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第71話 交流戦7 『師匠の愛と新たな任務』



「──エミルッ!」


 俺は喉がはちきれんばかりに叫びながら階段を下りる。

 もしそこに誰かがいたのなら、突き飛ばして大怪我を負わせてしまっていただろう勢いで。


「──!」


 が、階段を下りきり、角を曲がるところでその先から感じる尋常ではない圧に気が付き、俺は半ばつんのめるような姿勢になりながら速度を落とした。

 警戒して角を曲がる。と、そこには


「──し、師匠!」


 道を塞ぐように立つ師匠の姿があった。

 仁王立ちで杖を地面に突き立て、恐ろしいほどの気を纏っている。


「──こんなことだろうと思ったよ! ラルク! エミルの言葉を忘れたのかい!」


 なぜここに師匠がいるのかわからない。

 なぜ師匠が俺の行く手を遮るのかわからない。


「師匠! そこをどいてください! ──俺は! ──俺はッ!」


 なにを伝えればいいのかもわからずに、言葉が空回りする。


「何があっても冷静にと言われなかったのかい! お前さんは妹を信じられないのかい!」


「──エミルが! 俺が今すぐ行かないとエミルがッ!」


 ただ頭の中はエミルのことだけを考えていた。


「ええい! この小童が! いい加減目を覚ましな!」


「──ッガハッ!」


 師匠の魔術で後方に吹き飛ばされた俺は、壁に激突して肺の中の空気を盛大に吐きだした。


「エミルは死にゃあしないよ! あの子には試合前にわたしが調合した仙薬を渡してある。だからあの子のことなら大丈夫だよ」


 頭に血が上り、師匠の言葉を上手く理解することができない。

 それでも『大丈夫』という単語だけは、俺の焼け付きそうな神経回路を冷ます効果を発揮した。


「だ、大丈夫って……エ、エミルは……あいつに……」


 呼吸を整えながら立ち上がり、師匠に向き合う。

 しかし俺は師匠ではなく、師匠の奥、試合場へ続く通路を見ていた。


「わたしの薬が信用ならないというのかい? あの子はこのことを想定して胸に仙薬を仕込んでいたんだよ。わたしとバルジンふたりがかりで調合した最高級の仙薬をね。だから今頃は無傷の状態で意識を戻しているよ」

 

 仕込んで……

 バルジン……

 最高級の仙薬……


 師匠の口から出る単語が断片的に脳に送られていく。


 無傷……

 意識を戻して……


 そして一連の言葉となって全身に沁み渡っていく。

 徐々に呼吸と冷静さを取り戻してきた俺は、試合場から師匠に視線を移した。


「……じゃあ、エミルは……無事なんですね……?」


 師匠が厳しい顔で頷く。


「──はあ……」


 俺は全身の力が抜けたようにぐったりした。

 目の前にいるのが師匠じゃなければへたり込んでいただろう。


「ったく。切羽詰まったときに視野が狭くなるのは相変わらずだね」


「でもどうして……」


「あれもすべてあの子の手の内だからね。いいかい? あれがあの子の言っていた賭けだ。スコットが潔く負けを認めればエミルはスコットをゆるし、そうでないのなら罰を与える、とね」


「……赦す……罰……?」


「ああ、そうだよ。エミルはスコットにわざと背中を見せた。七年間黙っていた事実を公表するとスコットに伝えたうえで、隙だらけの背中を見せたんだよ。無論、あの子は公表する気などありはしなかったさ。だがスコットのことをよく知るエミルは、そう言えばスコットが本性を露わすということまで知っていたのさ。その本性を見極めるためにあの子は賭けをしたんだよ」


「そ、そんなことのためにエミルはあんな危険なことを……どうして……」


「お前さんには『そんなこと』に見えるのかい……。まあ、あの子はこれで吹っ切れただろうね。エミルは……強くなるよ」


 「……女はそうやって成長するもんさ」──師匠は振り返り、通路の先の光、そしてその向こうに広がるだろう試合場へ目を配る。


 この一瞬で師匠の言うことをすべて理解することは難しかった。

 今はただ、エミルが無事であればそれでいい、そう考えていた。


「……罰って言いましたが、あいつは……スコットは……どうなるんでしょうか」


「試合が終了してから相手の胸を刺したんだ。エミルは無傷だが、かなり重い罪に問われるだろうね。エミルはスコットのことを信じたいと言ってはいたが……エミルからしてみれば試合には勝ちはしたものの、賭けには負けたってとこかね」


