第2話 黒眼の無魔
去年より十日ほど早く、この冬一番の寒さとなった日。
時刻は四の鐘を少し過ぎたころ。
クロスヴァルト侯爵が居を構える紅狼の森の一角から、上空に向けて一斉に矢が放たれた。
無数の矢は空中で様々な姿に形を変えると、キンと澄み渡った青空を四方八方に飛び去っていく。
中には王家の印である”紫の龍”や公爵家の”金の獅子”を象った矢も見て取れ、クロスヴァルト領ヴァルトの街上空はしばらくの間とりどりの色彩が乱舞した。
色も形も多岐にわたる『伝報矢』には──
《ラルクロア・クロスヴァルト卿 『無魔』判定 漆黒の瞳は無魔の黒禍なり》
との文言が刻まれており、その内容は一夜にして王国中に広まった。
◆
「ステファイド=クロスヴァルト侯爵、並びにラルクロア=クロスヴァルト卿のご入場です!」
僕の魔力測定用に用意されていた場所は屋敷で一番広い舞踏会用の会場だった。
執事のレスターが会場の扉を大きく開くと、むわっ、とした空気が外に逃げてくる。
「え……? こ、こんなに……?」
会場に一歩足を踏み入れた僕は人の多さに目を回した。
確か最大で三千人は収容できると聞いたことがある。
その会場がいまや料理が並んでいるスペースを省けばほぼ満員だ。
これ……二千人以上はいるんじゃないか?
こんなに人が集まったの見たことないぞ……
父様は何を考えておられるのだ……
会場内は人の密度と湿度が高く、外の寒さとは対照的になんとも異様な熱気に包まれていた。
「皆、奇跡の瞬間に立ち会うために集まったのだ。魔力の測定をした後、誕生祝いも兼ねての祝宴へと移る」
クロスヴァルト家は王から侯爵の爵位を、この領地と共に下賜されている。
現在二つある公爵家に続き、国内三番目に位置する高位の貴族だ。
それなりの有力貴族が集まることも理解できる。
だけど──
「父様! この大勢の方々の前で魔力測定を行うのですか!? ま、万が一、その……」
そう、第一階級ではなく、第二階級止まりだったら、もしくはひとつ落ちて第三階級だったりしたら……恥さらしにも程がある。
「ははは! 案ずるな、ラルク、お前は去年第二階級の仮判定が下りているのだ。最低でも第二は不動。あわよくば私の第二階級を越えるのを、そして我ら現代魔術師三人目となる第一階級が誕生する瞬間を皆待ちわびているのだからな!」
「は、はあ……」
無論僕だっていまさら個室でやります、なんて言えないことくらいわかっている。
みんな遠路はるばるクロスヴァルト領まで足を運んでくれたんだ。
だからといって、顕現祭のように盛り上がられてもこっちは堪らない。
(他の子たちはみんな教会でパッパッと終わらせるのに、何で僕は……)
幼少から貴族としての義務を学んできてはいるが、やはりこういった面では平民の方がなにかと勝手が良い、と思ってしまうのは弟のマークとは正反対の所感だった。
◆
僕が測定用の魔道具が設置されている壇上に上がると、会場は水を打ったような静けさに包まれた。
みんなが僕の測定結果を固唾をのんで見守っている。
過去ふたりしかいない第一階級。
しかもそのふたりはもう生きていないといわれている。
ここで第一階級魔法師誕生となれば、古代魔法師にいるふたりの第一階級に数の上では近付くことができるのだ。
〇対二と一対二では意味するところが大きく違う。
現代魔法師だけでなく、古代魔法師たちに与える影響も計り知れない。
そして僕が旗印となって現代魔法師たちを率いていくことこそが父様の悲願だ。
(下手な結果が出たら火あぶりにされそうだぞ、これは……)
冗談などではない。
