第115話 遅れてきた人物
「昨日はよくも逃げてくれたな──」
アイザルと連れのふたりは、少し離れた場所に立つ俺に気づくことなく、オリヴァーに向かって真っ直ぐ歩いていく。
そして──、
『──おかげで俺は……まあいい。今の俺は気分がいいからな』
小声でそう呟きながら俺の横を通り過ぎた。
◆
俺は気配を消したままオリヴァーたちに近寄ると、四人の会話に耳をそばだてた。
「そんなに緊張するな。俺とてこんな大勢の前でどうこうするつもりはない──誓ってやってもいいぞ?」
こちらに背を向けているためアイザルの表情までは窺えないが、オリヴァーの顔色から察するに、昨日と同じく相手を見下した目をしているのだろう。
「な、なにか用でしょうか」
オリヴァーは強張った声を出しながら背中の弓手にすると、アイザルからそれを守るように抱え込んだ。
と、それを見たアイザルが肩を揺らして笑い出した。
「──だから心配するなって言っただろうが。今日の俺は美味い酒を飲んで最高に寛大になっているからな」
アイザルが大笑いしていることに、集まりかけていた視線が散っていく。
「で、では、どういったご用件で──」
すると、肩を上下させて笑っていたアイザルは突然その動きを止め──、
「あの田舎者はお前の知り合いか?」
笑い声を冷たい声に切り替え、問いただした。
瞬間。オリヴァーの全身がピクリと震えた。
「田舎者というのは……」
「おい。とぼけるなよ?」
人の目がなくなったからか。
オリヴァーの胸ぐらをつかむ勢いでアイザルが凄んだ。
「わかってんだろうがッ! 昨日お前を逃がしたあの田舎者のことだッ!」
取り巻きたちも、声を押し殺してオリヴァーを問い詰める。
そうか。
アイザルの狙いは俺への仕返しか。
会話の流れでそう感づいた俺は、オリヴァーを助けるため四人に近寄ろうとした。
が──、
一歩踏み出した俺を見たオリヴァーが、小さく首を横に振る。
こっちにくるな、ということだろう。
しかし、このままではオリヴァーに迷惑がかかってしまう。
だが、俺が再び近寄ろうとすると、オリヴァーはさらに強く首を振った。
『二度も助けられるわけにはいかない。僕なら大丈夫──』
オリヴァーの視線はそう言っていた。
こうなったら、いっそのことアイザルたちの意識を刈り取ってやろうか。
酒の飲み過ぎということにすれば──
「その人と知り合いだったらどうだというのですか?」
俺が一瞬躊躇している隙に、オリヴァーはアイザルの質問に答えていた。
「どうもこうも。ちょっと世話になったからその礼を、とね」
「もともと知り合いではなかったですが、今では知り合いです」
「ほう。正直者は好きだぞ? 話が早くて助かる。そうしたら、そいつの素性と居場所を──」
「──言いません」
オリヴァーは間髪を入れずにアイザルの言葉を撥ね退けた。
「あ? 聞き間違いか?」
アイザルが、じり、と、オリヴァーとの距離を詰める。
「言いません、と言いました!」
それでも屈することなく、オリヴァーはアイザルを睨み返した。
「おい、お前。俺が優しく言っているうちに──」
「絶対に言いません!」
アイザルの視線を正面から受け止め続けるオリヴァーが、きっぱりと言い切る。
「ちっ! こいつスティアラと同じ目をしてやがる! 煩わしい奴だ!」
オリヴァーの毅然とした態度に憤慨した様子のアイザルは、ここだと面倒だ、外に連れ出せ、と取り巻きに指示を出す。
「僕はどこにも行きません。先輩も騎士を目指すのであれば正々堂々と──がっ!」
アイザルがいよいよオリヴァーの胸ぐら強引に掴む。と──、