 できればこの手でスコットに仇を討ちたかったが……

 その必要もないということか……


「エミルはそこまで考えて……でも交流戦でそんなことをしなくても……」


「クラックを憶えているかい? エミルはクラックを救うためにスコットに試合を申し込んだんだよ。エミルが勝てばクラックを解放し、だがもしエミルが負けたらスコットの妾になるという条件を付けてね」」


「そ、そんな経緯があったんですか!」


 エミルが試合に出るのにはなにか理由があると思っていたが!

 それであんなに思い詰めた表情をしていたのか!

 なんで俺に一言相談しないんだ!

 クラックのひとりやふたり、言ってくれればすぐにでも助け出してやれたのに!


「なんで相談してくれなかったとエミルにぼやいても無駄だよ? 結果として試合を選択したのはエミル自身だが、お膳立てしたのはわたしだからね」


「え!? 師匠が……? それはどういうことなんです……?」


「お前さんたちはわたしとどういう関係だい?」


「え、それは……師匠と弟子、ですけど……」


「そうさ。お前さんたちはわたしの弟子だ。そしてこうしている今も修行の身にあるんじゃないのかい?」


「え……それじゃあ……」


「ああ。エミルに課した修行の一環だよ。自身の殻を破るためのね。あの子はとかく優しすぎるきらいがある。誰に対しても平等であらなければ、と勘違いしている。まるで女神のような聖女にでもなろうとしている」


「女神のような聖女って……それがエミルの手にした称号であり、生き方であり、国民もそれを称えて──」


「はん! なに青いことを言っているんだい! いいかい。あの子は施すだけの女神じゃない。咎人にも救いを渡す女神じゃない。本当の平等というのはね、与えるばかりじゃない。与えるのと同じように奪わなければならないんだよ。奪う覚悟がなければあの子の成長は止まったままだよ」


「それは……」


 師匠がドン、と杖を地面に突く。


「わたしはあの子を修行させるためにこっち(魔法科)に入れた。無論、青の聖女なんて呼ばれるようにするためじゃないよ」


 その杖の先を振り上げると


「そして同じようにむこう(武術科)にスコットを入れた」


 青の湖の向こう、武術科学院がある方角へと向けた。


「エッ! し、師匠がスコットを!? そんな、どうして──」


「言ったよ。わたしは馬鹿でも使えるものは使うと。スコットもエミルの成長のために必要だったのさ。お互い学院の教官となればいつかは対峙することになる。そのときにエミルがどう乗り越えるか、どう答えを見つけるか、とね」


「……」


 師匠の話を聞いた俺は、自分の修行なんて甘いもののように思えた。

 そして改めて師匠の無茶っぷりを思い知らされた。

 俺はエミルが第一階級の魔法師になった時点で、修行など終了しているものだとばかり思っていた。

 だがそれはとんだ勘違いだったということだ。

 

 エミルは、あれほど苦労して思い悩んで、ようやく高い壁を乗り越えたというのに、今後も当然のように修行は続くのだろう。

 

 今回の件はたかが与えられた課題をひとつ終えただけ──。

 

 そのことに俺はすっかり冷静さを取り戻していた。

 いや、逆に静かなる熱が込み上げてきた。


 そうだ。

 俺たちは修行中なんだ……


 甘いことを言っている場合じゃないことを思い出した。

 俺は肩の力を抜き、自然体に戻す。


「──師匠は俺が試合に出ることも知っていたんですか?」


 そして同じく纏っていた気を霧散させた師匠に質問した。


「そうなるだろうと予想はしていたよ。上手く実力を隠そうにも不器用なお前さんのことだ、なにかしら問題を起こすんじゃないかとね」


「……。今回のことは偶然なんですけど……でもサウスヴァルトが関係しているらしいということは知っていましたか?」


「サウスヴァルトが、かい?」


 師匠はそのことまでは知らなかったのか、少し驚いた顔をしている。


「はい。実は──」


 俺は師匠に俺が出場することになった経緯を短く説明した。





 ◆





 先ほどの不測の事態のせいで最終戦は開始が遅れているらしい。

 師匠と話をしていた最中に『しばらくお待ちください』という案内が聞こえてきたので、内容を聞かれては不味い話ということもあり、控室兼観覧席に移動して師匠と話を続けた。



