第118話 正統なるクロスヴァルト侯爵家次期当主、ラルクロア=クロスヴァルト
『お、おい……あの制服にあの黒髪……交流戦特別推薦枠の……』
『あ、ああ。間違いない……魔法科の線なし……だ……』
俺が頭巾をとると、周囲にいた生徒が警戒するように一歩引いた。
とりあえず、いきなり襲い掛かられるといった心配はなさそうだ。
そのことに警戒を解いた俺は足元に刺さる伝報矢を抜きながら──、
「それで、ハウンストン先輩。お望みどおりフードをとりましたが、どういうことか説明していただけますか?」
ざわついている外野に聞かれないよう、小声で訊ねる。
するとハウンストン先輩は、
「説明? なにをですか? ──ラルクロア様」
少しおどけたような口調で返す。
『おい、やっぱりラルクロアと言ってないか?』
『俺もそう聞こえたが……』
『ラルクロア? っていったらラルクロア=クロスヴァルトか? じゃ、じゃあ、まさか、あいつが?』
『知らねえよ、俺だって見たことねえんだから。でも本物かもしれないぞ? 見ろよ、あの剣姫の恭しい態度を』
聞こえてくる会話に、俺はハウンストン先輩を見ていた目をスッと細めると──、
「この場で俺の昔の名を口にしたことや──」
そしてアイザルに一瞬だけ視線を移し、
「そこで固まっているアイザル先輩とのやり取りについてです」
そう訊ねた。
「そのことでしたら、私はただ頼まれただけですので──」
ハウンストン先輩は直立不動状態のアイザルをちらっと見たあと、
「──彼の件は予定外ですが」
せっかくなので便乗させていただきました、と軽く笑う。
便乗ね。
凡そ予想はついていたが。
実家に立ち寄った際に俺の素性を知り、いい機会だからと俺を利用してアイザルに教育的指導を行おうとした、とまあ、こんなところだろう。
どこまでが予定外なのかは知らないが……
しかし──
「頼まれた、とはどういうことです?」
アイザルの件はアレだが、もう一つの方の回答に、俺はさらに目を細めた。
するとハウンストン先輩は、顔をわずかに俺の方へと寄せると──、
「実はこのお店に入ろうとしたところ男性に呼び止められて、その方に頼まれたのです。はじめは突然見ず知らずの男性から声をかけられたことに大変驚きましたけど──まさか……」
先輩はここでもう一段階声を潜めると──、
『──まさかあの方がお忍び姿のクレイモーリス殿下などとは思いもしませんから』
「殿下が!?」
俺は思わず声に出してしまった。
涼しい顔をしている先輩とは正反対に、顔が引きつっているのが自分でもわかる。
『なぜ殿下が!?』
「それは存じませんが、私はより身分が上である殿下のお言葉を優先したまでです。『ラルクをラルクロア=クロスヴァルトとしてみんなに紹介してやれ』というお言葉を」
先輩はそう言うと「──おそらく、その伝報矢は殿下からかと」俺の右手に視線を落とした。
なんだって殿下がハウンストン先輩にそんなことを──。
俺も持っていた伝報矢を持ち上げると、まじまじと見る。
そういわれてみれば、この矢が届いたタイミングは絶妙すぎる。
俺が正体を晒した直後……
そう。まるで俺がフードをとるのを待ち構えていたかのようなタイミングだった。
またあの人か……
本当に最近なにを考えているのか……
人が大勢集まる場所で騒動を起こさずにいられない殿下に、
もう勘弁してほしいよ……
俺は、諦め混じりの溜息を吐いた。
「それで殿下はどちらへ」突然姿を消した殿下の行方を確認すると
「『急用ができたから後は任せる』とだけ」ハウンストン先輩も知らないと言う。
ったく。これだから酔っ払いは……
「──先輩。申し訳ありませんが、この封を解いていただくことはできますか?」
とはいえ、伝報矢は急ぎの用事かもしれない。
俺は早速伝言を確認しようと先輩にお願いする。
