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第43話 切ない別れ


 ミスティアが食堂に入るといつもの席にイリノイが座っていた。

 ミスティアは先ほどの行為を見られてしまい若干気恥ずかしさが残るものの、対処しなければならない事案が山積しているため、そこはぐっと我慢して席に着く。

 ミスティアが座った席もいつもと同じイリノイの正面だ。


「庁舎からだわ、カイゼルたちが戻ったのかしら」


 ミスティアは伝報矢(メッセージアロー)の内容にそれとなく目星をつけながら、テーブルの上に置かれた巻物(スクロール)を手に取ろうとしたが


「その前に何があったのか話してごらん」


 イリノイの射るような視線を浴びると手を引っ込めて「えぇ〜」と口を尖らせた。


「だ、だから、なにもしてない……わよ、まだ……。なんとなく気になった、っていうか、……その、胸に耳をあてたらドクドクしてて、なんだか生きてるって思ったら、わ、私もなんだかドキドキしてきて……こんな気持ち初めてだからよくわからなくて……そうしたら、ど、どんどん胸が苦しくなって……気が付いたら……その、唇が……その……」


 ミスティアはイリノイとは目を合わさずに視線を落としたまま、椅子の上で身悶えしながら赤裸々に胸中を語った。


「ハァァ……なに言ってんだいこの()は……そんなことを聞きたいわけじゃないよ、街の外でなにがあったのか聞いているんだよ」


 呆れた口調でそう言うイリノイは、しかしミスティアの成長を喜んでいるかのように笑みを湛えている。


「な、なによそれ! わ、わかってたもん! 今から話そうと思ってたんだもん!」


 ミスティアは必死に取り繕うが、イリノイにそんなことが通用するわけがない。

 目を極限まで細めている祖母に、ミスティアは耳を真っ赤にして、どうにかこうにか一部始終を話した。







 ◆






「そうかい、よく生きて戻ってくれたね、ティア」


 話を聞き終えたイリノイが席を立ち、ミスティアの隣に座るとそっと肩を抱き寄せる。


「私は……なにもできなくて……」


 小さく震えるミスティアは、かすれた声でそう言うとイリノイの肩に頭を預けた。


「しかしティア、本当にあの童がそう言ったのかい? クロカキョウと」

「うん、しっかり聞いたわ、私の目をまっすぐに見て……あの目は……」


 ミスティアはイリノイから離れると居住まいを正し、


「ねえノイ婆! あの子は本当は何者なの! 本当に黒禍なの!? あんな見たこともない魔術! 私が行使できなかった加護魔術だってなんの苦もなく使ってた! ねえ! ラルクは黒禍なの!? ノイ婆!!」


 堰が切れたように問い質す。


「ティア……それはわたしにもわからないね……今はまだ……」


 今度はイリノイがミスティアから目を逸らすとそう言った。

 しかしミスティアの感情の昂りは収まるどころか激しくなっていく。


「だって! あんなに小さいのに私の身体をひと抱えにして! 待たせたって! もう心配いらないって! 精霊言語だってあんなに上手に! 会って間もない私をあんなに大切そうに護ってくれるなんて……私……どう恩を返したら……」


 ミスティアの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。

 イリノイはその涙をそっと拭うと


「ティアは護ることしかしてこなかったからね、護られることだって偶には良いもんだろう? お姫様にでもなった気分じゃなかったかい?」


 ミスティアを宥めようと冗談交じりに揶揄する。


「そんな! 私はただあの子の素性を知りたくて……」

「わかっているよ。でもね、ティア、ティアに辛い過去があるようにあの童にだって人には言えない想いを胸に抱えているかもしれないんだ、そこにずかずか踏み込んでいくのは感心しないね、あの童は性根の優しい良い子だよ、いつか必ず自分から打ち明けてくれるだろうよ、──第一あの童は自分のことをそこまで理解していないんだからね」