「サウスヴァルトの娘がね……やはりサウスヴァルトが真っ先に動いたかい……」


 師匠が額の皺をなぞる。

 考え事をしているときの癖だ。


「動いたって、どういうことです?」


「お前さんの奪い合いさ。お前さんの力を知ったようだね……」


「──俺、拙いことしましたか……?」


「まあ予想していなかった巨神の件があったから仕方がないがね……」


 そう言うと師匠は黙ってしまった。

 なにやら思案しているのだろう。

 指先が忙しなく額を撫でている。

 俺も静かにその様子を見守った。





 しばらくして──


「想定より少しばかり早いが──」


 師匠の額をなぞっていた手が止まる。

 そして俺を見上げた。


「──こっちも手の内をひとつ見せるかね」


 師匠はそう言うと窓際に向かい、外を見た。


「──勝つことに対する覚悟はあるかい?」


「愚問です。エミルだって勝って見せたんです。俺も──」


 俺は師匠の背中に向かって答える。


「そうじゃない。現代派、古代派にだよ」


「──!」


 これは……

 もしかしたらヴァレッタ先輩が言っていたことにつながるのか?


「……その覚悟でしたら、七年も前にできています」


 俺は一瞬驚いたが、嘘偽りなく真実を告げた。


「決まりだね。なんとも大きな任務になってしまったが──」


 師匠が振り返る。

 そして真剣な表情で俺を見て、言葉を続けた。


「──第一等特別魔術師ラルクに任務を与える。この後の試合、今持てる最大限の力を以て戦え。そして現代派、古代派の重鎮に己が力を見せつけよ。その後のことは追って伝える」


 最大限の力……

 本気でってことか……?


「返事はどうしたんだい」


 俺は師匠から言い渡された任務に対して

 

「は!」


 身の引き締まる思いで返事をした。






 ◆





 師匠が戻ったあと、俺はひとりで考えを整理していた。

 が、会場の熱気が収まらないことを不思議に思い、窓の外を見る。と、そこには試合場に物を投げ込む者や、試合場に下りてなにやら係に突っかかっている者、そしてエミルの名を叫び続ける観客の姿があった。


 闘技場全体が殺伐としており、物々しい雰囲気が漂っていることがここからでもわかる。


 エミルに対して反則行為を働いたスコットに抗議をしているのだろう。

 反乱でも起きそうな勢いだ。

 このままではとてもではないが、次の試合を始められそうにない。


 収拾がつかないぞ、これは……


 そのとき、闘技場に人影が姿を現したことによって熱気がさらに高まった。

 しかしそれは混沌とした無秩序なものではなく、喜びが爆発したような良い意味での熱気だった。


 エミル……?


 姿を見せたのは先ほど試合を終えたばかりのエミルだった。

 エミルの姿を見て客席から歓喜の声が上がる。

 試合場で騒いでいた観客らも席に戻った。

 エミルは治療師に肩を貸してもらうことでどうにか歩いており、遠目でもわかるほどに顔色は悪い。

 だが一歩一歩確実に歩みを進めている。 



 どうしたんだ、エミル……?


 そして試合場の中央までやってきたときには観覧席は絶頂にあった。


【──皆様】


 風魔法で拡散されたエミルの声が観客たちひとりひとりの熱を冷ます。

 エミルのたった一言によって、闘技場は瞬時に静まり返った。


【本日は交流戦に足をお運びいただき感謝申し上げます】


 覇気のない声ではあるが、よく通る声だ。

 観客全員が身動きひとつせずに言葉を待つ。


【先ほどの試合ですが、私はこの通りなんともありません】


 再び歓声が上がる。

 が、


【ただし──】


 エミルが続けたことで、また静けさが戻る。


【皆さんに聞いていただきたいことがあります】


 四方を見渡したエミルが一瞬、俺のいる観覧席に目を向けた。


 エミル……なにを言うつもりなんだ……?


【私は先ほど対戦したスコットに、幼馴染を人質として取られていました。そしてその命を護るために私は今日スコットと対戦することを決意しました】


 観客席がどよめく。

 一度は収まった不穏当な空気が再度場内を支配しようとしていた。 


【私が勝利すればスコットは幼馴染を解放し、スコットが勝利すれば私はスコットの妾になるという条件を付けた戦いでした】


 エミル!


