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第54話 ブレナントの聖女





 二体の魔奪人鬼(アブソーブオーガ)がその名の通り、鬼の形相でひとりの男と対峙している。


 しかし人鬼(オーガ)は抵抗する素振りもなく、男に人鬼(オーガ)の討伐証明部位である三本の角を切り取らせている。




 少し前にラルクの術によって動きを封じられた人鬼(オーガ)だ。


 精霊の力の源が潤沢なここ(試練の森)に於いて、ラルクの術にかかってしまっては、たとえ魔物の上位種である魔力吸収能力持ち(アブソーブ)であったとしても人鬼(オーガ)程度であれば、永遠に指一本動かすことは不可能だろう。


 つまりは"生きながらにしての死"だ。




 それを知ってか知らずか男は臆することなく人鬼(オーガ)に向かい剣を振るっている。


 が、身動き一つしない人鬼(オーガ)でもラルクの術によって固められた角を切り落とすのは容易でないのか、男は何度も何度も硬い金属音を辺りに響かせ、白い息を吐きながら必死に剣を振り下ろしていた。




 少し離れた場所にも二体の奪魔鬼(アブソーブオーガ)が動きを止めている。


 しかし既にその頭部には、人鬼(オーガ)の最大の特徴となる角はなかった。もう男に狩られた後なのだろう。だがそれでも人鬼(オーガ)の凶悪さには微塵の減少も見えず、寧ろ人としての様相が濃くなった分、鬼の面を持つ人間のような、なんともいえない恐ろしさを放っていた。




 そしてそのすぐ脇には涙を流しながら、倒れている者の見開いたままの瞳を閉じて回る女の姿があった。




 女──エミル──は、ここまで苦楽を共にしてきた仲間たち四人が亡き者になってしまったことは、既に確認が済んでいた。




「あぁ……あぁ……」




 この冒険者集団(パーティ)の回復役として務めを果たせなかった自責の念と仲間を失った深い悲しみに襲われ、エミルの口から嗚咽が漏れる。




 だが、エミルには自分はともかくとして、幸運にも生きながらえたスコットを無事帰還させる、というこのパーティの回復職としての最後の使命が残されていた。




 魔力は一滴も残ってはいないが、やれるだけのことはやりたい、そのためにはいつ動き出すやもしれない魔物の前から一刻も早く脱出して、早々に帰途に着く必要がある。




 そう考えるエミルは恐怖に怯えながらも、せめて仲間たちが安らかに天界に返れるようにと、祈りを捧げて回っていた。


 そして最後のひとりのまぶたを閉じてやり、祈りを口にしようとしたとき




「エミル! これで俺は大金持ちだ!」




 切り落とした角を詰め込んだ革袋を抱えながら、先程まで剣を振るっていた男──スコット──がエミルの下に戻ってきた。




「すげぇぞ! これを組合(ギルド)に持っていけば一生遊んで暮らせるだけの金が手に入る! エミル! そいつらのことはもういい! 早く帰るぞ!」




「も、もう少しだけ待ってください、スコット。クラックに祈りを捧げるだけの時間をください」 




「そんな無駄なことをしている時間はねえ! 早くしねぇとまた魔物に囲まれるぞ!」




 スコットはエミルの願いを聞き入れることなくこの場を立ち去ろうとしている。




「待ってください!」




 エミルとて聖職者だ。


 人は皆すべて平等と教えられてきたなか贔屓するわけではないが、やはり古くからの知り合いに対して適当に祈りを済ますことなどできやしない。


 しかも今回のことは自分の力不足のせいだと心を痛めているのだ。


 スコットにしても、少なからずクラックたちが敵に立ちはだかってくれたから命があるようなものの、彼らと同様にその命があのとき散っていたとしてもなんら不思議なことではなかったのだ。


