第86話 偽物
「いやあ、それにしても兄者、見事なものでしたな!」
「カイゼルさんこそ! 大気と地の振動を利用して敵の居場所を正確に捉えるなんて、凄すぎます! 普通じゃとても考えられませんよ!」
「恐縮ですな! 納屋でこの大槍を発見したときに思いついただけですわい!」
「あの迫力と言ったら、それはもう、人鬼と見間違うところでしたよ!」
「ガッハハハ! それはなんとも! 某の幼少の頃の通り名はまさに人鬼の落とし子──」
神殿を離れてから約一アワル。
初陣から無事生還できたことを実感し始めた僕は気が昂り、カイゼルさんと武功談義に花を咲かせていた。
時刻は昼過ぎ。
小雨が降る第三層を、庵に向かってゆっくりと帰っている最中だ。
「カイゼル様、お疲れにはならないのですか?」
「なに、心配には及びませんぞ! 姉者よ! この程度の速度であれば休みなど無くとも三日は走れますゆえ!」
ゆっくりとはいっても、行きに比べて、というだけで、実際は馬が駆けるよりも倍は速い。
カイゼルさんは大きな一歩を活かし、巨体を揺らして寝小丸さんと並走している。
「さすがは聖教騎士様ですね」
「まあ、この体格ですからな! 馬車に乗れないがゆえに鍛えざるを得なかっただけではありますがな! しかし某などまだまだですぞ! 団序列一位のファミア殿やお師匠様に至っては奔る姿を肉眼で捉えることなど不可能ですからな!」
それでお師匠様は僕より早く庵についていたのか……
ファミアさん、というとやっぱりリーフアウレに手伝って貰ってるのかな……
庵に戻ったら僕にもできるのか、リーフアウレに聞いてみよう。
規格が違いすぎるお師匠様や騎士の人たちの逸話に何度も驚かされながら深い森を進んでいると、
「あ! 寝小丸さん! ちょっと止まって下さい!」
ふと目に入ったものが気になって、急停止した猫馬車から森に降り立った。
「どうされたのだ、兄者よ!」
「聖者さま? いかがされました?」
『ニャーオ』
そんな僕の突飛な行動にみんなが不思議がっているが、僕は目当ての大木の根元に向かうと
「見て下さい! これ、虹香茸です! 炭火で炙るとすっごい美味しいんですよ!」
ミスティアさんの大好物を一本掴み取り、みんなに見えるように高く掲げた。
「おや、兄者、それは偽物ですぞ?」
僕に近寄りながらそう指摘するカイゼルさんに、僕は「えっ!?」とキノコを見る。
「ほれ、良く見て下され、軸が細いではないですか、それに──」
僕の手からキノコを受け取ったカイゼルさんが、僕に見えるようにキノコを逆さにして
「偽物は笠の裏に黒い斑点があるのです。──これは煮ても焼いても食えぬ、猛毒のキノコですぞ。格上の茸に擬態することによって相手を欺く、厄介な茸ですわい。他者の威を借るなど、不届き極まりない奴め!」
と眉を顰めて、ぶん、と遠くに放り投げてしまった。
「兄者も真贋を見極められるように、目を肥やして下されよ! 間違って食らってしまいポックリ逝かれては笑えませんぞ! ガッハハハ!」
いや、ホント笑えないんですけど……良かった……この前見つけなくて……
腹ペコだったから絶対食べちゃってたよ……
「虹香茸であれば──」
カイゼルさんは大木の上の方の枝に手を伸ばし、ごそごそっとなにかを探す素振りを始める。
しばらくの間そうしていたが、
「ほれ、これがそうですぞ!」
カイゼルさんはそう言うと、太い指で摘んだキノコを僕に見せた。
「見て下され、良く見るとまったく異なっているのがわかりますかな?」
なるほど、そう言われてみると軸も太いし笠の裏に黒点もない。
香りも段違いに良い。
それになにより茸が醸し出している風格が違う。
