第23話 心機一転、新しい街
「本っ当にありがとうございましたッ!」
「おう! じゃあな、ラルク。俺も向こうで光の珠のこと調べて見るからよ、なにかわかったら伝報矢……は使えないから手紙でも出すわ」
無魔の僕では伝報矢を展開できないため、気を遣ってくれたモーリスに苦笑いで返し、
「あんちゃん、今の俺があるのはお前さんのお陰だ。それだけは忘れるな。お前さんが呼べばすぐに駆けつけるからな」
僕を抱きしめて何度も礼を言うデニスさんに胸を熱くする。
レイクホールの正門前、ここまで送り届けてくれたふたりへの感謝の気持ちは言葉なんかじゃ言い表せない。
それでも言葉しか持たない僕は、何度も何度もお礼を言った。
「この眼帯もありがとうございます」
「似合ってますか?」とこれを作ってくれたモーリスを見ると「似合ってるぜ」と言って僕の頭をぽんぽんと叩く。
『俺たちは何とも思わないが、他の街のヤツがどう捉えるかわからないから』と、以前千切った外套の袖の部分で眼帯を拵えてくれていたのだ。
これがあれば、ぱっと見で僕が”無魔の黒禍”だとはわからないだろう。
ちなみに予備としてこれの他にあと二つある。
「おふたりとも道中、十分気を付けてください。今朝遭遇したあの馬車も、おそらく盗賊の仕業だと思いますから……やっぱり護衛を雇った方が……」
「んなもん大丈夫だって! 荷は盗まれずにそのまま燃やされていたんだ、どうせ内輪揉めかなんかだろ? まあ、盗賊だったら、そんときはそんときでデニスのおっさんの手綱捌きで逃げ切ってみせるぜ」
「モーリスの兄ちゃん、盗賊を軽く見んなって言ってんだろ……ったく」
今朝の早い時間に、ここのところ身を潜めていた盗賊が再び跋扈し始めたのか、酷い有様の馬車を目撃していた。
周囲に負傷者は見当たらなかったけど、飛び散っていた血はまだ乾いておらず、燃やされた馬車や荷からは煙が燻っていたところから、近くにはまだ賊が徘徊している危険性がある。
「お願いですから油断だけは決してしないでくださいよ」
あんな光景はもう二度と見たくない──アリアさんとフラちゃんの壮絶な瞬間の映像が頭を過った僕は、念には念を押しておく。
ふたりが馬車に乗り込むと、さあお別れだ。
「なら、行くわ、ラルク、元気でな」
「モーリスこそお元気で」
「あんちゃん、ありがとうな」
「僕の方こそ助かりました、デニスさん」
ビシッと鞭の音が響くと馬車が動き出す。
「気を付けて! お元気で! ありがとうございましたぁ!」
勢いを増して遠ざかる馬車に向かって叫ぶ。
今まで見送られてばかりで、こうして誰かを見送るのは初めてだ。
心にぽっかりと穴が空いてしまった淋しさを、どうにか早く紛らわせたい。
「さあ、いつまでもくよくよしていないでしっかりしろ! ラルク!」
僕はともすれば涙が零れそうになるのをひとりごとで誤魔化し、パシンと頬を叩くと回れ右をして門に向かい一歩を踏み出した。
レイクホールの街の外壁は随分と立派だった。
今まで通過して来た町や村とは造りからして違う。
門の部分は中に人が入れるようになっているようだ。
三階くらいの高さまで窓がいくつもあって、そのうえ奥行きもある。
元はひとつの国だったからか、それとも魔物が住む森が近いからか。
そんなことを考えながら門に向かって歩いていく。
「あの、すみません」
門をくぐって中ほどにある小部屋の奥に向かって声を掛ける。
すると休憩中だったのか「ん? この時期に珍しいな、通行許可か?」と男が奥から姿を見せた。
「通行許可をお願いします」
「レイクホールには何しに来た、ん? ひとりか? 母ちゃんか父ちゃんはどうした」
門番と思われる男はぶっきらぼうな物言いだけど、ちゃんと僕の目を見て話してくれる。