 俺の心の叫びを代弁するように、観客が一斉に立ち上がる。

 そして怒号を上げ、怒りをあらわにした。

 エミルは俺のいる場所を見据えた、言葉を続ける。


【私は聖女などと呼ばれています。ですが、私はひとりの女です。この身体は愛する人のために捧げると幼い頃から誓いを立てています。ですからこの戦い、決して負けるわけにはいきませんでした。幼馴染の命のため、そして愛する人に捧げるこの身を護るため】


 客席から賛同の声が上がる。

 女性だけではなく、男性も共感の拍手を送っている。


【私は試合に勝利するため、今日まで必死に鍛錬を重ねてきました。そしてどうにか勝利を収めることができたのです。そして──】


 俺もいつしか手に汗を握り聞き入っていた。

 

【──私は幼馴染の居場所と幼馴染を解放する言質を得ました。ですがそれで終わりではありません。私はスコットの過去を知る少ない人物のひとりです。そんな私はスコットにこう告げました。『七年前の魔物討伐の真実を組合に公表して下さい』と。スコットは偽りの力で今の地位を得ています。私は七年前『銀風の旋律』という名の冒険者集団に属しており、スコットたちとともに試練の森に素材集めに赴きました。その際スコットは奪魔人鬼を討伐したと、素材とともに組合に申し出ていましたが、それは真っ赤な嘘なのです。私はこの眼で見ていたのです。しかし……私は自分自身に、そして周囲に害が及ぶことを恐れ、今まで公表できずにいました】


 試合後にエミルはそんな会話をしていたのか……

 それなのに俺はエミルの勝利に浮かれて……


【あの討伐はまったく別の人物によってなされたのです。そのことをスコットが公表しないのであれば、代わりに私が公表する、と伝えたところ、彼は自ら公表すると約束しました。そして私は賭けに出たのです。スコットがこのまま潔く負けを認めるか否か──。負けを認めるようであればもう一度彼を信じ、組合に報告することは彼の良心に任せようと思っていました。偽りの力であることは事実ですから、私が報告しなければ、私自身、組合に対して背面行為を働いているということになります。その罰は甘んじて受け入れます。ですが私は彼に自ら公表してもらいたかったのです。自ら偽証を正してほしかったのです】


 場内は水を打ったように静かになっている。

 エミルの声は他の闘技場にも聞こえているはずだから、学院にいるすべての人が耳を傾けているのだろう。


【そして私は彼に背を向けました。彼の選択する行動を見定めるために。結果──皆様が目撃した

ことがすべてです。彼は……私を亡き者にしようとしました……私は……賭けに……負けました】


 しん、とした中に、エミルの上ずった声が響く。


【……私はスコットに対し、相応の罰を望みます……】


 数人の観客が賛同の拍手を送った。

 次第にその拍手が広まり、大歓声となった。


 罪を望む……この一言は言いたくなかっただろう。

 だがエミルは見事に師匠の課題を乗り越えて見せた。

 

 ああ、師匠の言うとおりだ。

 エミルは強くなる。

 エミルの覚悟を俺は両の眼でしかと見た。



 エミルに会って『そんなこと』と言ってしまったことを謝らなければいけない。



【最後に、奪魔人鬼を討伐した本当のお方、私の命を救ってくださったお方、そして私の…………お方は──次の試合を見ていただければわかります】


 エミルは頭を下げると、治癒師に連れられて試合場を後にした。


 今日一番の歓声を受けながら──。



 


【お静かに願う!】


 エミルが退場してからしばらくして、先ほどまでの進行係とは違う男の声が闘技場に響き渡った。

 権威を感じさせる重厚な声だ。

 興奮が冷めずにいた観客が、何事かと一斉に沈黙する。


 すると、エミルに代わり、今度は男がふたりの騎士の手によって試合場へと引き摺られてきた。

 それが誰なのか、項垂れた顔を見ずともわかる。


 卑劣極まりない男──スコットだ。


 スコットは力無く両膝をつき、身体のすべてを騎士の腕に委ねている。

 生きることを諦めた咎人のようだ。


 スコットに対し、観覧席から罵声が飛ぶ。


【先の試合に出場し、反則行為を行った武術科学院スコットに対し、以下の決定を下す!】


 スコットの身体がビクリと震えた

 だが顔は終始俯いたままでいる。


【スコットは冒険者資格及び市民権を剥奪のうえ、犯罪奴隷に落とすこととする】


 その発表に観覧席から歓声が上がった。

 重々しかった空気も軽くなる。

 

