第111話 殿下の密かな企み
「そんな暑苦しいローブなんか脱いで早くその顔をこいつらに見せてやれよ」
「ちょっとこっちに来てください!」
「痛ぇな! そんなに強く引っ張んなって。酒が零れるだろ──」
「いいから早く!」
なかなか席を立とうとしない殿下を、部屋の外に引っ張り出そうと躍起になっていると──、
「あら。やっぱり知り合いだったのね」
人垣から顔を出したリーゼ先輩が寄ってきた。
俺は掴んでいた殿下の腕を一旦放すと──、
「リーゼ先輩! なんでこの男がここにいるんですか! だけでなくなんで一緒に酒まで飲んでいるんですか! そのうえこの歓待ぶりはなんなんですか!」
先輩に質問を浴びせた。
すると先輩はきょとんとした顔で、
「なぜって、あんたの知り合いなんでしょ? フレディアとも親しそうにお酒飲んでたし。それになによりその人、『俺がラルクロアに剣を教えてやった! 俺はあいつの剣の師匠だ! なんなら俺がお前らにラルクロアを紹介してやってもいい』っていうから。それでみんなチヤホヤして──」
「こんな素性の知れない男の話を鵜呑みにしたんですか!? そんな台詞、詐欺師の常套句じゃないですか!」
「おいおい、詐欺師はねぇだろ。んなこと言うなら証拠にお前の昔話をひとつふたつ──」
「モーリスッ!」
なにか言おうとする殿下を慌てて止める。
「なんだ。やっぱ知り合いじゃない」
「確かに知り合いは知り合いですが──だいたいモーリスはなんでこの店にいるんですか!」
「んなのお前が入っていくのを見てたからに決まってんだろ。とにかく勝手に忍び込んだわけじゃねえよ。その嬢ちゃんにも許可はもらってるし。それよりほら、飲もうぜ。せっかく盛り上がってた場をシラケさせんなよ。さぁ飲め飲め」
「飲みません!」
なんなんだよ!
なんだってこんな面倒事が重なるんだ!
ただでさえこの人数の多さに閉口しているっていうのに、さらにこの悪癖殿下まで相手にしろっていうのか!
──とにかく。
なぜ俺がこの店に入っていくのを見ていたのかは後で問い詰めるとして、一刻も早く殿下をここから連れ出さないと。
酔った勢いでなにを言い出すかわかったもんじゃない。
ああそうだ、フレディアにも迷惑をかけてしまったことを詫びなければ──。
「フレディアならあそこで寝てるわよ」
フレディアを探す俺に気づいたのか、部屋の隅を示すリーゼ先輩の指先を目で追うと──、
まさかとは思うが、あの樽から出ている足は……
「ロティちゃんのことでなんか突っかかってきてよ。メンドクセェから一番強烈な酒飲ましといた」
はあ!?
「フレディアったら突然床で寝だして。そうしたらモーリスさんがここじゃ可哀想だからってあの樽に」
ク、クソ髭めっ!
シュバリエールの公子になんてことしてくれてるんだ!
こんなことしたのがスレイヤの王子だってレイア姫に知られたら国際問題にまで発展するぞ!
あの地揺れだっていつまた襲ってくるかわからないってのに、この人のお気楽さといったら……
「さあ、モーリス。立ってください。外で少し話し合いましょう」
「なんだよ」
「ここでは話せない内容なので、外に行きましょう」
「お? もしかして例の件、なにか掴んだのか? よし。じゃあちょっと待て。これだけ飲んじまうから──」
「い・い・か・ら・は・や・く」
俺は殿下を強引に立たせると、武術科の生徒たちが見守る中、部屋の外へ出たのだった。
◆
「なに考えているんですか殿下! この緊迫した情勢の中、こんな市井の民が集う店に顔を出すなんて!」
「おい、ラルク。そう興奮するなって。儚いにもほどがありすぎる人生、残り銭も勘定できないなら思うがままに楽しんだ方が勝ちだぞ?」
「そんな話ではなくて、俺がいっているのは──」
「こんな店とはいうが、よく仕上がっているだろ? 急ぎで造らせた割には結構気に入ってるんだがな。この離れ屋」
「だからそういう話では……え? 造らせ……って、ま、まさか……」
「ここはいまやこの辺りじゃ一番の有名店だからな。こうしてお前ともお忍びで来られるようにしておいてやったんだ。あ、資金はお前の水晶貨から出しておいたから、お前も気兼ねせず使ってくれ」
「は、はあ!? 殿下が──って、じゃあルディさんが言ってた金貨が詰まった袋を持ってきた人物って──」
「ああ。それ、俺だ」
かーっ!!
なにしているんだこの殿下は!
もうめちゃくちゃじゃないか!
やっぱりこの人に水晶貨を預けてはいけなかったんだ!
