第51話 ……た!
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「まず──」
ヴァレッタがやおら口を開く。
エミリアは、王国有数の貴族の令嬢であり、また、学院内に於いて最も成績の良い生徒でもあるヴァレッタがどのような発言をするのか、居住まいを正して耳を傾けた。
「──私の発言は生徒の総意としてお受け取りいただきたく思います」
ヴァレッタの冷淡な声が会場の熱を冷ましていく。
ヴァレッタは緩く波打つブルネットの髪を肩から払うと、
「──さて、先ほどシャロン教官より説明がありました武術科学院からの提議内容について、魔法科学院の生徒としては喜んでお受けしたいと考えます」
冷たい笑みを浮かべたまま回答を述べた。
その発言に、エミリアだけでなく、会場全体が固唾を呑む。
「提議内容によると交流戦催行予定日まで、ひと月もありません。よって早急に回答をしなければ、お互いに不都合も生じることでしょう──」
意味深な発言とともに、ヴァレッタが説明を続ける。
ヴァレッタが会議に出席することを予測していたのか、武術科の教官らは彼女が立ち上がったときには一切表情を変えることはなかった。だが、今では約一名を除いてその顔には僅かに緊張の色が見受けられた。
エミリアは続いている説明を聞きながら、ヴァレッタが下した決断について考えた。
そもそもエミリアにとって紅白戦が中止になるということは、さほど重要ではなかった。
なぜならラルクが"一本線"に強いこだわりを見せなかったからである。
エミリアは、最強と信じて疑わない兄弟子が"線なし"でいることに少なくない抵抗を感じていたが、当の本人であるラルクは、至って冷静に『線なしだろうがバシュルッツに行ければそれでいい』と言う。
エミリアとしても言いたいことはいくらもあったが、それ以上この件に触れることはできずにいた。
そのように他の生徒とは異なる理由で入学してきたラルクだ、紅白戦に出たとしても、ある程度の成績を確保してしまえば実力を見せずに、相手に勝ちを譲るかもしれない。
仲の良い友人と対戦することになったりしたらなおさらだろう。
師匠からの指示であるために、ラルクが実力を隠さなければならないのは仕方がない。とはいえ、それではいつまでたっても他人から低い評価をされたまま──。
本当はこの国を救った聖者さまなのに──。
全学院に兄弟子の実力を見せつけたいと思うエミリアからしてみれば、それはなんとも歯痒いことだった。
ゆえにラルクが本気を出すことがないだろう紅白戦が中止になろうと、エミリアとしては何の感情も抱けなかった。
のだが──交流戦に関しては、多少考えていることがあった。
交流戦の参加選手はは一クラスからのみ選出される。
例年通り交流戦が冬に開催されるのであれば、それまでにラルクが"一本線”になる機会が一度は巡ってくるかもしれない。
紅白戦と違って過去には死者が出るほどに白熱する交流戦であれば、あるいはラルクが本気を出す瞬間が訪れるかもしれない──と。
だがひと月後に急きょ開催となるのであれば──その可能性も消滅してしまった。
『ラルクが交流戦に参加することは不可能である』ということが端から決定してしまっているのだ。
エミリアは、そう考えながら『今回も聖者さまの強さを見せることができないというわけですね……』とすっかり意気消沈してしまった。
「──紅白戦はあくまで身内同士の技の見せ合いです」
エミリアが意識を会場に戻しても、ヴァレッタの説明は続いていた。
「やはり勝手知ったる中に於いて、時には情や加減なども生じてしまうかもしれません。それを見させられたところで王都の住民は決して枕を高くして眠ることはできないでしょう。しかし、因縁深き──これは私の言葉ではなく、住民から見た印象とお取りください。──因縁の深い魔法科学院と武術科学院との交流戦であれば、そこには情や加減などの一切ない、真剣勝負として観戦して下さるでしょう」
シャロンのときとは異なり、大多数の教官が頷いている。
「そういった観点からも、顕現祭前に執り行う催しは、紅白戦よりも交流戦である方がより王都の安寧に貢献する、ということとなります。よって私たち生徒はこの提議に全面的に協力したいと考えます」
再び会場が拍手の音で溢れた。
エミリアも流されたように自然と拍手を送る。
その拍手を聞いて、これで決定か──と会場にいる誰もが思っただろう。
しかしミューハイアは採決を促そうとはせずに座ったままでいる。
まるでヴァレッタの話の続きを待っているかのようだ。
「──ただし!」
果たしてヴァレッタの口から言葉が飛び出した。
力強い声で注目を集めたヴァレッタではあったが、しかしその表情は先ほどから少しも変わらず冷めたままだ。