本物と偽物とでは、持っている資質からしてまったく違っているということなのだろう。
「本当だ、確かにこれが虹香茸だ……」
でも、あんな高いところに生えているなんて……
てっきりキノコは木の根っこに生えるものだとばかり思っていた……
「見た目に惑わされてはいけませんぞ? 御気を付け下され」
そんな僕の気持を察したのか、カイゼルさんが優しく忠告をしてくれた。
森のことももっと勉強しなければならないな……。
「某も十に満たぬころ間違って食してしまい泡を吹いた懐かしい思い出が──」
僕は急いでエミルの下に戻った。
その後しばらくして休憩している際、カイゼルさんが大きな手のひらいっぱいに虹香茸を採って来てくれた。
僕とエミルはそれをせっせと革袋に詰め込むと、今晩は虹香茸の炙り焼きにしよう! と、頬を緩ませて帰り道を急いだ。
◆
試練の森、第五層──。
庵につながる二本の大木をくぐったのは日付が変わる直前だった。
視界が切り替わり穏やかな草原が目に入ると、心の底から安堵する。
もうここが僕の"帰る家"になっていることの現れだろう。
速度を落とした寝小丸さんが屋敷近くまで進むと、
「童、話がある。ちょっといいかい?」
「うわッ!」
玄関先で待ち構えていたお師匠様に驚き、寝小丸さんから転げ落ちてしまった。
「痛ってて……って、お、お師匠様!?」
な、なんでお師匠様が庵に? 城へ行ったんじゃなかったのか?
ちょっと神出鬼没にも程があるんじゃないか!?
もう僕にとっては試練の森のどんな魔物よりも恐ろしく思えてきた。
そんなお師匠様がつかつかと歩み寄り、腰をさすっている僕の正面に立つと
「明日一番で青の都に向かうんだよ」
険しい顔で僕を見下ろす。
「え? 青の、って、王都、ですか?」
「ああ、そうだよ。これを持ってお行き」
と言って手渡されたのは……今度は地図ではなく、巻物だった。
受け取って確認すると、蝋封は黒い梟──レイクホールの紋だ。
寝小丸さんから降りてきたエミルが僕の腰に手を当てて治癒魔法を掛けてくれた。
僕はそのことに小さく礼を言うと、慣れたとはいえ、突然の指令に目をぱちくりさせ、
「いったいどうしたんですか? 突然、まだあの女の人たちの介抱も──」
「娘らはわたしとエミルで診ておくから心配はいらないよ。それより支度を済ませるんだ、明日の朝にはここを出なきゃならないからね。今回はひとり旅だ、娘らの介抱を終えたらエミルを送り届けるよ」
するとカイゼルさんも隣にやって来て、
「どうされたのです、お師匠様よ、兄者も疲れておる、二、三日の休息を与えてもやれんのですかな?」
と聞いてくれるが、
「ああ、そんな悠長な暇はないね、青の都は今大変なことになっている。わたしだってこうして老体に鞭打って駆けてきたんだよ」
お師匠様の口調と表情は硬いままだ。
だが、言う割には疲れている様子は微塵も感じられない。
疲労の具合は感じられないが、ただならない雰囲気は伝わってくる。
僕は、お師匠様の纏う空気から、これはなにかあったのだろう──と即座に覚悟を決めた。
「わかりました、行きます。行きますけど、僕が向かう理由を教えてもらってもいいですか?」
たぶん今回も死と隣り合わせの修行だろうが、このくらいは聞いておきたい。
するとお師匠様は額の皺を指先でなぞり、厳かに口を開いた。
「青の都で『無魔の黒禍』が現れ、非道の限りを尽くしている。──童が行ってその偽物を成敗してくるんだよ」
「──ッ!!」
む、『無魔の黒禍』がなぜッ!?
まったく予想していなかったお師匠様の返答に、僕は鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を受けた。