現代魔法師派の貴族家に於いては、魔力の弱い者は家を継ぐことを許されない。
両親の魔力を色濃く引き継ぐためあまり例はないが、第七階級であれば奴隷落ちとなってしまうそうだ。
それが第十階級などとなったら村人とそう変わらない。
貴族の名を汚すとして処刑は免れないだろう。
(ま、それはないだろうけど……)
父様は第二階級の魔法師だ。
そのうえ去年は父様と同じ第二階級の判定が出ているのだ。
奴隷落ちになることなど、まかり間違ってもないだろう。
最低第四階級程度でも十分に家を継ぐことは可能だ。
実際のところは第四階級でも家督を継いでいるものも多い、というより圧倒的に第四階級が大多数を占めている。
約五百ある現代魔法派の貴族家のうち、第四階級の魔法師が当主を務めている家が八割以上を占めている。
残りは第三階級と第二階級だが、第二階級は王家を除き三家にとどまる。
第一階級の魔法師はふたりとも貴族ではなかったらしい。
(早く終わらせてマークたちに美味しい料理を食べさせてやろう)
僕は教会から来てくれた神父様の指示の下、神に祈りを捧げ、小刀で親指の先を切った。
判定結果は魔道具の水晶に現れる色によってすぐにわかる。
紫色が濃ければ濃いほど魔法に対する適性が高く、第一階級判定に近付く。
反対に緑色が濃いほど適性が低く、第十階級判定に近付くこととなる。
僕は覚悟を決めて魔道具に血を一滴垂らした。
僕の顔程の大きさの水晶がじわっと血を吸い込む。
するとすぐに水晶の色が変化を始めた。
──色は紫。
「やっ──」
紫は紫でも特に色濃い紫紺一色に染まったので、喜びの声を上げようとした瞬間、会場内に雷が落ちたような閃光が走り
「──うわっ!」
絶叫してしまった。
落雷と違い、音はないが凄まじい明るさの光。
僕はどうして良いか分からずに、目を閉じてその場に立ち尽くした。
しかしその光もすぐに消え去り、僕は静かにまぶたを開く。
貴族たちも突然のことに驚き、俄かに騒がしくなる。が、
「静まれよ! 静まれよ!」
神父様が声を轟かせると会場内に静けさが戻った。
(な、何だったんだ今の光は……)
誰かが魔法を放ったのか?
……でもあんなに広範囲で強力な魔法、父様クラスの魔法師でもないと難しいんじゃないのか?
僕は何が起こったのか確認しようと父様のいる席へと目を向け──周囲の異様な雰囲気に目を瞠った。
神父様の声により一旦は落ち着きを取り戻した貴族たちだったが、再びざわりと騒々しくなり場の空気が一変していたのだ。
閃光が収まったときよりも騒がしい。
父様もそれを咎めるでもなく、他の貴族たちと同じ表情で一点を凝視している。
この場にいる全員が一様に見ているのは壇上の僕──ではなく僕の前の魔道具、水晶。
僕は何事かと紫に変色しているはずの水晶に視線を落とし──
「────っ!」
──息を呑んだ。
そこにあるのは紫紺に染まった水晶ではなく、無色のままの水晶だった。
無色透明。いや、水晶本来の色よりも透き通ってしまっている。
「な! なンでこんな──」
「魔無しっ! 無魔判定だっ!」
動揺のあまり上ずってしまった僕の叫びを、誰かの声が打ち消した。
「ちがうッ! さっき確かに紫に──」
更に大きな声で弁明しようとするけど、
「漆黒の瞳の無魔!」
「無魔っ! 無魔の黒禍だ!」
一斉に騒ぎ出した貴族たちは収まることなく、会場全体が色めきだつ。
父様も愕然とした表情で水晶と僕を交互に見つめている。
何かの間違いじゃないのか?
これ、壊れてるんじゃないのか?
去年第二階級判定だったのに?
誰かの策略?
! そうだ! 古代魔法派の罠だ!