 にもかかわらず、死者を冒涜するようなスコットの発言にエミルは声を荒らげる。






 エミルは、一攫千金の宝を手にして、スコットが性格を違えてしまったのだと考えた。






 しかし、それこそがスコットの本性であった。


 今までの道中、エミルを気遣っているように見せていたのは、あくまでもエミルの気を引こうとしてのことだった。


 そうでなくとも付き合いの長いクラックの方が、エミルの奪い合いに於いて先行しているのだ。


 必要以上に優しくしなければ勝てる要素が見当たらない。


 そのための良い人の振り、であった。




 一生遊んで暮らせるだけの素材を手にし、そのうえ魔奪人鬼(アブソーブオーガ)を四体も屠ったという名声も手に入れられたのだ。


 そうなれば高位の冒険者として、爵位持ちの令嬢から婚姻の申し込みが殺到するかもしれない。


 エミルはいくらブレナントの聖女とはいえ、所詮は平民だ。


 平民である聖女は魔力が枯渇してしまえばその身以外には、なにも残らない。


 残った身にしても、いまは美しくともいつかは衰える。


 それならば美しさよりは爵位の方が一生使い物になる。


 そして──エミルが生きて帰ってしまっては、報奨金の分配によって教会と揉める恐れも出てくる。


 一年間という定まった期間とはいえ、教会としては聖女としての呼び声高いエミルを手放すことはしたくなかった。


 教会は結局エミルの意見を渋々受け入れるかたちとなったわけだが、それにはエミルが出した『冒険者として得た私の報酬は全額教会に寄付する』という提案が決め手となっている。


 ゆえにエミルは今回のことを教会に報告する際、ギルドから得る報償についてスコットと折半することも合わせて伝えるだろう。そうしたところで得る褒賞は大金に違いはないが、小娘に半分もくれてやるのは惜しい。


 そればかりか、スコット自身が魔奪人鬼(アブソーブオーガ)討伐に関与していない、ということが、正直を地でいくエミルによってばらされてしまう恐れがある。




 ここに残しておけば魔物に襲われて勝手に死んでくれる──。




 スコットは角を切り落としながらそこまで思考していた。




 そして最終的に、『魔力が底を尽き、回復役として機能しないエミルを連れて帰るのは、足手纏いになるうえに自身の将来図を汚される危険がある』と判断したスコットは、もうエミルに対しておべっかを使わなくなったのだった。




 だからスコットは、




「おい、行かねぇんなら俺は行くぞ」




 なんて言葉も平気で言ってのける。




「そ、そんな……」




 危険な場所からすぐさま退避する、など冒険者として生き残るためには必要なことなのだが、そのことをわかっていてもエミルは心底スコットという男のことを軽蔑してしまう。




「じゃあ、聖女のお前がしっかりこいつらを弔ってやれよ、俺はそんなことに付き合わされるのは御免だ、ああ、回復魔法が使えないお前が付いてきても足手纏いになるだけだから、俺のことは心配しなくてもいいぞ」