すると先輩は「本当に魔法が使えないのですね」と驚きつつ、受け取った伝報矢に魔力を流した。
俺は先輩の質問に応えることなく、お礼だけ言うと、先輩から巻物を受け取った。
なにが書かれているのだろう……
急ぎではあっても、喫緊の要件でないことだけは確かだ。
封を解くことができないことを知る王室関係者は、俺宛に伝報矢を送ることなどないからだ。
火急の要件の場合は、姿を見せない隠れ者のような人物がいつも直接巻物を持ってきてくれている。
偽装しないで王家の紋を用いたまま送ってきたことは気になるが……
などと考えながら巻物を広げていると──。
『あれは王家の紫龍じゃないか?』
『本当だ。ということはあいつやっぱり……』
『っていうと、アイザルの奴、やばいんじゃないのか?』
宴会を再開すればいいのに、そうしようとしない生徒らが勝手な推測を始めだしている。
俺は、気にしても仕方がない──と、先頭の文字列に目を通すと……
なんだこれは……
「……俺宛で間違いはないのですが、これにはハウンストン先輩に読み上げてもらうように、と書かれています」
意味が分からなかったが、俺はそう言って巻物を先輩に渡した。
冒頭箇所には、差出人がクレイモーリス=スレイヤ=ラインヴァルト殿下であるということと、この伝言はスティアラ=ハウンストンがラルクロア=クロスヴァルトの前で声に出して読むように、と指示されていたのだ。
再び巻物を受け取った先輩はサッと数行を読むと、
「──なるほど。そのようですね。それでは読み上げます」
室内の全員が注目するなか、よく通る澄んだ声で伝言を読み始めた。
が──。
「『忠勇なる武術科学院生の諸君。私はクレイモーリス=スレイヤ=ラインヴァルトである。さて、今、スティアラ=ハウンストンの前に立つ黒髪の少年は、髪の色こそ違えど、七年前の神抗騒乱を収め、我が妹であるミレサリアの騎士となったキョウ本人である』」
驚くべきその内容に、傾聴していた俺はすぐさまハウンストン先輩の顔を見た。
その巻物には本当にそう書かれているのですかと。
だが、瞬きもせずに唖然として俺を見ている先輩の表情から、創作などではないということがわかる。
室内が大きくどよめく。
しかし、気を取り直したハウンストン先輩が再び巻物を読み上げようとすると、すぐに静けさを取り戻した。
「『それであると同時に、この春、スレイヤを襲った常闇の巨神を討ち滅ぼしたラルクでもある。そして、この少年こそ、我が剣にしてスレイヤの忠実なる騎士、ラルクロア=クロスヴァルトである』」
そこで騒ぎ出す者もいたが、冷静に続けるハウンストン先輩の声に、再び聞く姿勢となる。
「『クレイゼント=スレイヤ=ラインヴァルト陛下は、来る七賢人議会に於いてクロスヴァルト家の正式な沙汰が言い渡されるまで、数々の功績を収めたこのラルクロア=クロスヴァルトをクロスヴァルト家の嫡男とみなし、クロスヴァルト侯爵家の正統なる次期当主とすることを自ら宣言なされた。この事を能く知り、諸君らに於いてはスレイヤの発展と平和維持に一層の決意でもって努めてもらいたい』」
生徒の約半数から歓声のような叫びが沸き起こった。
もう半分は──黙り込み、値踏みするような視線を俺へと投げている。
巻物の出所自体を疑い、それ自体に懐疑心を抱いているような視線は感じられない。
わざわざ紫龍を用いたのはこのためだろうか。
第二王子の名を騙るような不届き者などいるはずがないが。
オリヴァーやハシュレイ先輩たちが俺を取り囲んでくる。
いったい殿下はいつからこの計画を立てていたのかと、今すぐにでも問い質したい気持ちに駆られるが──。
だが、そのことよりも──最後の箇所を読み上げる際に、ハウンストン先輩の声色がわずかに変化したことを見逃さなかった俺は、今もなお巻物を読み返している先輩から目が離せずにいたのだった。