(2)
温かいパンが入った紙袋を抱えたまま、僕は店近くの公園にやってきた。
四角の東屋には今日も誰もいない。
まれに子どもを連れた人がいることがあるだけの、静かな公園。
二十数年前にできた住宅地には、昼間から公園で遊ぶような年齢の子供は、そんなにいないようだった。
ここには一年間、ほぼ毎日通った。
真っ青な支柱のブランコも、木枠の砂場も、バネ付きの動物遊具も。もう直ぐ見なくなるのかと思うと、少し寂しい。
そうなるだろうことを知っているのも、僕だけ。
紙袋をガサガサ言わせながら、中からバターロールを一個取り出した。
この一年でわかったことがある。
焼きたてのパンは優しく触らないと、風船のようにしぼんでしまうということ。
スーパーのパンコーナーでパンを買っていた時には、もっとぞんざいな扱いをしていた。冷たくなってしまったパンは、少々乱暴にしたってその形を崩さなかった。
でも、焼きたてのバターロールは違う。
あのパン屋で初めてバターロールを買って、この公園の東屋でやっぱり紙袋をガサガサ言わせながら、パンを取り出した時。
それは、パン屋の棚にすまして並んでいた時とは比べものにならないくらい、ぺちゃんこになってしまっていた。
僕は、最初唖然として、手の中で平べったくなったそれを見つめた。
口に含んで見ると、板のようなパンがバターの香りだけ放って、パンの食感はしなかった。
僕は買ったパンの袋をサブバッグに入れたことを思い出した。
そのため、他の荷物にパンが潰されてしまったのだった。
その次の日は強く持ちすぎた。
バターロールに僕の指の跡が残って、その部分だけ固くなってしまった。
優しく、優しく。
何度か失敗して、僕はパン屋に行くときは、財布以外の荷物を持つのをやめた。許せるのは悪天候の日の傘くらいだった。
そうやって、バターロールの扱いに慣れた頃の季節は、初夏。
公園のツツジが賑やかになっていた。
ツツジを見ながらパンをかじっていると、涙が出てきた。
彼との事。
もっと大事にすれば良かったって。
バターロールを大事にするみたいに。
彼のことも、僕はもっと気にするべきだったのだ。
今更、後悔したって遅い。
ぺちゃんこになったバターロールは、息を吹きかけても膨らむことはない。それと同じ。
僕が流していた涙は、無駄だった。
ポタポタと地面に落ちて、せっせと食べ物を運ぶ蟻を、脅かすだけだった。
ツツジが終わって、紫陽花が咲いて。
紫陽花の花が茶色くなって、蝉が鳴き。
蝉の死骸が転がっている上で、トンボが飛んで。
それを見なくなったと思ったら、今度は公園の広葉樹の葉が変色して。
落ち葉を踏んでいると、冷たい雨が降って。
雨の中の息が白く濁る向こうで、木々に硬い芽が付き。
なごり雪が舞うのを茫然と見ていたら、張り詰めた冬の空気が温んで。
温くなった甘い気候が、見えない傷口に染みた。
僕のせいだから、泣くのは狡いんだ。
苛烈な夏も、穏やかな秋も、冷淡な冬も、僕を責め続けて。
そして、呼吸を奪う春が来た。
僕の罪は、僕しか知らない。
僕と彼の間に少しの波を起こしただけで、あとはそのままだから。
その事実だけで、僕は息ができなくなりそうだった。