第103話 震える一本線 後
「──ん?」
次の木偶を求めて立ち去ろうとしたアイザルが、違和感を覚えたのかのように後ろを振り返る。
「なかなかいい槍だったずらぁ。さ。次はおらの番ずら。そこさ立っててくれ」
「──っな! なんだとっ!?」
するとアイザルは平然と立っている俺を見て目を丸くした。
「せっかく本気を見せてくれたんだ。おいらも頑張るずらぁ」
俺は、驚きを隠せずにいるアイザルに構うことなく、
「おいらの剣はあんたの槍ほど立派じゃねぇけんども──」
そう言いながら上着の懐に手を入れ、
「精一杯頑張るずら」
急遽アクアに創らせた、地味な剣を取り出した。
「お、お前、な、なんともないのか!?」
アイザルが信じられないといった様子で俺を見る。
「ん? あんたらが死にゃしないから安心しろって言ったんだずらぁ。その言葉通り、ほぅれ。元気だずらぁ」
俺はその場でトントンと跳ねてみせた。
「そ、そういえば、だ、だいたいお前、なぜ動ける! な、なぜ拘束魔法を解いてもいないのに動けるのだ!」
「ん? そんなことは知らないずら。さて。どの技を見てもらうずらか……」
「ちょ、ちょっと待て! そ、そんな筈はないっ! お、俺の竜舞燐躍を受けて、た、立っていられるなど──」
「よし。決めたずら。そっちが竜ならこっちは龍でいくずら」
昔、神殿での任務中に突如として顕現した龍。
隠れ者に襲われていた俺とエミルの危機を救ってくれた、銀白色の龍。
俺はそれを使ってリーゼ先輩の依頼に応じようと決めた。
リーゼ先輩はとにかく派手な技を御所望だ。
「龍? ま、待てっ! 何をするつもりだ!」
「なにって、おいらの技を受けてもらうずらぁ」
「ふざけるな! お前みたいな田舎もんの話を誰が聞くものか!」
やっぱりそうくるか。
「それは卑怯ずら──」
俺は地の精霊ステアに頼むと、逃げ出せないようにアイザルの足を地面に固定した。
「ちゃんと約束さ守ってもらうんだずらぁ」
「──なっ! なんだこれは! お前俺になにをした! おい! ふざけるな!」
アイザルが俺に向かって槍を振り下ろしてきたが、俺はその槍を素手で受け止めるとアイザルの手から取り上げ、遠くへ放り投げた。
「な、なにをする!」
「いい機会だからあんたも木偶にさせられた人たちの気持ちを味わうといいんだずら」
「っだと! ふざけるな! おい! お前ら! こいつを黙らせろ!」
「無駄ずらぁ。あのふたりも動けなくしてるずら」
神殿ではたしか八体ほど出現したが、今回は一体いればいい。
俺はもう光遮の腕輪を持っていないため、精霊の光が漏れてしまう。
ここにいる生徒の中にも、精霊の光を認識できる者がいるかもしれない。
剣士ではなく加護魔術師だとばれれば、それはまた面倒なことになるだろう。
俺はそうならないようになるべく力を抑えると、細心の注意を払いつつ──
「──せいぜい心を砕かれないように踏ん張るずらぁ」
あのときの記憶を頼りに加護魔術を行使した。
すると、アイザルがさらに目を見開いた。
「な、なんだあれは! なにをする気だっ!」
「そんなに慌てなくていいずら。ここでは痛みは感じても死にはしないんだずら? ゆっくりおいらの技を愉しむといいずら」
「ふ、ふざけんな! あんなの死ぬに決まってんだろ! し、死ぬ! は、早くどうにかしろっ!」
あんなの?
あまりにもぎゃーぎゃー喚くアイザルに、どんな龍が現れたのか気になった俺も後ろを振り返る。
と──。
な、なんだこれは!?
