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第82話 騒がしくも、静かな夜 2



 ラルクロア──。


 なぜ師匠が俺のことをそう呼んだのかはわからない。

 だが、師匠と師弟の関係になってからの七年間、師匠が間違いといえる間違いを犯したことなど俺はただの一度として記憶にない。

 理不尽なことも、死を覚悟させる危険な任務も、すべては俺やエミル、そしてカイゼルを成長させるために必要な行為であったと俺は思っている。

 そう思えるまでにかなりの時間を要しはしたが……。


 つまり今回の師匠の行動にも必ず何かしらの意味がある──はずだ。


 見えない師匠の意図が──。

 俺はそれを見抜いたうえで、次の行動を決めなければならない。


 師匠の意図──。


 そう考えると、自ずととるべき行動は限られてくる。

 

 もし間違った選択をしてしまったとしたら……師匠に謝ろう。

 それにもし、これがただの悪ふざけであったとしたら……そのときは師匠を問い質せばいい。


 よし。


 覚悟を決めた俺は、


『どこにラルクロアがいるってんだよ……』

『なあ、クロスヴァルトのラルクロアっつったら、あれだろ……?』


 僅かな時間で数倍にも増えた人だかりの中央で、


『ああ。災いの元凶、無魔の黒禍って噂だぜ。でもよぉ、本当にこんなとこに居んのか?』

『なに、どうせまた偽物だろ?』


 纏っていたローブを、バッ、と脱ぎ去った。


 すると──


「お、おい! 見ろよ!」

「あれは魔法科学院の……」

「キョウ! い、いや、ラルク様だ!」


 白と青の制服を露わにした俺の姿を見て、歓声が上がる。

 まるで、交流戦、最終試合の熱気がいまだ続いているかのようだ。


「ラルクロア様ァ! どうか! どうかこの人たちに裁きを!」

 

 師匠が大袈裟に()()を続ける。

 ということは、これで正解だったのか。

 

