れだった。
「涼太、この公衆電話珍しい」
女性は笑いながら言った。
「磨けば、うちの店のヒーローになるかも」
男性が笑顔で答えた。
「ヒーロー、時代遅れのこの僕が?」
涼太と呼ばれた若者が、軍手でグリーンくんを撫でる。
グリーンくんは、くすぐったくて仕方がない。
そしてうれしい。
「このブラウン管型テレビも珍しいわね」
「かおり、このたばこの自動販売機も持って帰ろうぜ」
僕のことをヒーローだ、と言ってくれる。そして、ブラウンくんや、ななつぼしくんらとも一緒にいられる。天にも昇る気分である。
ななつぼしくんが言う。
「グリーンくん、浮かれるなよ。今まで僕たちがどんな目にあったか。どれだけ傷つけられたか」
ブラウンくんも、それに続く。
「もう人間は信じられないよ」
グリーンくんたちは、河川敷に不法投棄された時と同じく、軽トラの荷台に移される。
涼太とかおりは、グリーンくんを河原へ投げ込んだ人相の悪い男たちではなさそうだが、それでも人間は信じられない。
グリーンくん、ななつぼしくん、ブラウンくんたちを乗せた軽トラは田舎町を抜け、ちょっとした都市に出た。
以前、グリーンくんがいた街は、もう街としての機能を捨てたような街だったが、そこはかろうじて、街としての機能を保っていた。
涼太の運転する軽トラは、商店街の中に入り、速度を緩めた。
そして、ある商店の前で軽トラはゆっくり停まった。運転席から降りた涼太とかおりは、荷台からグリーンくんたちをゆっくり降ろし、商店の中へ運び込んだ。
「もうじきうちの店もオープンだ。頑張らなくっちゃ」
グリーンくんたちを運び込んだ涼太はそう自分に言い聞かせるように言った。
グリーンくんは、運び込まれた場所をゆっくり観察した。
その内部は、何かしらのお店に見える。そこには、昭和の映画のポスターが貼られ、ぴかぴかに磨かれたワードプロセッサーや、古い柱時計、蓄音機やラジオ、初代カセットテープのウォークマンがきれいに飾られていた。
かおりがエプロンをつけながら、
「今日の戦利品は、公衆電話、たばこの自動販売機、ブラウン管テレビよ。さぁ、徹底的に磨くわよ」
ぞうきんを絞りながら、涼太それにこたえる。
「了解」
涼太とかおりは、ごしごしとグリーンくんを、雑巾で磨き始めた。
グリーンくん、ななつぼしくん、ブラウンくんは、雑巾で徹底的に磨かれ、ぴっかぴっかになった。
「業者を呼んで破損されたところを治さなきゃね」
かおりがそう言うと、
「何言ってんだ。我々でできるだけ治すんだよ」
と涼太が答えた。
涼太とかおりは、そう言いあいながら、首にかけた手拭いで顔の汗をぬぐった。
コーヒーのいい香りが店中に漂っている。きれいに飾られているグリーンくんたち、昭和のがらくたたちは、今や人気者だ。さっきも子供たちに、ぺたぺた触られた。どこかへ行ったと思われた受話器も、復元され、グリーンくんの元へ戻った。隣のたばこの自動販売機、ななつぼしくんも、ブラウン管テレビのブラウンくんも、さっそうと胸を張っている。
あるおばあさんが言った。
「私の若いころのものがたくさん。もう、懐かしくて懐かしくて」
お母さんが子供に説明している。
「この公衆電話は、私のお母さん、おばあちゃんのころのものかなぁ。小銭を入れて、指で回すの」
子供が言った。
「ラインはどうするの?」
笑い声が起こった。
グリーンくんは信じられなかった。ついこの間まで河川敷に捨てられていたんだ。ななつぼしくんや、ブラウンくんもそうだ。
この店は、『昭和の店 レトロ館』という純喫茶である。
涼太とかおりという若い夫婦がやっている。
涼太とかおりは言う。
『捨てるようなものは、この世にはありませんよ。河川敷に捨ててあるものは、お宝ですよ。ブラウン管テレビで育ったし、ついこの間まで公衆電話は頑張っていたんです。うちに寄って、あの頃を少しだけ思い出してください。
おいしいコーヒーを淹れてお待ちしています』
この喫茶店、『昭和の店 レトロ館』はどこにあるのかって?
あなたの街に、きっとあるはずですよ。
(400字詰め19枚)