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第55話 系譜






 ◆






「キミ……」




 突然のことに身構えることもできずにいる僕の引きつった顔を、爛々と光る碧の双眸が覗き込む。




 僕は生まれてこのかたエルフ族なんて見たことがない。


 文献にもあまり詳しく書かれていなかったから、こういうときに役に立ちそうな知識もまったく持ち合わせていない。


 生まれながらにして魔力量が多いということと、その昔、第一階級魔術師が出たらしいということぐらいしか知らない。父様もエルフの話になると眉を顰めていたためになんとなく聞き辛かったことを覚えている。


 しかし、人族とエルフ族が敵対しているといった話は聞いたことがなかった。




 でもこの(エルフ)はどうなのか──。




 ぱっと見ではひとりのようだし、武器を持っている様子はない。


 僕を見る視線からも敵意は感じられない。


 第一、僕を殺すつもりなら最初の一手で容易くできたはずだ。


 今にしたって──何を思って僕のことを見ているのかは知れないが、音も無く背後に忍び寄ってきたこのエルフにとって、三メトル程度の距離なんて無いに等しいだろう。


 そもそもからして僕に危害を加えることなど朝飯前に違いない。




 敵、ではないのか──。




 だが。僕は警戒心を最大限に引き上げた。


 魔物がうようよいるこの森の中を、女の人がひとりで、しかも剣も持たずに歩いているなんて狂気の沙汰としか思えない。




 階級の高い魔術師か──。


 そうでなければ僕の知らない魔物──。




 僕とエルフ、ふたりの間の空気がピリピリと音が聞こえるほどに張り詰める。




 僕は精霊に助けを求めるのも忘れてこの空気に飲まれてしまっていた。




 そして──




「キミ、もしかして……」




 エルフがさらに輝きの増した瞳で以って口を開いた。


 僕の目を見据えたまま、小首を傾げて発する口調と表情からは、僕に対する興味のようなものが窺える。






──しまった! 眼帯していないんだ!