(やっぱりこれしてると、普通に接してくれるな……)
少し自信がついた僕は胸を張り、
「いえ、僕はひとりです。この街にいる親戚を訪ねてきました」
しっかりと門番の目を見て答えた。
門番は「なにいってんだ」と木戸を開けて出てくると辺りを見回す。そんなに僕の言うことが信用できないのだろうか。
しかし周りに誰もいないことを確認すると、「おいおい、本当にひとりなのかよ」と納得したようだ。
「はい。えぇと、通ってもいいんでしょうか」
「あ、ああ、身分証は持っているか? なけりゃあ通行税一クレールだ」
まだ信じられないといった様子の門番に「身分証はこれから作ります」と言って一クレールを渡す。
通行税のことはモーリスから聞いていたから、戸惑うこともない。
「身分証はそれぞれの組合に行って作っておけよ。次から一クレールが必要なくなるからな」
「ありがとうございます。それと、すみません、ひとつお伺いしたいのですが、丘の上の家というのをご存知でしょうか」
「丘の家……? いや、知らねぇなぁ、だいたいこの街に丘はねぇぞ?」
あれ? 丘がない? 丘の上の家じゃなかったのかな……
「あ、すみません。僕の間違いかもしれません。では失礼します」
考えてもみればあとから僕が無魔だとばれて、丘の上の家の住人が迫害されるようなことになりでもしたら大変だ。
(色々聞いて回るのはやめておいた方がいいよな……)
とにかく目立たないように行動しようと気を引き締め、僕はレイクホールの街の門をくぐった。
「大きさの割にはあんまり人のいない街だな」
僕が受けたレイクホールの第一印象だ。
門の見た目からもっと栄えているのかと思ったが、そうでもないようだ。
通りは石畳が敷き詰められ、街の奥までずっと続いている。
右にも左にも二階建てや三階建ての建物が立ち並び、今まで見た中では群を抜いて大きな街だ。
しかし人気が少ない。
今こうして立っている場所から見回して見ても、
「いち、にい、さん、三人……」
三人しか見当たらない。
通りを街中に向かって歩いている人、家の壁に寄り掛かってぼーっと空を見ている人、そしてさっきの門番。
なんだか想像していたよりかなり寂れた街のように見える。
「父様は丘の上の家と言っていたけど……丘がないってどういうことなんだろう」
もしかして街の外にあるとか。
ここ以外にもレイクホールの街がいくつかあるとか。
昔はあったけど、今はもうないとか。
「まずいな。日暮れまでには探さないと……」
街に着けばどうにかなると漠然と考えていただけに、いざこうして歩いてみるとあまりに街が大きく、そんなに容易くないことを思い知らされた。
そういえばさっき三の鐘が聞こえたからもう昼か。
お腹も空いてきたな。
目立たないようにといっても食事をしないわけにはいかないしな。
何か食べられるお店に入って、それとなく、さり気なく、ほんの少しだけ聞いてみようか。
僕はこのまま歩き回って探すのは不可能だ──とご飯を食べながら、店の人に目的の場所の手掛かりを聞いてみる作戦を思いついた。
「でもこの少ない人通りで開いてる店なんてあるのかな……」
お昼時なのに出歩いている人がいない。
さっき歩いていた人もいつしか見えなくなってしまっている。
後ろを振り向いても、建物を見上げても人影が見当たらないのだ。
というか、生活臭が一切してこない。
「もっと奥の方なのかな」
この辺りはまだ外壁に近い。
住民はより街の中央に集まって生活しているのかもしれない──と淡い期待を抱いて、さらに奥に進む。
しばらく歩き、ようやく一軒の店を見つけた。
看板も出ておらず何の店かは分からないが、窓越しに見える店内には幾人かの人影が見える。
ちょっと怖い気もするけど──もうここを逃したら次は見つからないかもしれない。