「ハウンストン君。騎士ってのは絶対的な存在なんだよ。オーヴィス総隊長から直接声をかけられた俺に、お前みたいな半端モンが口答えしていいわけないだろう? いいか。俺はミレサリア殿下の専属近衛になるんだぞ? そうなったら雲の上の存在だ、こうして口をきくことなどできないんだぞ?」
「せ、先輩が騎士になど! そのうえミレサリア殿下の専属近衛などなれるはずがありません!」
「この小僧が! 調子に乗りやがって──」
アイザルが右手を振り上げる。オリヴァーは自分の言葉に悔いる様子など微塵も見せずに、アイザルを睨み続ける。
「先輩に向かってその口の利き方はなんだッ!」
そしてその拳をオリヴァーの顔めがけて振り下ろす直前──。
俺は飛び出し、アイザルの右腕を掴んだ。
「な、なんだお前は!」
アイザルがぎょっとした顔をする。
取り巻きのふたりも突然現れた俺に驚き、目を丸くしたまま動けずにいる。
「──ここでは手を出さないと誓ったのは嘘ですか?」
俺はアイザルの腕を絞り上げたまま、アイザルに言い放った。
「な、なんだこいつは! どこからでてきやがった!」
「あなたの口から出る言葉は嘘ばかりですね」
「う、嘘だとっ! な、なにを言ってやがる! いいからこの手を放せ!」
俺は汚いものを捨てるかのように手を放すと、そのままオリヴァーの隣に並んだ。
「お前! 何者だ!」
捩じ上げられた腕を擦りながらアイザルが鋭い視線を俺に向ける。
俺は顔と制服を見られないように気を配りつつ、
「あなたと同じ、騎士を目指しているものですが……ここでの用も済んだので立ち去ろうとしていたところ、少し聞き捨てならない発言があったので。我慢できなくなりつい飛び出してしまいました」
「ああ? 騎士だと? お、おまっ! まさか昨日のっ! い、いや、でも訛りが──」
この際バレても致し方ない、と思ったのだが。
昨日はミレアの指示どおり、方言で喋っておいて正解だったようだ。
「あなたの噂をいろいろと耳にしたので、昨日、近衛総隊長に尋ねてみたのですが。オーヴィス様はあなたのことをご存じないようでしたよ?」
昨晩、俺はコンティ姉さんに確認をとっていた。
アイザル=ドイドという騎士志望の槍使いを知っていますか、と。
するとコンティ姉さんからは、『そんな生徒知らないわよ』と返ってきたのだ。
まあ、忘れているだけかもしれないが、そうだとしてもその程度の人物ということだ。
「あなたのような嘘を吐き続ける男が騎士に? それもミレサリア殿下のお傍に? なにを冗談を言っているのですか。そんなこと、トレヴァイユ様が許可するわけがないでしょう」
「──おい!」
ここで、再起動を果たした取り巻きのひとりが突っかかってきた。
「さっきから聞いてりゃ、オーヴィス男爵と直接会ったことがあるような言い方しやがって! 適当なことほざくんじゃねえぞ! あのお方はたとえ騎士でもそうそうお目にかかれる人じゃねぇんだ! それを、騎士でもなけりゃどこの馬の骨ともわからねえお前が昨日会っただぁ? 嘘を吐いてんのはお前えの方じゃねえか! ミレサリア殿下専属近衛隊長の名前を出せば俺らが信じるとでも思ってんのかぁ!」
凄い剣幕で捲し立てた。
男は興奮しているため、声の大きさも制御できなくなっている。
そのため、ちらほらとこちらを気にする者が出始めていた。
「嘘? たしかに証明できるものは何もありません。オーヴィス様にどうぞ確認を、と言いたいところですが、それでは忙しいあの方に迷惑をおかけしてしまいます。それは本意ではありませんから、総隊長への確認は遠慮願いたいところですね。トレヴァイユ様は……私はあの方にはあまり好かれていないようなので、なんとも。──ですが、オーヴィス様もトレヴァイユ様も私を知っていますし、そして私もオーヴィス様とトレヴァイユ様のことをよく知っています。それは嘘などではなく、れっきとした事実です」