 そのとき僕は、このエルフは僕の黒い右眼を怪しんでいるんだ、と思った。




 予備の眼帯はイリノイさんが後から持ってきてくれるという荷物の中だ。


 別れてからそのことに気が付いたが、どうせ人と会わないように進むのだから構わないか──と軽く考えていたのだ。




 僕は手遅れと知りながらも慌てて視線を逸らそうとするが、どういうわけかエルフの瞳から目を離すことができない。


 逸らしたら最後、その隙をつかれて襲われる──といった恐怖心ではないと思う。


 僕のすべてを見透かしているような碧の瞳に惹きつけられてしまっていたのかもしれない。




 僕は緊張に耐えられず、ゴクリと唾を飲んだ。




 するとエルフは




「──もしかして、お腹空いてる?」




 クスッと吹き出した口に手を当てて、整った顔を笑いを堪えるように歪ませて僕を見る。




「えっ?」




「だって、クスッ、一生懸命隠れているのに、クスッ、お腹はグーグー鳴って、プッ、頭隠して、なんていうの? プッ、あ〜もう駄目ッ!」




 そう言うとエルフの女の人は声を出して笑い始めた。


 ご丁寧なことに目尻には涙まで溜まっているように見える。




 緊張の糸が一気に切れた僕はその場にへたり込み、大きく息を吐いた。




 そしてそのときようやくその人が、ミスティアさんと同じ聖教騎士団の紋章のついた外套を着ていることに気が付いた。




 なんでもっと早く気付かなかったのか……。




 僕は自分の洞察力の無さが情けなくなり、もう一度盛大にため息を落とした。








「聖教騎士団の方、だったんですか……」




 折れかけた心を頑張って立ち直らせ、声をかける。


 するとエルフの女の人も笑いから立ち直ったのか、呼吸を整えながら目尻の涙を指で拭うと




「うん、それも正解」と返す。




「ここじゃ濡れちゃうから場所移そうか」




 エルフの女の人は僕の腕を引いて立ち上がらせる。




 そして僕が「え? あ、あの?」と戸惑っているのも構うことなく、グイグイと引っ張っていく。




 聖教騎士団の人なのであれば、悪い人ではないはずだ。


 なされるがままに付いていっても危険はないだろう。




 でも僕の脳裏に初対面で吹き飛ばされたミスティアさんの顔が浮かび、言動だけは気を付けよう──と肝に銘じた。




 エルフの女の人はしばらく歩いて大きな木の下まで来ると、その木にできたうろに僕を押し入れた。


 そして自分も中に入るとうろの入り口に向けてさっと腕を振る。


 すると入り口が何やら薄いガラスのようなもので封がされ──うろの中は今まで襲っていた冷たい雨や風が一切入り込まない快適な空間となった。


 それだけでなく、そのガラスからはほのかに熱を感じる。


 不思議に思い恐る恐る手をかざしてみると──なんと、じんわりと温かい。




「うわ、すごい……」




 そんなことを造作もなく一息にやってのける手練に自然と息が漏れる。




「さあ、はやく座りなさい?」




 そんな僕に微笑みながら、エルフの女の人は自分が座る隣の地べたをポンポンと叩く。




 そこに座れ、ということか。




 大きな木のうろといってもふたりも入ればきゅうきゅうだ。


 そこに並んで座るとなると嫌でも身体が触れ合ってしまう。




 七歳とはいえども僕は男だ。


 そのことをこの人はどう思っているのだろう。




 ミスティアさんにした失敗を重ねたくなかった僕は、次にどう行動すればいいのか困惑してその場で立ち尽くしてしまった。


 こうなると、僕は女性恐怖症になってしまったのか、とこの身を案じてしまう。


 だけど、『いや、女の人、ではなくて騎士の女の人が苦手なんだ、そうに違いない』と自分に言い聞かせる。


 そして再度ミスティアさんの顔が浮かび上がり、思わず苦笑いを浮かべてしまったとき、




──ポンポン




 と、また地面を叩く音が聞こえてる。


 顔を向けるとエルフの女の人は笑顔を見せてはいるが、その笑顔からはあの人と同じ無言の圧力のようなものを感じ、




「──ひッ! し、失礼します!」




 その笑顔を見た僕は、トラウマから息を飲んで慌てて隣に腰を下ろした。


 僕は女性騎士、さらには女性特有とも言える無言の笑顔が苦手なのかもしれない。




 すると満足したのか嬉しげに荷物から何かを取り出して僕に差し出してきた。




「ボクはファミア、ファミア=サウスヴァルト。──こんなものしか持っていなくて申し訳ないけれど、よかったらどうぞ?」




 サ、サウスヴァルト!? こんなところでヴァルトの名を耳にするとは! い、いや、そんなことよりもヴァルトの系譜にエルフ族がいたなんて! 


 父様はそんなことは一言も……いや、だからあのとき──




「ん? どうかした?」


「え、いえ!」




 僕はその名を聞いて顔を強張らせてしまったが、一瞬だったのと、この場が暗かったことが幸いしてエルフのファミアさんには気付かれずに済んだようだった。




「お腹、空いてるんでしょ?」




 ヴァルトのことが気にはなるが、空腹には勝てない。


 そのことは後でイリノイさんに聞いてみよう、と、いったん頭の隅にしまって置くことにした。




「は……い。で、でも、よろしいのですか……?」


「ほら、ボクはエルフだからね。食事はほとんど口にしないんだ。それも何かあったときの非常食として携帯していただけなんだ」




 「キミみたいにお腹を空かせた子にあげるためにね」と、笑いながら包のようなものを僕に手渡してくる。




 「ありがとうございます」と礼を言い、エルフは食事を取らないんだ、と感心しながら受け取ったものを確認する。が、受け取ったそれは驚くほどに軽い。


 それが食べ物であるとは到底思えないほどの軽さだ。


 僕は担がれたのかと思い、ファミアさんの顔を見るとクスッと小さく吹きながら、




「騙したなって顔してるね! 無理もない、それはね、プルハスっていって、エルフに伝わる伝統料理なんだ。エルフは身軽さが取り柄でもあるからね。少しの荷でも持つことを嫌がる。そんなエルフ族に伝わる、軽くてお腹いっぱいになる魔法の食べ物なんだ」




 説明を聞いてなるほど、と納得する。


 でも食事をしないエルフ族がお腹いっぱいになる量っていったら、たかが知れているだろう。


 人族で育ち盛りの、それも空腹で飢える寸前の男子が摂取する食事としては甚だ少ない気がする。


 それでもこうして見ず知らずの僕に施しをしてくれる聖教騎士の高潔な精神に心から感謝し、そしてその感謝を




「ありがとうございます!」と言葉にして包を開けた。




 包を開けると(かすみ)のような、(もや)のようなものが入っていた。




 なんだこれ! と、喉まで出かかったがなんとかその言葉を飲み込む。が、苦笑いだけは我慢できずに




「い、いただきます」と、騙されたと思ってその霞とも靄ともいえない奇妙なモノにかぶりつくと──




 思った通り、何かを噛んだ感触はない。


 それだけではなくなんの味も香りもない。


 一応何度か咀嚼してみるも、なんの歯ごたえもない。




 なんだか昔、妹たちとしたおままごとを思い出す。


 実際は食べるわけにはいかない泥団子をモグモグと食べたふりをしてゴックンと飲み込む振りをするのだ。


 その間、妹ふたりは拵えた料理(泥団子)が美味しいかどうか心配そうな顔で僕を見続ける。


 そして最後、僕は決まって『とても美味しかったです。ごちそうさまでした』というのだ。


 するとネルとミルは満面の笑みを浮かべる。


 とても懐かしい思い出だ。




 そんなことを考えながら、しかしいってみれば、ある意味泥団子と変わらないプルハスに苦笑しながら、妹たちと同じような表情で僕をみるファミアさんを横目にゴクンと飲み込んだ振りをした。




 そして『とても美味しかったです。ごちそうさまでした』とお決まりの文句を口にしようとしたとき、




 ズシン! と胃に何かが落ちてくる感覚を覚えた。


 そしてすぐさまみるみる空腹が満たされていく。




「な! えぇ?」


「どうしたの? 口に合わなかったかな」


「と、とんでもないです! ──その、と、とっても美味しいです!」




 僕は用意した台詞(セリフ)ではなく、本心からそう言った。


 そう、とっても美味しいのだ。


 不思議なことに、口の中ではまったく何も感じなかったというのに、プルハスが胃に落ちて満腹感を得ると、同時になんともいえない幸福感も得られたのだ。




 今まで味わったことのない、至福の旨み──。




 食事の後の幸福感だから、脳が美味しいものを食べたと判断するのか、本当にそういった味がするのかはわからないが、とにかく美味しいとしか表現ができない。




 僕はもう、今の一口だけでお腹がいっぱいになってしまった。






「本当にごちそうさまでした!」




「そう? それはよかった。それはあげるからまた後で食べるといいよ」




 妹たちよりも綻んだファミアさんの笑顔に、僕は空腹だけでなく心も満たされた。






 



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