「どうなってんだよ! ラルク様があのクロスヴァルト家の長男だってのか?」

「おい! ラルク様がラルクロアで……ってことはラルク様が無魔の黒禍なのかよ!?」

「い、いや、俺に聞くなよ! 俺だってわけがわかんねぇよ!」


 今度こそ本物の無魔の黒禍かもしれない──。


 人だかりの輪が、俺を避けるようじわりじわりと広がっていく。


 と、そのとき。


「かように早く顔を合わせられるとは僥倖だぞ! ラルクロア=クロスヴァルト! いや、六精霊に愛されし黒禍と呼ぶべきか!」


 馬車に乗り込んでいた指示役の男が路地に降り立ったかと思うと、良く通る声で俺に向かい叫んだ。

 俺は、男の口調が店にいたときとは異なることに、妙な違和感を覚えた。


 だが、その違和感も、男の仲間が次にとった行動により、一瞬でどこかへ吹き飛んでしまった。


「──ラルクロア様!」

「さっきからうるっせぇぞ! 女ぁ! 勝手に喋るなぁっ!」


 師匠の腕を掴んでいた男が、師匠の頬を強く叩いたのだ。

 師匠の長い髪が乱れ、肩ががくりと落ちる。


 なぜ師匠が反撃しないのか、理解できなかった。

 師匠であれば十人程度の男を相手に、後れをとるはずがない。

 まさか本当に力を失ってしまったのか。

 すべては演技などではなく──


 だがそんなことを頭で考えるよりも先に、俺の身体は弾け飛んでいた。


 男の罵声の余韻がまだ残るうち。


 男の首筋にはアクアが瞬時に創り出した氷の刃が──

 しかし俺の剣は、指示役の男が咄嗟に抜いた剣によって止められてしまった。


 剣と剣が交差する派手な音が鼓膜を揺さぶる。


 俺の動きが止まったことに、指示役の男の口角が僅かに持ち上がるのが見えた。


 やはり卂い。


 ──だが甘い。


 こちらはとうに警戒心を最大限まで引き上げている。

 この男らを単なる冒険者などとは、もはや思っていない。

 よって指示役の男の剣筋も俺には丸見えだった。


 俺が放った一の太刀は、指示役の男を前に誘い出すこと。


 師匠(連れの女性)が殴られたことで、頭の回路がキレたかのように怒りを剥き出しにして突っ込んだため、なんの策もないと思ったのだろう。

 だが、そう思われることこそが俺の策。


 交流戦でのエミルの一件がなかったら、今の俺は頭に血が上り、全身は怒りのみに支配されていただろう。


 『──臨』


 俺は冷静に第一位階の印を唱えると、競り合っている剣をグイと押し込んだ。

 にやけていた男の顔から笑みが消える。

 それを確認した俺は、男の腹に蹴りをぶち込んだ。


 男の身体が吹き飛び、馬車を揺らす。

 その衝撃に驚いた馬が前脚を上げて嘶き、そしてその脚を地に着けるまでの数瞬の間に──俺は残りの男全員を無力化した。

 当然、師匠を叩いた男に対しては五割増しの力で。


 アクアに創らせた剣は、刃先を丸くした模造刀のようなものだ。

 多少力を込めて振るったとしても、命を奪うまでには至らない。

 

 指示役の男、師匠を押さえていた男、そして弓を放った男を含め、十人の男が倒れ伏していることを確認した俺は、


「師匠! 大丈夫ですか!?」


 先ほど男に殴られた師匠を案じようと師匠のもとへ近寄ろうとしたが、


「はん! 常に気を抜くなとわたしは教えたがね」


 背後に巨大な圧を感じ、ハッと後ろを振り返った。


 瞬間、風の刃が俺へと迫っていた。


「──魔法ッ!」


 やはり神抗魔石かっ!?


 風の刃を放ったのは、先ほど俺が蹴り飛ばした指示役の男だった。

 どうやら意識を刈るまでには至っていなかったようだ。


 そればかりか魔法まで行使されてしまうとは──。

 

 そんなつもりは露ほどもなかったが、師匠の言うとおり油断したか。

 立ち上がった男は、再び口角を上げて俺のことを見ている。


 俺はリーファを使役すると、迫り来る風の刃を即座に無効化させた。


「──エミル! 全員今すぐこの場から避難を!」


 敵が魔法を使うとなると話は別だ。

 結界内では魔法障壁も張ることができない。

 であれば、男が放つ魔法に巻き込まれる前に、この場にいる人たちには建物内に避難してもらう必要がある。


「承知いたしました! 聖者さま!」


 エミルがそれを引き受ける。


 これで住民らは大丈夫だろう。


『はん! 精霊様をあのように……』


 背中から師匠の声が聞こえる。

 師匠はどうやら無事のようだ。

 