僕は勇気を振り絞ってその店らしき建物に入った。
カランコロンと扉に付けられた鈴の音が店内に響く。と、数人の客が一斉に僕を見る。
しかし一瞬見ただけですぐにテーブルの上の料理を口に運び始めた。
良かった。ここでも僕のことは気にならないようだ。しかも食堂に違いなさそうだ。
安心した僕はざっと店内を見回した。
手前にテーブルがいくつかあって、奥にはカウンター席がある。
くんくんと鼻をうごかすと、とてもいい匂いがする。
とたんに僕のお腹が空腹を訴えてきた。
しかしひとりで食堂に入るなんて初めてのことだから、どうすればいいのか分からない。
勝手に席についていいものなのか、誰か店員が来るのを待たなければならないのか。
ぐうぐう鳴りつづけるお腹を押さえて困っていると、
「おい! ひとりか? そんなとこに突っ立ってねぇで好きなとこ座れ!」
カウンターの奥の方から太い声が聞こえてきた。
この店の中でひとりで突っ立ってるのなんて僕しかいない。
僕のことだ──咄嗟にそう理解した僕は「は、はい!」と返事をして店内を奥に進み、カウンターの一番端の椅子に座った。
テーブルの合間を縫うときも先客は僕に見向きもしない。
ちらっと視界に入った卓上の料理はどれもとても美味しそうに見えた。
座るとすぐに「ひとりか?」と言ってカウンターの奥から男の人が出てきた。
さっきの声のひとだ。どうやらカウンターのさらに奥が調理場になっているようだ。
手には包丁を持っている。
「は、はい。えと、なにか食べられる物をいただきたいんですけど……」
「うちは食えるものしか置いてねぇよ、肉か、魚か、野菜か、どれでもパンとスープが付いて五クレールだ」
「あ、じゃあ肉、あ、魚……あ、でも野菜も……や、やっぱり、」
「早く決めろ」
「あ、さ、魚でお願いします!」
背の高い強面のおじさんが包丁片手に睨んで聞いてくるので、僕は焦ってしまった。
それでも注文を受けてくれたのか「……少し待ってろ」とおじさんは奥に引っ込んでいく。
初めての注文、成功──取り敢えずはお腹を満たすことができそうだ。
カウンターの後ろには瓶がずらりと並んでいる。多分お酒だろう。
モーリスやデニスさんが見たら喜ぶだろうな──なんてふたりを思い出していると、大きな皿を手にしたおじさんが奥から出てきた。
皿からは湯気が立ち上っている。
それを無言のままガタンと僕の前に置く。
「ありがとうございます」と皿に乗っている料理を見ると、魚以外にも肉や野菜がたくさん乗っかっている。
「あ、あの、僕、魚……」
「いいから黙って食え、今パンとスープ持ってきてやる」
そういうとまた調理場に下がっていってしまった。
とても美味しそうだ。肉などまだじゅうじゅうと脂が跳ねる音を立てている。
でも注文を間違ってしまったのかと思った僕は、おじさんにちゃんと言おうと食べずに我慢していた。
「おい、なんで食ってねぇ、なんか気に入らねぇのか?」
パンとスープを持ってきたおじさんがまた僕を睨む。が、「あ、あの、僕が頼んだのは魚です……」頑張って注文していない旨を伝える。
するとおじさんがいっそう怖い顔で「ガキがなに言ってやがる、出されたもんは黙って食ってりゃいいんだ」と言う。
険しくなったおじさんの顔を見て怖くなってしまった僕は「はい!」と言って急いで食べ始めた。
なにか怒らせることをしてしまったのか──気になり、顔を上げてちらりとおじさんを見たら顔を綻ばせて奥に帰っていくところだった。どうやら怒ってはいないらしい。ほっとした僕は料理に夢中になった。
口の中が痛くて食べる速度はゆっくりだったけど、あまりの美味しさに大皿の料理を全て平らげてしまった。無論パンとスープも完食だ。
野宿での食事に不満は無かったけど、さすがに何カ月も続くと……