「──慣例通りであれば、出場する生徒は一クラスから選出することが決まっています。が、こちらが提案する例外を受け入れていただくことが条件となります」
今までなんとなく話を聞いていたエミリアも、ヴァレッタの言葉の真意が気になり、再び話に集中した。
「こちらからは一名だけ、"一本線"ではない生徒を出場させていただくことをご了承ください」
今年度は例年に比べて入学希望者が多かったために、一本線でなくともそれに負けるとも劣らない実力を持った生徒が多い。
その中には、当然ラルクも含まれる。
もしかしたらまだ可能性が──と、エミリアは身を乗り出して事の成り行きを見守った。
「おいおい、そんなんじゃ試合にもならねえじゃねえかぁ! こっちとしては楽々一勝できて有難ぇけどよぉ! 何のために大勢の客に試合を見せると思ってんだぁ! そんな弱っちいのと戦わせてもこっちの実力なんざ出せねぇぞぉ! 強ぇ者同士が戦うからこそ意味があるんだろうがぁ!」
ヴァレッタの発言にスコットが野次を飛ばす。
「私はお願いしているのではありません。こちらから出す条件、と言いました。これを受け入れていただけないようであれば、この議題自体なかったことに──」
ヴァレッタはあくまで強気だ。
交渉の場に於いては、主導権は常に己にあるということを叩きこまれているかのように一歩も譲らない。
そこはやはり学生であったとしても、ヴァルト七家の血を引く者といったところか。
「いや、サウスヴァルト殿の申し入れ、喜んでお受けしよう。しかしサウスヴァルト殿もご承知の通り、過去の交流戦では死者も出ている。そのような試合に実力を持ち合わせない生徒が参戦するのは安全面から見ても問題があるように思うのだが──」
「一本線でなくとも今年の我が学院には、例年であれば文句なしに一本線になり得るだけの実力を持った生徒が多くいます。安全面に関しても青の聖女様がいらっしゃいますので心配していませんが──それであれば生徒枠ではなく、特別推薦枠として参加させましょう。万が一の事故が起きた際、生徒では荷が重いでしょうから」
シャロンの発言にヴァレッタが応じる。
「しかしこちらの特別推薦枠は──」
「どなたであっても問題ありません。都の人々にも納得いただける試合になることをお約束しましょう。──その条件を受けていただけないのであれば、魔法科学院は通常通り紅白戦を開催します」
「そこまでおっしゃるのであれば……承知しました。それであればその生徒にも覚悟が必要でしょう。我々の推薦枠は聖教騎士序列一位の騎士。万全の態勢で試合に挑むよう、そうお伝えください」
「心遣い感謝します。シャロン教官。それでは当日を楽しみにしています」
ヴァレッタが席に着くとミューハイアが決を採る。
『伝統に反する』や『その生徒の名を明らかにしろ』等、反対の意思を表明する教官もいたが、賛成多数で可決された。
さらにミューハイアはこの場にいる全員に向かって言葉を発する。
「本日開かれた議会の内容については交流戦が開催されるまで一切の漏えいを禁止する! 生徒には紅白戦は中止、その代わりとして交流戦を前倒しに行う、そしてそれはすべて十二月の講堂による決定である、とだけ説明するように! それでは皆には今からこのタルカッサスの石に触れてもらう!」
異例ともいえる通達に、会場は一瞬どよめく。が、ミューハイアが円卓上に出現した怪しく光る石に右手を触れると、どよめきは諦めに変わった。
ミューハイアに続いてヴァレッタが石に触れる。
するとそれに倣うように最下段にいた教官らが次々と石に触れていった。
二段目、三段目に座っていた出席者も、階段を下りるよう支度を始める。
「こんな真似しねぇでも俺は誰にも言いやしねぇよ」
「いや、スコット教官、ミューハイア学長の信を得るためだ、私たちも同じように誓約を交わそう」
「これで情報が漏れでもしたら我らが疑われる。無駄な血を流したくないのであればシャロン教官の言うようにここで石に誓え」
武術科学院の教官三人も例外なく石に触れた。
◆
「さてエミルぅ、ちょっとゆっくり話でもするかぁ」
スコットがエミリアの肩に手を乗せる。
武術科のふたりの教官や、周りの教官がそれを咎めようとするが、エミリアがそれを手で制した。
「あちらへ行きましょう」
エミリアが人気のない場所を指さす。
「エミリア教官! ふたりきりでは危険です!」
駆け寄ってきたシュルトが忠告するが、
「私なら大丈夫です。少し話をしてくるだけですから」
それも聞き入れず、エミリアはスコットと議会場の隅へと消えていった。
◆
数アワル後──
「学長、教官枠に私を出していただきたいのですが」
学長室で、ミューハイアにそう直談判するエミリアの姿があった。
次回からラルク視点に戻ります。