第22話 最後の夜
「まあいいから食ってみろって」
自分の器に夕食を盛りながら、ニカっと白い歯を見せたモーリスが自信満々に言い放つ。
焚き火の反対側を見ると『先にいけ』と合図を送ってくるデニスさんと目が合い──覚悟を決めた僕は、もうもうと湯気が立っている容器を両手で抱え上げ、ふう、ふう、と息を吹きかけて口を付けた。
「──ッ!?」
元殿下が「旅先で覚えた自信作だぞ」と言って、自ら作って振る舞ってくれた(手伝いがてら作り方を見ようとすると怒られる)具だくさんのスープを一口すすった僕の口の中に衝撃が走った。
見た目とニオイはともかくとして、秘伝の奥義(鍋を少し覗いただけで蹴っ飛ばしてくる)と言うだけあって味には深みがあり、底冷えする身体を芯から温めてくれる。
これほどの完成度なら、僕の小さな胃でも軽く三杯はお代わりできそうだ。
いつもであれば。
「ん? どうした、ラルク、口に合わなかったか?」
器を持ったままカタカタと震えている僕を見て、モーリスが心配そうに眉を寄せる。
「の、飲まないんじゃなくて、飲めないんです…… 口の中がズタズタで……」
(き、気を失うかと思った……)
注意されていたにもかかわらず、馬車の中でモーリスを質問攻めにしていた僕の口内は、いまだに鉄臭さが充満していた。
試しにぺいっと唾を出してみたら血で真っ赤。
熱々のスープをそのまま飲むなんて、とてもじゃないけどできそうにない。
口の中を走ったのは衝撃じゃなくて激痛だった。
結局、届いた伝報矢のことは何も教えてくれなかったんだから話しかけなきゃ良かった、といまさらながらに後悔する。
「もう少し冷ましてからいただきます……」
「これは熱いうちに飲み干すから美味いのに」──モーリスがぶつぶつと言っているが、デニスさんも熱いのが苦手なのか進みが遅い。というか一口も飲んでいない。
御者として申し分のない腕を持つデニスさんでも舌を噛むことがあるんだな──などと益体もないことを考えながら明日の昼前には着くだろうレイクホールに自然と思いを馳せる。
(親戚っていっても、どんな人なんだろう……)
まずもってレイクホールに親戚がいる、ということ自体、僕は知らなかったのだ。
その人は無魔の僕を受け入れてくれるんだろうか──。
いくら旅に遅れはつきものだといっても、ひと月以上も到着が遅れて怒ってはいないだろうか──。
厳しい人だったらどうしよう、怒りを買って奴隷に落とされたらどうしよう、など、どうしても後ろ向きなことばかりが頭に浮かんでしまう。
それにレイクホール領のこともあまり知らない。
クロスヴァルト領の端から一カ月の場所にあって、気候は寒く、元々は別の国だった、そして近くには魔物がたくさん住んでいる森がある──程度の知識しかない。
文献で調べる時間すらなかったからそれは仕方がないんだけど、旅慣れしているデニスさんに聞いてもよくわからないというし、色々知っていそうなモーリスにしても僕が知っていること以上の答えは返ってこないしで、いったいどんな場所なんだろうとますます不安になってしまう。
より具体的に感じる恐れや懸念──
それは遅れ遅れだったこの旅にもいよいよ終わりの時が近付いてきているということにほかならない。
(ついに明日……)
僕は無意識に思い浮かべていた、顔も知らない親戚のことや奴隷落ちのことなどを一旦頭から切り離し、
「……モーリスとデニスさんはレイクホールに僕を送って……そのあとどうする予定なんですか?」
聞きたかったけど確認することをどこかで避けていた話題をついに切り出した。
生死を共にした仲間と最後の夕食になるかもしれない、というなんともいえない想いがそうさせたのは間違いない。
そんな感情を抱いているのは僕だけだろうか。
モーリスやデニスさんも少なからず何かしらの感情を持ってくれている──
「ああ、俺はすぐに王都に向かうぞ?」
「王都ってんなら俺が送ってやろうか?」
「おお! 今頼もうと思っていたとこなんだよ! やっぱデニスのおっさんの腕は確かだからな!」
「ったく、うめぇこと言いやがる、しょうがねぇ、安くしといてやるよ」
「よしきた! また一カ月の付き合いよろしく頼むぜ! ほれ、飲め飲め!」
「っと、その前に、この先の飯は俺が作るからモーリスの兄ちゃんはもう作らなくていいからな?」
「お? そうか? なんだか悪いな!」
「…………」
と少しでも思った僕が浅はかだった。
(モーリスが王都に行かなきゃいけないのは最初からわかってはいたけど……)
「どうした、ラルク、そんな恨めしい顔して」
「……いえ、もう少しなんというか、別れを惜しむというか……その……」
「なんだよ、寂しいのか?」
「別にそういうわけでは!」
他の人たちと違って、僕を受け入れてくれたモーリスとの、こんな右眼の僕でも気味悪がらずにいてくれたデニスさんとの別れが寂しくないわけがない。
紅狼の森で、恵まれた生活を送っていたときには小指の先ほども感じたことのない想い。
僕はモーリスとデニスさんとの出会いと別れが安っぽくなってしまうことが耐えられずに、つまらない見栄など張らないで正直に胸の裡を言葉にすることにした。
「…………いえ、やっぱり少し寂しいです」
僕を受け入れてくれた人との別れを経験するのはもう嫌だ──
僕のことを知らない人と一から関係を築くのはもう辛い──
そんな僕の心を見透かすようにふたりが目尻の下がった目で僕を見る。
「冗談だってラルク、心配すんな。必ずまた会える。男同士の約束だ」
「あんちゃん、こんな俺でよかったらいつでも会いに来てやるぜ? こう見えても受けた恩は一生忘れない性質だからな」
「モーリスさん……デニスさん……」
ふたりの優しさに言葉が詰まる。
「んでもラルクのあんちゃん、お前さんはレイクホールに着いたらどうするんだ?」
「僕は……取り敢えずは親戚がいるという丘の上の家を目指します。そのあとは……そこで一生を過ごすことになるかと思います」
「そうか……一生……」
モーリスが枯葉だらけの大木を見上げて小さく呟くと、デニスさんが肩をすぼめてワインをぐいっと飲み干す。
そんなふたりを見て、僕は冷めきってしまったスープを喉に通した。
こうして最後の夜は更けていく──