 イリノイがミスティアの肩をポンポンと叩き、


「さあ、わたしはまた城に行ってくるよ、ティアも報せを解いてみなさい」と促す。


 ミスティアは涙を拭くと小さく頷き巻物(スクロール)の封を解いた。


「あ、猊下からの呼び出しだわ……なにかしら、もしかして昨日のこととか……」


 ミスティアが昨日(正確には今日だが)襲われたことを頭に浮かべる。


「なんだかわからないが……念のため童のことは黙っておいで」


 イリノイの言葉にミスティアは肯定の返事を返し、教会に向かう支度を始めた。





 ◆





 出がけにラルクの部屋を訪ね、ひとしきりラルクの身体を撫でまわしたミスティアの気分はすっかり晴れわたり、暗く沈んていた表情も今では花が咲いたような笑顔に戻っていた。

 教会に向かう馬の上で、鼻歌でも歌いだしそうな心持ちだった。いや、本人が気が付かないだけで実際鼻歌を歌っていた。


 こんなにレイクホールの街が鮮やかに色付いて見えるなんて──


 生憎、先ほどから雨模様に急変したレイクホールの灰色の空であったが、ミスティアの目には入らない。


 早く帰ってラルクの世話をしてあげたい──


 たった一日でこうも感情を揺り動かされるとは、正直ミスティアは自分で自分の性格が恐ろしく思えてきた。





 教会に着いたミスティアは階段下に迎えに出ていた男に「馬を頼む」と、手綱を渡す。


「──ん? どうした、グストン」


 しかし手綱を受け取った男がいつもと様子が違い、そわそわしていることに気が付き、ミスティアは普段であれば気にも留めないのだが、今朝は少しだけ足を止めてグストンに声をかけた。


「いえ! なんだかその、ミスティア様がとてもお綺麗に見えると言いますか、あ、いえ、いつもお綺麗ではありますが、その、今日は特別に光り輝いて見えます!」


 これも普段であれば、いつもの社交辞令か、とミスティアは一笑に伏すのだが、今朝はなぜか


「ふ、そうか、それは悪い気はしないな、ありがとう、グストン」と、笑顔を向けた。


「は! ミ、ミスティア様! も、もし、良かったら今度──」

「それでは私は先を急ぐので。──続きはまたの機会にでも聞かせてくれ」

「は……、は! 是非そのときはよろしくお願いいたします!!」


 グストンはここ数年で一番の敬礼でもって、階段を上がるミスティアを見送った。





 ミスティアが地下礼拝堂に降りると、既にドレイズがミスティアを待っていた。


「遅くなり申し訳ございません、ドレイズ猊下、ミスティア=ハーティス、呼び立てに応じ、ただ今参りました」

「ミスティア=ハーティス、貴殿に新たな任を与える」


 開口一番、時節の句も労いもなくミスティアに勅令を出すドレイズの冷淡な声を聞き、ミスティアの心臓が早鐘を打ち始めた。


「バシュルッツ国境警備隊の長として国境一帯の警備を任命する、本日のうちに出立せよ」


 バ、バシュルッツ! そんな! しかも本日中とは!


