第56話 姫と公子
「──顕現祭に間に合ったようでなによりです。ようこそ青の都アルスレイヤへ、レイア姫」
「ラルク様……、あの、その節は大変お世話になりました……お陰で大公も妃も体調を戻し公務に励んでおります……」
「それは安心しました。スレイヤにはいつ着かれたのですか?」
「実は……街道を整備していただいたラルク様には申し訳ないのですが、大公同様、私も公務に追われて今回の顕現祭は諦めていたのです。しかし『式典には間に合わなくともスレイヤ国王に援助の礼をせねばならぬ』と大公からの勅命を受けて、部下四人を連れて十五日前にシュヴァリエールを発ったのです」
「十五日前、ですか? それでもう到着されたのですか?」
「私もたちも驚きました。本来であればひと月はかかるのですが、街道はほぼ直線に造り直されていて、しかもまっ平らな石が凹凸も隙間もなく敷設されていたのです。ですから馬車も滑らかに走ることができて、約半分の日数で到着できてしまったのです。魔物や獣も一匹も出会うこともありませんでしたし……大きな声では言えませんが、ラルク様、いったいどれほどの魔法を行使されたのですか……?」
「そうだったのですね……騎士団長のコンスタンティン様にも街道の警備に力を入れていただくよう嘆願していましたので、その効果も大きいようです……国王への謁見はもうお済みになられたのですか?」
「はい、今朝早くに拝謁が許されましたので、大公の命は終わりました。ですので少し街に出てみようかと思ったのですが……」
「あそこの店でなにかあったようですね。一体どうされてのです?」
「恥ずかしながら店の商品である髪飾りを破損してしまったのです……妹に似合うかと思い、手に取ったのですが、私の不注意で落としてしまって……そうしたら店の主人がクレール金貨一枚で弁償しろと声を荒げるので、私の従者と口論になってしまったのです。『そんなに高いはずはない、もともと壊れていたのではないのか』、と」
「レイア姫でしたら店の主人の証言が正しいのか判断できるのでは?」
「はい、クレール金貨一枚というのは嘘のようでした。ですが壊してしまったのは私で間違いありません。ですからどうしたものかと考えあぐねていた際に、魔法科学院の制服を着た、あちらのヴァレッタさんが仲裁に入ってくださったのです……」
そうだったのか、と、バレッタ先輩に視線を向けると──バレッタ先輩は腕を組んで仁王立ちしていた。
何やら不機嫌そうな顔で俺を見ているではないか。
「はあ……どういう仲か存じませんが、線なし君? これ以上そうしていると周りの男連中に半殺しにされるわよ?」
え?
ヴァレッタさんに言われて周りに目をやると、
「──!」
「も、申し訳ありません! ラルク様!」
転びかけたレイアさんを抱えたまま会話をしていたので、王都の住人から嫉妬、どころかそれを通り越して殺意のこもった視線を向けられていた。
レイアさんはそのことに気が付いていたのか、俺が確認するよりも早く俺から離れる。
「い、いえ、こちらこそ、でも周りに聞かれてはまずいこともありましたので……」
「そ、そうですよね……ふふ」
「は、はは……」
俺は照れ隠しに頭を掻いた。
◆
「それにしても姉様……いらっしゃるならいらっしゃるで伝報矢で先触れをくだされば……」
「こんなに驚くこともなかったのに」レイアさんから事の次第を聞いたフレディアが嘆く。
すると最年長のモルガと言う老騎士が愉快そうに大口を開けて高笑いをした。
「うわっはっはっは! 姫様、どうやら成功したようですな! 若がこれほど驚かれるとは! どこに所属する冒険者だかわかりませぬが、あの街道を整えてくれた冒険者らには感謝せねばなりませんな!」
俺たちは授業中なので、どこか座れる場所でゆっくり──というわけにはいかないが、それでもヴァレッタ先輩が『多少なら』と気遣ってくれ、全員揃って人気の少ない路地裏まで移動して立ち話をしている。
シュヴァリエール一行の五人、学院の生徒五人の計十人だ。
街道を整備したとはいえ、顕現祭に間に合うかどうかの微妙な時期での招待だったので、フレディアも気を揉んではいたのだが……。
約半分の日程で行き来できてしまうとは……便利になるのは大いに喜ばれるだろうが、その分利用する人が増える。
魔物以外の治安などもやはり心配だ。
……コンティ姉さんは片道十五日ということまでは知らないだろうから、今度そのことについても相談してみよう。
「山脈越えの街道が整備されたと聞いて、我らばかりでなくシュヴァリエール国民が大挙して押しかけておりますからな」
「ああ、我らほど早くは駆けられないが、それでも二十日ほどで着いたと言っておったぞ」
シュヴァリエールの若い騎士たちが嬉しそうに会話を弾ませている。
それで今年は祭りの人出を多く感じたのか。
「これで若も長期の休暇には一時帰国もできますぞ!」
久しぶりに会う公子に心配をかけたくない思いもあるのだろうが、レイアさんから飢饉や謀反のことを人前で話すなと指示をされているのだろう。
騎士たちが話す話題は明るいものばかりだった。