「なんだってんだこいつ! お前がそこまではったりを言い続けるんなら、近衛に入隊している先輩に確認してもいいんだぞ!」
いっそう鼻息を荒くした取り巻きが、隣のアイザルに相槌を求める。
「私はそれでも構いませんが──いいのですか? そんなことをして逆に困るのはそちらだと思うのですが」
やや顔色を悪くしているアイザルに追い打ちをかけようと──、
「ミレサリア殿下はあなたのような男が一番嫌いだと言っていましたよ? 平気で嘘を吐き、弱者を甚振り、裏でこそこそと動く卑劣極まりない男が」
ハッタリだ。
俺はミレアが嫌いそうな男の性格など知らない。それに、ミレアの口からはっきりと誰かを嫌うような言葉も聞いた覚えがない。
『口が滑った』と、あとでミレアに謝っておこう。
まあ、嘯くアイザルの心をへし折れるなら、これくらいの妄言は許してもらえそうだが。
「こ、この──ッ」
効果覿面だった。
アイザルは青かった顔をみるみるうちに赤くすると、
「こ、この不敬者めが! ミレサリア殿下の名を持ち出して俺を愚弄するなどッ! 言語道断だッ! 表に出ろッ!」
飛沫を撒き散らしながら扉を指さした。
それは願ったりだ。
出てきたはいいが、俺だって目立つような真似はしたくない。
「ラ、ラルクさん……ちょっと、ど、どうしよう……」
隣で狼狽えているオリヴァーに、
「殿下をお護りする近衛がこんな歪んだ性格では困る。本気で近衛になるというのなら性根を叩き直してやらないとな。まあ、近衛どころか、騎士にすらなれないと思うが」
「せいぜい地下牢の番くらいが関の山か」──アイザルにも聞こえる声で挑発する。
「とっとと表に出ろッ!」
怒りが頂点に達したアイザルが広間中に聞こえるほどの大声を出した。
と同時。室内が、しん、と静まり返ったかと思うと、大勢の生徒が俺たちに注目した。
少し揶揄いすぎたか。
だが、こんな奴がミレアの側近になるなど許せない。
そもそも、なれるなどとは露ほども思っていないが、アイザルがそれを思い描いている、というだけで腹が立つ。
アイザルには悪いが、八つ当たりのようなものだ。
『悪いがフレディアを頼む』
僕も一緒に、というオリヴァーに小声でそう頼むと、俺はアイザルと外に出ていこうとした。
が、そのとき。
「なにがあったのですか!」
入口の方からよく通る声が広間に響いてきた。
「姉さま……?」
後ろにいるオリヴァーが呟く。
ということは、あれはハウンストン先輩の声か。
今になって……面倒だな。
これでまた帰るのが遅くなりそうだ──俺は小さく嘆息した。
制服姿のハウンストン先輩がツカツカと中央までやってくる。
公の場に姿を見せるのが久しぶりということもあって、生徒らは一様にざわついている。
「今の怒鳴り声はアイザルのものですね。──さあ。どなたか事情を説明してくださいませんか?」
だが、事情を知るものは少ない。アイザルがいきなり大声を出したとほぼすべての生徒が思っているだろう。
そんなこともあってか、口を開こうとする者はいない。
ハウンストン先輩の登場に一瞬だけ驚きを見せた闘気使いの男らも、すぐに興味が失せたかのように、仲間たちと酒を飲んでいる。
「僕が事情を説明します」
そんななか、声を発したのはオリヴァーだった。
「──そうですか。わかりました。それでは関係のない生徒はどうぞ食事を続けてください」
ハウンストン先輩は、舌打ちするアイザルの脇をすり抜けると、オリヴァーの前までやってきた。
俺の前を通り過ぎる際、一旦立ち止まった先輩はなにか言いたそうにしていたが、それがなにを思ってのことなのかまではわからなかった。
「ではオリヴァー。事実だけを聞かせてください」
そして、俺とアイザルの前でオリヴァーはこうなった経緯の説明を始めたのだった。