 ドレイズから任地を聞いたミスティアの視界は、先ほどまでの色鮮やかだったときのものとは一転、曇天よりさらに真っ暗なものになってしまった。


「ハーティス、カイゼルら四名の騎士たちは未だ戻らん、ゆえに二人の騎士を従えることを許す」


 心の中を鉄の棒で掻き回されたように混乱しているミスティアに、ドレイズの言葉はもはやただの音にしか聞こえていなかった。


 それでも辛うじて内容だけは理解することができたのは長年の経験の賜物か。


 心ここに在らずの状態のミスティアは身に付いた習慣だけで敬礼をすると、引きずるような足取りで礼拝堂を退室した。







「も、もう屋敷へ戻られるのですか? ミスティア様!」

「馬を頼む」


 叫び出したいほどの苦悶の色に染まったミスティアの感情は、それでも鍛え上げられた精神力で以って地下から螺旋階段を上ってくる際にいくらか持ち直すことができた。


「は、はい」


 ミスティアの異変を察知したのかグストンが言葉少なに厩舎へと走る。




「グストン、貴君の序列は如何ほどだ」


 ミスティアが馬を従えて戻ってきたグストンに声をかける。


「は、昨年の試験で二十二位へ昇格しました!」

「二十二位……少し厳しいか……わかった」

「ミスティア様、私に何かお望みでしょうか!」

「いや、先ほど猊下からバシュルッツ遠征の任を仰せつかったのでな、未だ戻らぬカイゼルらの代わりに従者を探しているのだ」


 ミスティアはそう言うとグストンから手綱を受け取ろうとする。が、


「自分にお任せくださいっ! こう見えてみ、水の精霊様と契約を交わしておりますっ! き、きっと何かのお役に立てるかとっ!」


 グストンの力説を聞いて「ふむ」とその手を止めた。


「水の精霊様……」ミスティアの脳裏に金髪の少年の顔が浮かぶ。


「任地はバシュルッツだぞ、しかも出立は本日四の鐘だ」

「は! 一アワルもかからずに支度してみせますっ!」

「……よし、グストン、それでは貴君をバシュルッツ遠征の隊に加えよう、四の鐘に門で待て。──しっかりと別れは済ませておけよ」

「ありがたき幸せ! グストン=タイヤード、バシュルッツ遠征の任、謹んで拝命いたします!」

「頼んだぞ、グストン」


 ミスティアはそう言うと、もうひとりの従者を探しに騎士が詰める庁舎へと向かった。







「ミスティア様!」

「お戻りとは本当だったのですね!」


 庁舎には十名ほどの騎士が詰めており、ミスティアが姿を見せるなり皆総立ちで迎えた。


「みな、久しいな、息災だったか?」懐かしみながら軽く世間話をしたミスティアが本題を切り出す。



「それであれば私以外に適役はいないかと!」

「俺を! 俺をお連れください! ミスティア様!」

「精霊様と契約を結んでおらぬ貴様が何の役に立つと言うのだ! ミスティア様! 火の精霊様と契約を結ぶそれがしを供に!」


 途端に全員が手を挙げ、前のめりに自己主張をしてくる。

 ミスティアは遠征先はバシュルッツとわかっているのか、と苦笑する。


 そんな中、屈強な猛者どもに混じって声を張っている少女が目に入った。

 銀色の髪を後ろでひとつに束ねている、大変美しい少女だった。

 ミスティアは自分よりふたつ、みっつ年下に見えるその少女の下まで歩み寄ると


「貴君もバシュルッツ行きを希望するのか」と、尋ねてみた。

 少女は目を輝かせて「それしか希望いたしましぇん!」と、舌を絡ませながら回答する。


「序列と名を申せ」ミスティアがそう言うと辺りから諦めにも似た、ため息のようなものが聞こえてきた。


「はひ! わ、わたしは序列十一位、リサエラともうしましゅ、す! 十五歳です! 火の精霊様と契約を交わしております! ミスティア様に憧れて聖教騎士団に入団しました! あと、 えと、り、料理が得意です! おばあちゃんからたくさん教えてもらいました! 野営の際は美味しい料理を作ってミスティア様を元気にします!」


 ミスティアはリサエラという少女のことを微笑ましく見つめる。

 十年以上前だが、昔の自分を見ているようだった。

 しかし今回の遠征は経験が重視される。

 十一位と年齢の割には序列は高いが、このような先のある騎士の芽を今ここで摘んでしまうわけにはいかない。


 別の騎士を見繕おう──


「得意料理はキノコ料理です! 特におばあちゃん直伝の虹香茸(にじかおりだけ)の炙り焼きには自信があります!」


 しかし、リサエラの悪魔の囁き(アピール)を聞いたミスティアの心(胃袋)は、僅か十五歳の少女に完全屈服(ノックアウト)されてしまった。







 ◆







「そうかい……」


 ミスティアからバシュルッツ国境警備隊長の任を拝命したと聞かされたイリノイはため息交じりにそう答えた。


「本当に行くのかい? ティア。 わたしはね、あんたがこの先も騎士でいる必要はないとさえ考えているんだよ」

「なっ!」


 続くイリノイの突然の言葉にミスティアは言葉を詰まらす。


「ひとりの女として伴侶と幸せに暮らす、そんな生き方を選択してもいいんじゃないかい? ──例えば……あの童とかどうだい」

「ノ、ノイ婆! な、何言ってるのよ! 私から騎士を取ったら何も残らないじゃない! ──それに、その、ラルクはまだ七歳よ……? 私みたいなおばさんじゃ……違う! そうじゃない! そうじゃなくて! 私は一生ひとりでいいの! だからバシュルッツに行くの!」