一度ならず二度までも──
「ちなみに奥には泊まれる部屋もあるからな。しかも専用の庭付きで、その庭にはこれまた専用の風呂もある。あ、風呂って知っているか? でっかい池の水を湯に代えてな、そこで男女二人が、こう、ゆったりと湯に浸かるわけなんだよ。でな、夜空を見上げるとそこには月が浮かんでいて『きゃあ殿下、二人だけの秘密をお月様に見られてしまいました』とかなんとかいうわけだ。で、そうしたら俺が『無礼な月め。ならば我が剣で一刀両断にしてやろう』って返すんだよ。そうしたら女が『きゃー、さすが殿下! 一生ついていきますぅ!』って抱き付いてきて──あ、そこも使っていいぞ。俺が使ってないときに限るが」
「使わないですからっ!」
いったいいくら費やしたんだこの人は!
「そんなことより! まず、殿下はここになにをしに来たんですか!」
「だから言ったろ? お前を見ていたって。俺は俺でこの区画を回ってたんだよ。お前だけに負担かけるのもアレだからな。そうしたらフレディアとお前がこの店に入っていくところを見たわけよ。んで、飯でも食うんなら一緒に食おうかと思って追いかけて入ったら、店員がこの部屋を案内してくれてな。まあそれから先はさっき話したとおりだ。さすがにあの大人数には驚かされたがな」
なるほど……
殿下は殿下で動いていたのか……
「事情はなんとなく分かりましたけど……俺のことはなにも言っていないでしょうね」
「言ってねえよ。まだな」
それは助かった。
殿下のおかげで若干計画は狂ったが、しばらくしたら予定通りフレディアを起こして帰ろう。
「フレディアには後で謝ってくださいよ。──それで、例の件。なにかわかったんですか」
「なんだよ。その調子じゃあお前の方は手ぶらか」
殿下はどうなんですか、と聞くとにやりと笑い──、
「ふっ、愚問だぞ。大っぴらには言えないが、俺はモーリスとして何人か情報屋を雇っているからな。無論ここらにもいる。お前が襲われたという直後、すでに行動を開始していたんだよ、俺は。お前とは攻め方が違うんだよ攻め方が。足でなくここを仕え、若造」
殿下はこめかみのあたりを、トントン、と人差し指でさすのだった。
◆
「じゃあ似たような特徴の男がこの冒険者街に……」
「ああ。ここに入る少し前にようやく手に入れた情報だ。最古参の情報屋からの一報だからな。信用していい」
「だったら俺はもう少し外を探してきます!」
「待て待て」
外に出て行こうとした俺を殿下が引き留める。
「そう慌てんなって。張った網にかかったら俺のところに報告が来ることになっている。動きがあるまでは飯でも食って体力をつけておけ。ほら、戻るぞ」
そういうことなら殿下の言うとおり、現場に詳しい人に任せて……
と、思案している隙に、俺に背を向けた殿下が離れに向かおうと──
「ちょっと待ってください! 戻るぞって、まさかこの後も参加するつもりじゃないでしょうね」
すると殿下は上半身だけ振り返り、
「するに決まってんだろ。俺だって腹減ってんだ。酒もまだ全然飲み足りないし──」
「それなら別の部屋で食事してください」
「ルディさんに空いているか聞いてきますから」、と突っぱねると今度は全身を俺に向け──、
「んな冷たいこと言うなよ。制服着たあんな若い女たちと飲むなんざ久しぶりなんだからな。ここんところ化粧臭え貴族のご婦人ばかりを相手にさせられてたんだぜ? ピチピチの女学生に囲まれてりゃ若かりし頃を思い出すってもんだ。まあこれも学生のお前のおかげ──って、そういやお前はなんであの連中と一緒にいるんだ? あいつらは武術科だぞ? ここにいればラルクロアに会えるとも言っていたが、ありゃあいったどういうことだ?」
リーゼ先輩から聞いてないんですか、と問うと、いいや、と首を振る。
仕方なく俺は例の約束のことを説明した。
「──なるほど。そういうことか。ま、俺にはどうでもいいことだな。ほれ、行くぞ?」
「いや、ですから──」
「なにいってんだ。一緒の方が都合がいいじゃねーか?」
「わざと派手に訊き回らせたんだ。今夜にも報告が来るかもしれないだろ?」と殿下は歩き出す。
それも一理ある。
まあ、これ以上は言っても無駄か……
俺は「絶対に余計な真似はしないでくださいね」と忠告しつつ、仕方なく戻ることにしたのだった。
◆
「そういやぁ、数日前、こっちの転移門が起動したって話、聞いたか?」
「いいえ。たしか交換留学の関係者しか使用できない取り決めがあるんでしたよね。あれは来春ですし……なぜこの時期に?」
「それがわからねぇんだよ。起動できるのは陛下含めて数人だけなんだが──」
殿下とそんな会話を交わしながら離れの扉を開くと──
「お望み通りもう一度言ってあげるわよ! ラルクにはあんたら全員が束になったって絶対に勝てないって言ったの! 交流戦でカイゼル様に勝ったのだって実力! あんたたち、いい加減ラルクのこと認めなさいよ!」
リーゼ先輩の怒鳴り声が飛んできたのだった。