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第92話 黄色い雉


「これと同じものがこの袋一杯にあると……?」


「ああ! 凄いだろう!」


「そしてすべて卸してくれると……?」


「ああ! 驚いたろう!」


「わが国に……?」


「ああ! そうだとも! 僅かの差で危うく胡散臭い商人に買い叩かれるところだったぞ!」


「それはなんとも……」


「どうだ! バルジン殿!」


「でかしましたぞ! トレヴァイユ様! よくぞ他者の手に渡るのをお止めくださった! これはなんとも素晴らしいマールの花だ!」


「そうだろう! これも神のお導きだ! さあ、早速調合に取り掛かってくれ!」


「言われるまでもありませんぞ! トレヴァイユ様! このバルジン、スレイヤ王室専属薬師としての威信と誇りにかけて生涯最高の仙薬エリクサーをお作りすることをアースシェイナ様にお誓い申し上げますぞ!」


「そうか! あっ待て待てバルジン殿! 仙薬エリクサーはどのくらいで仕上がるのだ! 王室にはいつ謹上できるのだ!」


「明日の午後には仕上げてみせます! さあ! もう良いですかな! 私は奥に籠りますぞ!」


「明日の午後だな! 承知した!」


 最初から僕なんていなかったかのように、トレヴァイユさんとバルジンさんのふたりで会話が進められ、勝手に盛り上がり、そして終わった。

 まあふたりともとても嬉しそうだから良しとしよう。

 トレヴァイユさんが、然も自分が採ってきたかのように誇らしげだったのが少しだけ気になったけど。

 

 そしてバルジンさんは至極満足そうに部屋から出て行き、豪華な応接室にはまたふたりきりとなった──


 って、あれ? バルジンさんが買い取ってくれるんじゃないのかな……?

 凄い勢いで出て行っちゃったけど……。

 あの袋の中にはキノコも入ってたのに……。


 僕は、ちら、と隣に座っているトレヴァイユさんに目を配ると──蕩けるような笑顔で遠くを見つめていた。






 到着したバルジンさんの店は、店というより館と呼ぶべき建物だった。


 王室専属の店というからにはさぞかし大きいのだろう──と予想はしていたが、そんな僕の想像をはるかに超える豪壮な館だった。

 店頭で商品を買えるような店構えではなく、本当に素の”館”なのだ。

 建物に入る際に、つい靴を脱いでしまいそうになる習慣は、抜けるまでにもう少しかかりそうだった。


 使用人によって応接室のような立派な部屋に通された僕が、一緒についてきてくれたトレヴァイユさんから『この区画は貴族街だ』と説明を受け、近くの宿を尋ねようとしていたときに、バルジンさんは部屋に入ってきた。

 そして僕がテーブルの上にひとつだけ出していたマールの花を見るや否や、というわけである。







「あのう、トレヴァイユ様……」


 いつまでも蕩けているトレヴァイユさんを見ていてもらちが明かない。

 僕は肝心かなめである本題に踏み込むことにした。


 しかしトレヴァイユさんは僕の呼び声が耳に入らないのか、視線を宙に彷徨わせたままでいる。

 少し開いた口から見えているのは涎で間違いなさそうだ

 いったいなにを見ているんだろう。

 僕もトレヴァイユさんが見ている辺りに視線を向けると、そこには──女の人と、男の人が裸で抱き合っている絵が飾られていた。


「……トレヴァイユ様……」


 僕の痛い視線を受けたからか、ハッと我に返ったトレヴァイユさんが、今初めてその絵の存在に気が付いたかのように


「ち、違う! だ、断じて違うのだ! 私は別のことを──」


 慌てて取り繕う。

 僕はトレヴァイユさんの唇から垂れ落ちそうな涎が気になり、口元に視線を向けてしまった。

 するとトレヴァイユさんが何食わぬ顔でポケットから白い布を取り出し、淑女然とした所作で口元を拭った。


「オホン、──さて、キョウ、出ようか、宿まで送って行こう」


 ひとつの咳払いですべてをなかったことにしようとするトレヴァイユさんが立ちあがる。


「あの! トレヴァイユ様、えぇと、その、金貨二枚は……」


 お金のことなので少し言い淀んでしまったが、それでも本来の目的を果たそうと、僕も立ちあがりながら確認してみた。


「ん? ああ、素材を買い取った額は翌日の朝には城へ報告が上がってくる手筈になっている。明日の昼にでも城に来れば支払うよう私が手続きしておこう」


「──!」


 想定外のことに絶句した。


 城……はまだいい。

 金貨を受け取るだけであればせいぜい係の人と顔を合わせるだけで済むだろうから。

 それよりも問題は


「明日……ですか……」


 金貨を受け取れるのが明日の昼以降ということだ。



 はあ……また野宿さんとご対面ですか。

 結局こうなるのか。

 もういいや、この辺りは雑木林も多かったから、一夜くらいなら衛兵に見つからずに夜を明かせるだろう。 



「どうした、キョウ、明日では具合が悪いのか?」


 何度も浮き沈みを繰り返して、最終的には沈没してしまった僕の感情と折り合いをつけているところにトレヴァイユさんが心配そうに声をかけてきた。



「具合が悪いというか、その、実は……」


 近衛兵であるトレヴァイユさんに話すべきではないのかもしれないが、このまま帰るにしろ送ってもらう宿もない。

 適当な場所で降ろしてもらうとしても、折角多少は信用を得たというのに、そんな騙すようなことをしてまた変に勘ぐられてしまうのも避けたい(すでにいくつかの誤魔化しはあるが)。