「父様──」
貴族たちの興奮する声に負け、僕の声は父様に届く前にかき消えた。
父様の土気色の顔をみて大変なことになったと痛感する。
『──伝報矢!』
貴族の誰かが伝言の魔法を使ったのを皮切りに、次々と光の矢が上空に放たれた。
それは緻密な絵画を施した天井をすり抜け、敷地の上空へと突き進む。
僕の判定結果を受け、急いで自領や関係各所へ伝言を送ったのだろう。
「静まれよっ! 皆の者! 静まれよっ!」
神父様が収拾のつかなくなった会場を取りまとめようと声を枯らす。
だが伝報矢の行使に夢中になっている貴族たちは一向に手を休めようとしない。
ひとりで何本もの矢を放つ者もいる始末だ。
『──静まれぇいぃッ!!』
そこに苛立った様子の父様の怒号が、会場内の空気を熱気ごと震わせた。
その声は貴族たちの注目を集めることに成功したが、既に飛び去った伝報矢までは止められない。
すでに国中に向け、僕の無魔判定は拡散されてしまった。
「ラルクロアの処遇に関しては、クロスヴァルトに於いて預かりとする! 皆よ! 本日はこれにて仕舞いとする!」
険しい表情で散開を宣言した父様が壇上に上がってくる。
呆然と立ち尽くしていた僕は強引に腕を掴まれ、引きずられるように会場を後にした。
◆
「と、父様……僕には何が何だか、あれはいったい……」
「ラルク……私もだ……」
父様の書斎。
小さいころに勝手に入って叱られて以来、一度も足を踏み入れたことがなかった。
二度目をこんな心境で訪れることになるとは。
母様やマーク達は隣室で控えている。
母様たちの僕を心配そうに見る表情が僕の胸に突き刺さった。
「確かに紫に染まった気がしたのですが……ですから第一階級判定だとばかり……」
「ああ、それは私も見た。その瞬間は心が躍ったのだが……」
「あの魔道具が壊れていたのでは……」
「……うむ、それは考えられん。あの魔力判定の魔道具は何千年にも亘って魔法師を生み出してきたのだ。実際、実力と異なる判定結果が出たことは過去に一度たりとも無い」
父様の言うとおりだ。
結果に不満を持ち、魔道具が壊れていたなどと騒ぎ立てることは、教会にたてつくことと同義だ。
過去にもそういった輩は教会からの心証が悪化するだけだった。無論結果が覆るようなことはない。
「で、では、古代魔法師が入り込んで何か悪さを──」
「ラルク、それこそあり得ないのはお前も分かっているだろう。この紅狼の森に張られた結界を……」
この紅狼の森一帯は魔道具によって強力な結界が張られている。
害意あるものが入り込んだり、仮に悪意を持たずに入り込めたとしても、中で悪事を働こうとすると途端に結界が反応する。
光で視界が利かない隙に水晶を入れ替える、などという行為も無論できようはずがない。
それは分かっている。
分かっているのだが、まったく納得できない。
何か、何かおかしなことはなかったかと必死で頭をひねる。
「そ、そうです! 父様、あの光は! あの光は何だったのですか!」
「光……? 光とはなんだ、ラルク、何か光ったのか?」
「え? と、父様、何を……あんなに眩しい光があのとき、あの瞬間放たれたではないですか!」
「ラルク、光などみてはおらぬぞ? お前だけに見えたというのか?」
「え? 父様!? まさかあれほどまでの光に気が付かなかったので──」
気が付かない! 見えていないということか!?
ま、まさか、あの光……? なのか……?
マーク達も見えないと言っていたあの……ピレスコークの泉の……
「……うぅむ、お前のその目と関係があるのかもしれん。古くから伝わる話が本当であれば……」
「と、父様? 目、というのは……」
「自分では気が付かぬか、その姿見で確認してみよ」
僕はますます頭が混乱し、言われるがままに姿見の前に立ち──
「うわッ! な、なんだこれッ! 目が! 目が黒いッ!」
青く澄んでいたはずの瞳が、右目だけ黒色に変わっていたことに驚き、何度も目を擦り姿見を見た。
貴族達は光に驚いていたのではなくて、僕の目の色に驚いていたというのか!
そういえば漆黒の瞳とか、無魔のなんとかとか叫んでいた貴族がいたような!
「と、父様! これ何ですか! 何かの病気ですか!? それとも呪術ですかッ!? 無魔のなんとかって──」
「落ち付け、ラルク、いいか、今から聞かせる話はお前にとっては衝撃だろう。だがしっかり受け止め、そして答えを出すのだ」