「──!」




 そしてスコットがそう言ったとき、エミルは死んでいった仲間と共にこの場に残り、最後まで祈りを捧げることを決意した。


 そのためには自らの死をも厭わないと覚悟を決めた。


 四人もの仲間を死なせておき、祈りも捧げずに逃げ帰るなどとは何が聖女だ、そしてあわよくば生還できたとしてこの先どの顔して生きていけばいいのだ、と。


 気がかりだったことを歯に衣着せぬ物言いで言ってくれたスコットに感謝したいくらいだった。


 もはやスコットと一緒に帰還し生き延びる選択など小指の先ほどもなかった。




 スコットはエミルの覚悟の決まった表情を見ることなく、別れの挨拶もせずに背を向けると足早に立ち去っていった。










「うぅ、ごめんなさい……私が力及ばなかったばかりに……こんな屈辱まで与えてしまって……」




 濡れそぼった銀の髪を地に付けながらエミルは、これ以上ないというような悲しげな声で仲間たちに謝罪をする。


 謝って報われる魂などでないことは理解していたが、それでもあまりにも礼を欠くスコットの立ち居振る舞いに代わって、エミルは謝罪せずにはいられなかった。




「ごめんなさい……」




 エミルの頬を涙が伝う。


 寒さに震える身体に涙の温かさを知る。




 魔物に襲われずとも、じき凍え死ぬだろう。




 そうなる前に死者を弔わなければ──。




 エミルは自らを奮い立たせると、ゆっくりとクラックに祈りを捧げ始めた。






 死を覚悟したうえでの祈りなどエミルは初めてだ。


 今までも教会では皆を救おうと、一切手を抜くことなく祈りを捧げてきた。


 だが、ここにきてエミルは死を前にして全身全霊の力で祈りを捧げる。




 そのことに神が応えてくれたのだろうか。




 エミルの最後の祈りが周囲を神聖な場へと変化させた。




 目を閉じて深く祈祷しているエミルは気が付かないだろうが、エミルの周囲だけ雨が上がり──それだけでなく、ここ数日見せなかった日の光まで差し込んできた。


 鳥は朗らかに歌声を披露し、どこからか舞ってきた蝶がフワリとエミルの肩にとまる。




 第三層で起こった奇跡──。




 この場を見るものがいたらエミルを女神と見まごうだろう。






 祈りはさらに深くなる。


 そのとき、エミルの脳裏になぜか先ほど見た少年の姿が浮かび上がった。


 エミルたちを救おうとしたのか、人鬼(オーガ)の気を引こうと大声で叫び声をあげていた年端もいかない少年の姿──。




 エミルは死を直前にして神の存在を身近に感じる今、あの少年こそが神の御使いだったのではないだろうかと思えてきた。




 先程までは冷静さが欠如していたために考えが及ばなかったが、あの少年のお陰で今こうして祈りを捧げることができているのだ、と。


 あの不可思議な現象を引き起こしたのは神の御使いであるあの少年の御力に違いない、と。




 そう結論付けたエミルの心に感謝の念が湧き上がってくる。


 少年の姿を思い出して強く感謝を伝える。


 するとさっきまで冷え切っていた身体が嘘のように温かくなってきた。


 まるで陽だまりの中で祈りを捧げているかのように。




 神の温情にエミルの頰から涙が一粒零れた。


 そしてその涙がクラックの手にぽたりと落ちる。




 次の瞬間──。




 祈りを捧げているエミルが目の前に違和感を感じ、閉じていた目を開けると──。




「ク、クラック!!」




 クラックの指先が微かに動いた。


 それはほんの僅かなことではあったが、エミルに大きな希望を与えた。




「クラック!!」




 雨が上がっていることも、日が差していることにも気が付かずにエミルは叫ぶ。


 そしてクラックの鼻先に耳を近付ける。




「い、生きてる!!」




 すると弱々しいものではあるが、確実にクラックから息が漏れているのを感じとった。




「まさか! そんな!」




 エミルは戸惑いと喜びに複雑な表情を浮かべて叫び声をあげる。




 そして──




 エミルの覚悟がカチリと音を立てて切り替わった。




 仲間が生きているのなら、まだ私のするべきことが残されているのなら、私がここで死を選択してはならない。


 生きて仲間を助けないと──。




「ああ、アースシェイナ様……ありがとうございます……」




 感謝の気持ちを口にすると他の仲間たちにも同じように祈りを捧げ始めた。


 しかしいくら祈っても、どれだけ神と少年に感謝しても同じ奇跡は二度と起こらない。




 エミルはとっくに降り出している雨にもまた気付くことなく肩を落とす。が、そこで不満を覚えてしまえば神の怒りに触れて、クラックに起きた奇跡をも無に帰してしまうかもしれない。




 どれだけ時間を要しようと、エミルは自らの命ある限り祈りを捧げ続けていたかった。


 それが自分にできる唯一のことなのだ、と。


 けれども、そうしていては命を吹き返したクラックも衰弱してまた命を落としてしまう。


 それは神の意思に背く行為だ。どうあっても避けなければならない。今は神に頂戴したクラックの命を大切にしなければ──。




 エミルは酷く葛藤するも、三人に別れを告げると気丈にも立ち上がった。


 そしてクラックを背中に担ぎ、二体の人鬼(オーガ)の間をすり抜けその場を後にした。




 エミルの前を向くその表情は少し前のそれとは違い、生きる希望に満ちていた。
















 だが、エミルは地図を持っていないことに気付き顔を青くした。


 ここまでの道はすべてスコットの指示のままに進んできていた。


 冒険者として日が浅いエミルにはどちらに進めば来た道に出られるのか見当もつかない。


 取り敢えずはスコットの立ち去った後を辿って可能な限り進んでみたが、予想通り瞬く間に迷ってしまった。


 不安に押し潰されそうになるもエミルは足を動かす。


 聖職者としての経験しかない十五歳の少女が、成人したてとはいえ男性を担いで試練の森を進むのは過酷を極めた。


 しかも雨は強さを増している。


 それでもエミルはひとりの命を救おうと懸命に歩を進める。




 しかし──


 方向感覚を完全に失ってしまったエミルは第二層へ出る門とはま逆の方向、つまり森の深部、第四層へ続く門に向かって歩いてしまっていた。






 



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