 振り返って師匠にこの流れを確認したいが、俺の本能が目の前の男から目を逸らすなと告げている。

 それほどに妙ななにかを感じさせる男だった。

 そのため、師匠への質問は後回しにせざるを得なかった。


「ふははは! さすがは六精霊の申し子! この私が足蹴にされるなど、いつ以来の屈辱か!」


 指示役の男が声高に笑う。

 その風格は一介の冒険者などには決して見えなかった。


「お前はなぜ師匠を、この女性を攫おうとした。それにその魔法。どこから神抗魔石を手に入れたか、衛兵にすべて話してもらうぞ」


「魔法? 魔法だと? ふははは! 面白い!」


「なにがおかしい。こちらとしては今すぐ縛り上げても構わないんだが?」


 そう言いつつ、俺は周囲の状況を確認した。

 あと少しで避難が終了しそうだ。

 付近一帯に人がいなくなるまで、どうにか時間を稼がなくてはならない。

 得体の知れない敵が相手だ。どんな手を繰り出してくるかわかったものではない。


「貴様が本当に無魔の黒禍であるというのであれば、この女より貴様を連れ帰ったほうがあの方はお喜びになるだろう」


「あのお方だと?」


 すると男は俺の問いには答えず、口内でなにかを呟いた。


 次の瞬間、男の背後にどす黒い靄のようなものが湧きだした。


「ラルクや。よぉく見ておくんだよ」


「え!? 師匠!?」


 突如後ろから声をかけられたことにより、俺はつい師匠を振り返ってしまった。


「聞こえなかったかい? あの闇から目を逸らすんでないよ」


「や、闇って──」


 訊ねたいことはいくつもあったが、ただならない師匠の雰囲気に圧倒され、俺はすぐさま前に向き直った。


 すると驚いたことに、靄は男を包む勢いで大きさを増していた。


「──グッ!」


 そればかりか、周りの空気が、ドン、と重くなったかと思うと、次いで俺の身体は立っていることすら困難なほどの重圧を受けてしまった。

 気分も沈み、酷く陰鬱な感情が胸の中を渦巻く。

 呼吸が細くなり、空気を欲しようと喉を掻き毟る。

 恐怖、不安、緊張、狼狽。

 まるで悪夢の真っただ中にいるような感覚に、俺は思わず膝をついてしまった。

 それでも俺は、師匠に言われたことを全うしようと、男から目を逸らすことはしなかった。


 な、なんだこれは……

 魔法か……?


 しかし、そうしていることもすぐに限界が訪れた。


 ま、まずい……

 い、意識が……


 視界が暗転し、意識を失ってしまう寸前、俺の背後にいたはずの師匠が俺の前に立ち塞がった。

 俺はその背中をぼやけた視界に収めていた。


「私の術の前にこうして立っていられるとは。貴様、ただの女ではないな?」


 靄の拡大が止まる。

 その隙をついて、俺は必死で肺に空気を送り込んだ。

 全身を襲っていた痺れがわずかに和らぐ。


 どうやら師匠のおかげで気を失うことは避けられたようだ。

 

「はん! そのぐらいにおし。それ以上精霊様を粗末に扱うというのであれば、このイリノイ=ハーティスが相手になるよ?」


「……イリノイ? ……そうか。そういうことか」


 男はなにやら考えていたようだが、


「ラルクロア=クロスヴァルト。どうやら貴様は我が君のお言葉通り、まだ覚醒しきってはいないようだな。まあよい。これで貴様が本物であると大凡の察しはついた。よって貴様とはいずれ相対することになる」


 「ならばこの続きはそれまで私が預かっておくとしよう」──そう言うと、男はその場から姿を消してしまった。


 そして靄が完全になくなると──俺の身体は完全に自由になった。






 ◆






「せ、聖者さま……そんなに召し上がって大丈夫ですか……?」


「……ああ」


 心配するエミルにそう答えると、俺はグラスに注がれた果実酒を飲み干した。

 空にするのはこれでもう六杯目だ。

 いつもは水で薄めたものを飲んでいるのだが、今日はそのまま飲みたい気分だった。


「あの底意地の悪い師匠のせいで、今日は少し酔いたいんだ」


 師匠のせいでないことなど自分が一番よくわかっている。

 あの男が行使した()()()()を前に、為す術もなく崩れ落ちた自分に嫌気がさしているだけだ。


「付き合ってもらって悪いな……エミル」


「と、とんでもないことです! ルディちゃんが用意してくれた個室で、私はこうして聖者さまと二人きりで──」



 


 『ラルクに二つの任を与える。一つはラルクロア=クロスヴァルトとして善の限りを尽くすこと。そしてもう一つはラルクとして心身ともに悪に染まること』



 師匠……

 本当に次から次へと……




 俺は果実酒を再び飲み干すと、少し前に帰った師匠に言い渡された任務を繰り返すのだった。




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