 僕は今日青の都に来たばかりで宿がなく、お金もないので最悪は衛兵に捕まるかもしれない野宿をも検討していたことを正直に打ち明けた。






「なんだ! そんなことか! それならば宿を紹介してあげよう!」


 トレヴァイユさんは心底困り果てている僕とは正反対に、僕の抱える喫緊の問題を『そんなこと』と笑い飛ばした。



 貴族のトレヴァイユさんにはわからない悩みなんだろうけど……。



「ありがとうございます、でもトレヴァイユ様、僕は持ち合わせがあまりなくて、とてもではないですが高い宿には泊まれないのですけど……」


「大丈夫だ、その心配は必要ない。安くて良い宿だからな」


 

 貴族のトレヴァイユさんが安いって……

 ちょっと怖いな……

 宿まで行ってお金が足りなかったら申し訳ないけど断ろう……



 野宿に対する懸念は拭えたとはいえ、続いて金銭的な部分で一抹の不安が残っている僕の肩を、


「さあ、そうと決まったら急ごう」


 トレヴァイユさんが、ポン、と叩くと、革靴の踵を小気味よく鳴らして部屋から出て行く。

 僕は銅貨しか入っていない小さな皮の袋を覗き込みながら、トレヴァイユさんの後を追った。







 ◆







「さあ、着いたぞ、ここだ」


 バルジンさんの館を出てから馬で走ることほんの僅か。

 先に馬から降りたトレヴァイユさんが差し出す手にお礼を言いながら、地面に降りた僕の目の前には──


「え? ここが宿……?」


 どう見ても貴族の屋敷としか見えない豪奢な邸宅があった。

 先ほどのバルジンさんの館も大きかったが、この建物はその数倍は大きい。

 門から館までは篝火が焚かれていて、その途中にある庭には恐ろしく大きな噴水があった。

 それを見て、あれだけ大きな噴水なら寝小丸さんでも水浴びができるだろう──なんて益体もないことを頭に浮かべた。

 

 三階まである白い館は、僕の目には安い宿には見えない。

 僕は銅貨しか入っていない小さな革袋を、ぎゅっ、と握りしめた。


「ああ、ここがそうだ」


 やはりここで間違いないらしい。

 やはり貴族の金銭感覚は──と少し前の自分を棚に上げて、トレヴァイユさんに僕の懐事情を理解してもらうために銅貨のはいった革袋を見てもらおうとしたとき、館の一階の天井まで高さがある玄関がすっと開き


「トレお嬢様! お帰りなさいませ!」


 執事の装いをしたすらりとした男性が近付いてきた。



 お嬢様? 

 お帰りなさいませって、いらっしゃいませ、じゃないの……かな……?



「カルディ! 馬を頼む! それと客人だ! 部屋の用意をしてくれ!」


「承知いたしました」


 カルディと呼ばれた執事さんがパンパンと二度手を叩く。

 すると今度は館からふたりの女の人が姿を現し、ひとりは馬を連れてどこかへ行き、ひとりは僕の外套を脱がせてくれた。

 なんだか貴族に戻ったような気がしてむず痒い。

 カルディさんはトレヴァイユさんの外套を受け取り、先頭に立って館へ入って行く。


「さあ、ついておいで、キョウ」


 トレヴァイユさんが、心なしか柔らかくなった気がする口調で僕を手招きする。

 僕は革袋を渡す気を逸してしまい、言われるがままにトレヴァイユさんの後をついていった。






 館に入ると左右にずらりと侍女が並んでいた。

 カルディさんがそのうちのひとりに二言三言話しかける。

 するとその侍女は軽くお辞儀をすると階段を上がって行った。




 僕は玄関のホールを飾る、とても品の良い調度品に僕は目を奪われた。

 どれをとっても一流の品とわかるほどだ。


 正面飾られた黄色いきじが描かれた大きな絵──。

 そしてその前、一番目立つ場所にはクロスヴァルトの家にもあった、スレイヤ王室の象徴、紫の龍の彫刻が圧倒的な存在感で以って鎮座している。


「トレヴァイユ様、ここってまさか……」


 ここまで見させられれば僕でもわかる。

 間違いない。

 黄色い雉の紋。

 さらには国王から選ばれた貴族家のみに下賜され、そしてその中でもさらに一握りの貴族だけに、人目に触れる場所に飾ることを許されている紫の龍。

 そう、ここは貴族の館、もっと言うならばスレイヤ王国、伯爵家であるクルーゼ家の館だ。

 そして──目の前でしたり顔をしているトレヴァイユ=クルーゼ、クルーゼ家ご令嬢トレヴァイユさんの自宅だろう。


「気が付いたようだね、そう、ここは私の館、──無論、宿代は無料ただ、居心地も保証付きだよ」



 どうして気が付かなかったんだ!