俺も目も見開いた。
そこにいたのは色も大きさもまったく予想と違う龍。
でかい。
とにかくでかい。
天井を突き破って飛んでっちゃうんじゃないかと思うくらいでかい。
そして色も凄い。
前は白銀だったが──今回は、炎を撒き散らし激しく燃え盛っているかと思えば、次の瞬間には冷気を纏った氷の龍となり、次に黄金の光を放つ龍へと姿を変え、そうかと思えばすぐに暴風吹き荒れる龍となる。
一体の龍が四種の属性を持つ龍にめくるめく変化していたのだ。
凄いな。
その光景にしばし俺も見入ってしまった。
久しぶりに顕現した精霊たちが、我先にと力を誇示しているのかな……
もしくは精霊たちもアイザルのことが嫌いなのかもしれない。
そんなアイザルは……というと、その場にへたり込んで地面を濡らしていた。
さすがにこれは……
いや、だがリーゼ先輩の依頼だ。
リーゼ先輩はとにかく派手な技を、と言っていたから問題はないだろう。
リーゼ先輩の様子を窺うと──龍を見上げ、顔を引きつらせていた。
これから先輩は、この龍の攻撃を受け止めてアイザルを庇い、アイザルに恩を売らなければならない。
その後は暴走する俺に一撃を食らわせ──俺の方は気絶した振りをして、リーゼ先輩が俺を医務室へ運ぶために外へと連れ出す。
そして俺はそこで先輩と別れ、書物院へ向かう、という段取りだ。
少し成長し過ぎた龍で先輩には申し訳ないが、この攻撃を止めてもらおう。
まあ、攻撃自体は寸止めにするから……勢い余って齧られたとしても、先輩のことだからちょっとくらいなら平気だろう。
さて。
アイザルは泣き叫んでいるが、これで終わりではない。
俺が軽く剣を振り下ろすと──。
龍は、アイザルの竜とは桁違いの咆哮を上げると、天井付近にあった首をアイザルに向かって急降下させた。
リーゼ先輩、今です!
俺が先輩に目で合図を送る。が──
え?
今の龍の咆哮のせいか、リーゼ先輩は尻もちをついてしまっていた。
よく見れば立っている生徒はひとりもいない。
腰を抜かしているか、さもなければ気を失っているか、だ。
しまった!
これじゃあ計画が──と焦りを感じたそのとき。
「そこまでです!」
誰かが飛び出したかと思うと、アイザルの正面に立ち、龍に向かって両手を広げた。
──この人は!
飛び出してきたのはリーゼ先輩ではなく、リーゼ先輩の隣にいた、白く細い人だった。
その人は龍を恐れることなく、自らを犠牲にするかのようにアイザルを庇っている。
堂々とした立ち姿は凛としていて、その細さからは想像もつかないほど生命力に溢れ、俺の目にとても美しく映った。
こうなった場合、計画はどうなるのだろう。
女性は龍の攻撃軌道上から動こうとしない。
それにしても今の動き……
炎を撒きながら大きな口を開いた龍は、氷柱で覆われた龍へと姿を変え、女性めがけて一直線に突き進む。
それでも緋色の髪の女性は、眉一つ動かさずに龍を見上げている。
黄金龍から暴風龍へ切り替わった龍は女性を頭から喰らわんと襲い掛かる。が──その寸前でピタリと動きを止めた。
その距離、髪の毛一本分あるかないか、といったところである。
次の瞬間、あれだけの存在感を発揮していた龍の姿が、ふっ、と掻き消えた。かと思うと、一帯を暴風が吹き荒れ──
「──!」
緋色の髪の女性のスカートを捲り上げ、その奥までも露わにしてしまった。
「きゃっ!」
女性は裾を押さえようと慌ててしゃがみこむ。
そこへ──
「こ、この……」
気を取り直したのだろうか。
剣を抜いたリーゼ先輩がもの凄い速度で突っ込んできた。
計画とは少し違ってしまったが、あとは俺があの剣を受けて、気を失った振りをすればいいだけ。
これでようやく当初の目的の書物院に行ける、というわけだ。
よかったよかった。
そして紅い髪を振り乱し、鬼のような顔で迫るリーゼ先輩の──
「……ばかぁぁああああっ!! なんてもの出してんのよぉぉおおおお!!」
「え……?」
「──スティアラ先輩に、あ・や・ま・れぇぇぇぇええええ!」
超本気の剣を正面から無防備な状態で受けた俺は、演技をするまでもなく本当に気を失ってしまったのだった。