やっぱり専門の料理人が作る料理をテーブルに座って食べるとひと味もふた味も美味しく感じる。
いや、補正はあるかもしれないけど、ひょっとすると、昔、家で食べていた食事と同じくらいかそれ以上に美味しいかもしれない。
「食い終わったか」
食に関しての考察をしていると、いつの間にかおじさんがカウンターの前に立っていた。
「とても美味しかったです! ごちそうさまでした、ご主人!」
「ごしゅ、お、おうそうか、腹一杯になったならそれでいい」
突然カウンター席から立ち上がり頭を下げた僕に面食らったのか、おじさんが一瞬目を見開いて皿を下げていく。
料理に夢中で気が付かなかったが、既に客は僕ひとりになってしまっていた。
「坊主、見ねぇ顔だが最近この街に来たのか? かあちゃんはどうした」
またカウンターに出てきたおじさんが門番と同じようなことを聞いてくる。
そして僕は同じように答え、その後しばらく会話が続いた。
「親戚に会いにって、わざわざ三カ月もかけてここまで来たってのかよ……」
「はい、本当ならもっと早く着くはずだったんですけど」
話してみるとおじさんは結構いい人だった。
「ガキはたくさん食って早くでかくなってりゃいいんだ」といってあれだけの食事でも五クレールでいいと言うし「また来たらもっとうまいもん食わしてやらんでもない」と言う。
今も──『ガキはこれでも飲んどけ』と言いながらドンッとホットミルクを出してくれた後──僕がここに来た理由も真剣な表情で聞いてくれている。
「でもその家がちょっとわからなくて」
「坊主、その親戚の名前も聞かないで来ちまったのかよ、どんだけ間抜けなガキだ……」
「あ、いや、特徴は聞いているんです。その、」
「どうした」
いざこの段階になって”丘の上”を出していいものか躊躇してしまう。
おじさんは良い人そうだけどその家がどんな家なのかもわからないし、もしかしたらおじさんと仲が悪い家の人かもしれない。
目の前のおじさんが良い人だけに、深い事情を話したくはないんだけど──しかしひとりで探すのにも限界がある。だから頑張って、店を探す前に決めた作戦通り、続きを待っているおじさんに聞いてみることにした。
「その特徴が丘の上にある家らしいんですけど、なんだかこの街には丘がないそうで」
「丘……ああ、確かにこの街は平坦な作りだからな、丘はねぇな」
「やっぱり……」
「あ、いや、でも以前丘だったところは確かあったな。スレイヤが攻めてくる前だから何百年も前だが」
「え? ホントですか?」
「今の街の奴らが知らなくて当然だ、ちょっと待ってろ」とおじさんが奥に行く。
僕はなにか手掛かりが得られるかもしれない──と期待に胸を膨らませておじさんが戻ってくるのを待った。
ややあって戻ってきたおじさんの手には一本の巻物が握られていた。
魔力を必要としない初めから実体化している巻物だ。
「俺の家に伝わるレイクホールの地図だ」と言ってそれをカウンターの上に広げる。
僕は「え? そんな貴重なもの、僕に見せてもいいんですか」と慌てるが、「古い地図だ、戦争も終わって何年も経つんだからガキが心配すんな」とお構いなしの様子で説明を続ける。
「このあたりだな、いまの東地区か、昔は……ああ、お偉方が住んでいたらしいな」
そう言って現在は東地区と呼ばれる場所までの行き方を細かく教えてくれた。
おじさんも足を踏み入れたことはないらしく、今はそこがどうなっているのかまではわからないそうだけど、僕としてはそれだけで十分だった。
お礼とともに「また必ず食べに来ます!」と頭を下げて僕は店を後にした。
出がけに『閉店』となっている看板が目に入り、休憩中にもかかわらず僕に付き合ってくれたおじさんに、店の外からも深く頭を下げ”東地区”へ急いだ。