 クルーゼ家といったら、代々殿下仕えの側近中の側近の近衛じゃないか!

 そんな人の馬に乗って、こうして館までのこのこ付いてきてしまうなんて!

 万が一僕の素性がバレでもしたら!



「どうした? キョウ、貴族の家だからと言って身構えなくてもいいんだよ? 明日の午後には君は救世主になっているかもしれないのだから」



 だ、大丈夫だ、僕とラルクロア=クロスヴァルトを紐付ける要素は皆無だ。

 瞳も髪も水色のままだ、慎重に、言葉を選んで一晩やり過ごせばいい。

 きっと上手くいく。



 僕は早くなる呼吸を押さえて、そう自分に言い聞かせた。



 ん? トレヴァイユさんがなにか言ってなかったか? 明日の午後には──



「さあ、キョウ、自分の家だと思ってゆっくりとくつろいでくれたまえ、私はこれから城に戻らなければならないから、失礼するよ?」


 トレヴァイユさんが執事のカルディさんになにかを伝えると玄関から出て行こうとする。

 僕は慌ててその後を追うと


「トレヴァイユ様! ど、どうしてここまでして下さるのですか! こんな悪党かもしれない見ず知らずの子どもに!」


「あれだけのマールの花を金貨一枚で手放そうとしていた少年が、私の身を脅かすほどの悪人だとでも?」


「う……」


「見縊られても困るんだけどな? こう見えても私は王室付きの近衛隊長なんだぞ? 悪の匂いは決して見逃さない自負はあるんだけどね、そしてキョウ、君からはその匂いがしない」


「……」


 何も言い返せない僕に向かい片目をパチンと閉じると、トレヴァイユさんは館から出て行ってしまった。


「さあ、キョウ様、お部屋へご案内いたします」


 カルディさんが僕の背中に声を掛ける。


「あの、カルディさん、とお呼びして良いのでしょうか」


 カルディさんが「いかようにも」と頷いたのを見て


「──一晩お世話になります。よろしくお願いします」


 深々と頭を下げ


「──それと、僕のことはどうか、キョウ、とお呼びください。──ただの平民なのですから」


 真摯にお願いをした。


 カルディさんは感心したように目を輝かせると


「承知いたしました、キョウさん」


 小さくお辞儀をした。








 ◆







 市場で出会った不思議な少年を自宅へ招いた後、館を出たトレヴァイユは、教会へ行きアースシェイナ神に感謝の祈りを捧げるのが先か、それとも自身が仕える主の下に赴くのが先か真剣に悩んだ。

 しかしトレヴァイユは敬慕してやまない主の下へ向かうことに決めた。

 その代わり、城に着くまでの間にアースシェイナ神への感謝を口に出し続けることを自らに課すことで、今の感情に均衡を図ることにしたのだった。


「ああ! アースシェイナ様! あの少年の許へお導きいただき感謝申し上げます!」


 馬上から叫ばれる心からの祈りは、トレヴァイユの美しさと相まって見る人すべてを魅了した。

 トレヴァイユはそんな都の住人の目も気にすることなく溢れる笑顔で祈りを捧げ続ける。




 

 自身で誓いを立てた通り、城までの道のりを感謝の言葉を叫びながら馬を走らせたトレヴァイユは番兵に手綱を任せると、長い階段を二段飛ばしで駆け上がった。

 途中、頬に纏わり付く桃色の髪も煩わしいと感じたのか、足を止めることなくポケットから白い布を取り出すと、長い髪を後ろでひとつに結わく。

 そんな近衛隊長の姿に、何事か、と城に務めている者たちが振り返る。

 

 そして主の部屋の前まで来ると歩を緩め、扉の前で番をしている近衛兵に向かい


「殿下のご様子は!」


 息を整えながら尋ねる。


「は! お変わりありません!」


 兵からの返事を受けて、トレヴァイユはなんとも言えない顔をする。

 変わりのないことを憂いた表情か、それとも安堵の表情か──。


「入るぞ」


 すっかり呼吸を整えたトレヴァイユは一歩引いた兵の横を抜けると扉を開け、部屋の中へ入って行った。







 部屋の中は城の裏手に広がる湖から反射する月明かりで青く揺らめいていた。

 トレヴァイユは部屋の中央にある寝台まで歩み寄ると、そこで目を閉じで寝ている主に向かって静かに声をかける。


「もう少しの御辛抱です。明日の午後には仙薬エリクサーが届きます。それも最高品質の仙薬エリクサーです」


 美しい青い髪を白い寝台に広げる主はなにも言わない。

 それでもトレヴァイユは主の小さな手を握りしめ、そして話を続ける。


「元気になられたら恩人であるあの少年にも是非お会いしていただきたいです……」


 笑顔を浮かべているトレヴァイユの頬から零れた涙が主の手にぽたりと落ちる。


「ミレア様……ミレア様……」


 青く浮かび上がる部屋には、トレヴァイユの主の名を呼ぶ透明な声の余韻がいつまでも残っていた。


 


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