 犯罪奴隷──。

 奴隷の中で最も劣悪な環境下で酷使される奴隷──。


 荒れる会場を抑えるために急ぎ発表したのだろうが、俺にはその刑が重いのかどうかは判断できなかった。

 できることならこの手で締め上げたかったが、それはエミルが許さないだろう。


 重いか軽いか──それはエミルが判断することだ。


 俺は項垂れるスコットに一瞥をくれると窓から離れた。



 そしてエミルの一言一句を噛み締めながら、再び精神統一を始めた。





 ◆





「大変お待たせいたしました。第七回戦が始まります。どうぞご案内します」


「──いえ。必要ありません。ひとりで行きます」


 目を閉じて思考を整理していた俺は今、波風ひとつ立たないほどに気持ちを落ち着かせていた。

 師匠の話を聞いて、あちこちに飛んでいた点と点が、一本の線で結びついたことに心の迷いはなくなっていた。

 冷静沈着。

 だがしかし、エミルの覚悟を目の当たりにして、全細胞は熱く鼓動している。


 俺は案内を断ると、扉から出る。

 

 そしてその直前、観覧席を一度振り返った。


 無論、そこには誰もいない。

 誰もいない空間に向かって


「行ってきます」


 ──そう呟くと、静かに扉を閉めた。






 ◆






「──みんなこんな気持ちだったのか……」


 試合場へ続く大闘技場の薄暗い通路。

 はるか先にある出入り口の四角い光が少しずつ近付いてくる。

 一歩、また一歩。

 ゆっくりと歩を進める度、心地良い緊張感が増してくる。



 暗いトンネルの終着点。

 溢れんばかりの光の中へ身を投じると──


 そこには大歓声の嵐が待っていた。


 眩しい太陽。

 爽やかな風。

 土の匂い。

 人々の熱気。


 そのどれもが俺の感情を昂らせる。




 俺は試合場へ向かうために生徒専用の観覧席の前を通る。



「おい、線なしが出てきたぞ!」

「この大事なときになに考えてんだ、あの馬鹿!」

 

 誹謗。


「お前があの騎士に勝てるわけねえだろ!」

「髪を黒くして強くなった気になってんじゃねえ!」


 揶揄。


「なんでお前が出てんだよ! 引っ込めよっ!」

「どうなってんだよ! なんでお前なんだよ!」


 退場を迫る声も上がっている。



 だがそのどれもが俺にはどうでもよかった。


 なんて小さな世界なんだ──。


 これからやろうとしている俺の任務を前に、それらのすべてが稚拙なものに聞こえてくる。



「ラルクッ! 今からでも遅くない! 辞退しろ! 相手をよく見ろ! お前、殺されるぞ!」


 しかしその中から俺を心配するような声が聞こえてきた。

 声のした方へ視線を向けると──


「無茶だ! いくらお前でもあれには勝てないぞ! あいつはエミリア教官が言っていた──」


 一学年一クラスの生徒たちの姿が見えた。

 それもクラウズ=ノースヴァルトが中心となって叫んでいる。


 俺のことを心配してくれているのか……?


 まあ、今から戦う相手を思えばそれも当然か。

 正直どれほどの力を秘めているのか未知だ。


 だが、俺はクラウズと目を合わせ、力強く頷く。


 ──必ず勝ってみせる。



 そして歓声の中、試合場中央へと向かった。








 対戦相手はすでに準備を整えて待っていた。


 離れているこの場所からでも強烈に伝わってくる圧倒的存在感。


 最後の試合ということもあり、エミルのときと同じだけの歓声が沸き起こっている。

 観客からの声援はすべてこの騎士に注がれている、といっても過言ではないだろう。

 

 修羅の権化。


 人ならざる者の気を纏う体躯。


 七年前であれば尻尾を巻いて逃げていたに違いない。



 俺は大陸最強と謂われるレイクホール聖教騎士団序列一位の騎士に向かって挨拶をした。

 



「待たせたな。──カイゼル」


 


 

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