フレディアもそのことに気付いているのか、俺たちの手前ということもあって、騎士たちの話しの聞き役に回っていた。
「うう、しかし若……少し見ぬ間にこんなに立派になられて……」
「モルガ、国を出てからまだ八カ月だよ? いくらなんでもそんなに変わりはしないだろう。僕だってその自覚はないよ」
「いえ、若、そのようなことはございません。見違えて逞しくなられましたぞ? モルガにはわかります。若が遠いスレイヤの地でひとり寂しく枕を濡らしておられたのを。そしてやっとの思いでそれを乗り越え、こうして笑っておられることを。ですな? 姫様」
「ああ、モルガの言うとおりだフレディアちゃん、ほら、ここに涙の痕が──」
「ね、姉様! 人前ではその名で呼ばないでください! ああもう! 少し離れてください! それと匂いを嗅がないでくださいっ!」
いつの間にか後ろに回り込んでいたレイアさんをフレディアが振り払おうとする。
「健康面は問題なしと、睡眠も就れているようね。あとは……あ! え!? フレディアちゃん……あなた、恋してるの……?」
「ちょっと! 姉様! またそうやって勝手に人の状態を──」
「もうそんな年なのね……少し寂しいけれど、これも受け入れなければならないのね……」
「ですから!」
レイアさんのもうひとつの特技、弟の匂いを嗅いで状態を確認する秘技にフレディアが翻弄される。
本当に仲が良さそうだ。
「そのときは姉様にもちゃんと紹介しなさいよ? 私の大事なフレディアちゃんを任せるのに相応しい人かこの眼で──」
「姉様! み、みなさん! 早く巡回に戻りましょう! ほら、姉様、後ほど伝報矢を放ちますから! そのとき予定を決めてまたゆっくり話をしましょう! モルガ! 姉様を頼む!」
話の雲行きが怪しくなり、そわそわしたフレディアが必死に話を打ち切ろうとする。
レイアさんたちは顕現祭が終わっても十日ほどは城に用意された部屋で過ごすそうなので、落ち着けばフレディアとゆっくり話す機会もとれるだろう。
俺たちは挨拶を交わして授業に戻ることにした。
『──ラルク様、ラルク様が試してみたいと仰っていた丘ですが、森は広がり、中央の泉は清浄な水で満たされています』
別れ際にレイアさんが小声で教えてくれた。
俺がシュヴァリエールからの帰り道に精霊を残してきた丘だ。
レイアさんに詳しい場所までは伝えていなかったが、砂漠地帯にいきなり森が出現したのだからそれだとわかったのだろう。
順調に成長しているようで一安心だ。
『──確認していただいたのですね? ありがとうございます。泉の水は枯れない程度に国の皆さんで利用してください』
俺はレイアさんに軽く会釈をすると先に路地から出ていった四人を追いかけた。
◆
「さて、線なし君、どうして君がシュヴァリエールのお姫様と面識があるのか説明してもらおうかしら?」
合流した途端にヴァレッタ先輩が詰め寄って来る。
「はあ~! すっごい綺麗な人だったね~! 憧れるぅ! 私もあんな大人になりたぁい! でも貴公子君そっくりで驚いたなぁ、っていうか、ホントに貴公子君が貴公子だったなんて、そのことにもびっくりだよ……ねえ、貴公子君、お姉様とまた会いたいんだけど──」
アリーシア先輩はアリーシア先輩で、レイアさんの虜になったのか、フレディアを捕まえていろいろ聞き出そうとしていた。
「ふむ。しかし偶然とはいえこの広い都で良く出会え──」
「聞いてる? 線なし君? なに、鼻の下伸ばして、あら? 私みたいなおこちゃまには話す必要がないって言いたいの?」
アーサー先輩の発言を無視してヴァレッタ先輩が突っかかって来る。
フレディアに助けを求めようにも、フレディアはアリーシア先輩に絡まれているため、役に立ちそうにない。
『──ヴァレッタ先輩、それは僕の口からは話せないのです。なぜならシュヴァリエールの内政に関わることですので』
仕方がないので、俺はいっそう声を殺すと意味ありげに回答した。
『国の内情に関わる』ということにしておけば、ヴァレッタ先輩でも深くは訊いてこないだろう。
「ふ~ん、あっそう、ま、いいけど。別に気にならないし」
ヴァレッタ先輩が拗ねた子どものように口を尖らす。
普段はしっかりしているのに、本当にいろいろな顔を持っているんだな……先輩は。
「よしっ! じゃあ、お昼を食べたら午後の巡回も頑張ろうか!」
すぐに表情を戻したヴァレッタ先輩が昼休憩の指示を出す。
直後、昼を告げる三の鐘が都に鳴り響いた。
「みんなは何か食べたいものある? せっかくだから出店で買って食べてみない?」
班長から女生徒に切り替わったヴァレッタ先輩がブルネットの瞳を輝かせる。
フレディアを解放したアリーシア先輩や、アーサー先輩からも賛同の声が上がる。
食べたいものか……
あの店は今年も出店してるのかな?
「それでしたらヴァレッタ先輩、今年も営業をしているかはわかりませんが、行ってみたい店が一か所あるのですが……」
「へえ、線なし君のお勧め?」
「いいじゃん、行ってみようよ」
「僕はさっぱりしたものが──」
「よし! 決定! じゃあ線なし君、道案内よろしく!」
俺は七年前に食べた懐かしい味を思い出しながら、みんなを店まで案内した。