「ティア、強情を張ると淋しい想いをすることになるよ」

「もう決めたからいいの!」 



 ミスティアは食堂を飛び出すと一目散にラルクの部屋へと向かった。







「ラルク、報告があるんだけど……」


 ミスティアはイリノイに言ったことと同じことを、意識のないラルクに話して聞かせた。


 これから任に赴く場所はスレイヤ王国だけではなく聖教騎士団、延いてはレイクホール辺境伯も見捨てた最果ての地だ。

 バシュルッツ王国の兵だけではなく、猛悪な魔物も跋扈する彼の地からは生きて帰れる保証はない。


 不安を和らげたいこともあり、臆していることも含めてラルクに報告する。

 しかしラルクは行くなとも頑張れとも応えてはくれない。



「ラルク……」


 ミスティアはラルクの頬を撫でながらさめざめと泣いた。

 出会ってからまだ一日も経っていないというのに、ミスティアの心は金髪の少年に支配されつつあった。

 だがしかし、騎士として生まれ、騎士として育ち、鍛錬に明け暮れたミスティアにはこの感情に名前を付けることができなかった。

 ただ、ラルクと離れることが心の底から辛い。

 そういった想いとしか感じ取ることができなかった。


 だが、『ひとりの女として伴侶と幸せに暮らす』と言う祖母の言葉が重く胸に圧し掛かる。


 騎士であることを枷に思う日が来るなどとは、いっそのこと──


 この感情の答えを知り、この涙を止められるのであれば、騎士を捨てるという選択も──


 しかし、ミスティアは(かぶり)を振り、その思いを否定する。


 私を必要としている村や町があるのなら、助けを必要としてくれている人たちに私の騎士としての人生を捧げよう。

 今までもそうであったように、これからも私はそうあり続けなければならない。


 ミスティアはともすればここに残りたいと訴えかけてくる心の声をどうにか抑え、断腸の思いでバシュルッツ行きを決断した。


 だが、涙は止まらない。

 喉の奥からせり上がってくる痛みが嗚咽として口から漏れ出てしまう。


 ミスティアは潤む視界の先にラルクを見る。


 もう二度と会えないかもしれない……

 だからせめてお礼だけは言っておきたい──


 ミスティアは目を閉じているラルクに顔を寄せると「ありがとう、ラルク」と額にそっと口付けをした。 



「お別れだ……少年……」


 騎士としての別れを選んだミスティアは声にならない声でそう告げる。



 そして立ち上がったミスティアは、ラルクに敬礼をすると一度も振り返ることなく部屋を後にした。








「道中気を付けるんだよ、忙しくても食事はしっかりとおとり」

「わかってる」


 低く垂れ込めた灰色の雲から落ちてきた最初の雨粒がミスティアの頬を濡らした。

 すぐに追いかけるように降ってきたいくつもの水滴が屋敷の石畳を打ち始める。


「あの童のことは任せるがいい、わたしに考えがある。立派な男に育て上げてみせるさ、楽しみにしておいで」

「だから、ノイ婆……ううん、ラルクのこと、お願いね」


 冷たい雨がミスティアの蜂蜜色の髪を美しく濡らす。

 頬を伝う水滴は雨のようにも涙のようにも、どちらにも見えた。


「行っておいで、ティア」

「行ってまいります、ノイ婆」


 ミスティアは外套を頭まで深く被ると馬を走らせる。


 イリノイはミスティアの姿が見えなくなり、しばらく経った後も屋敷の門の前から動かずにいた。

 イリノイにはミスティアの後を追う、ひとつの小さな光の珠が見えていたのだろうか──。


 レイクホールに降る久しぶりの雨は、まだ当分の間止みそうになかった。





 第二章 完


 


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

ラルクはまだ夢の中ですが、ここで第二章の完結となります。



第三章は目を覚ましたラルクがイリノイの下、最強の加護魔術師として成長していく内容が中心となります。


その前に幕間として、なぜミスティアが僻地の警備に回されたかを少々と、閑話として門番とミスティアのやり取りを少々挟みます。


それでは今後もよろしくお願いいたします。

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