第48話 休日返上。──エミリアの堪忍袋の、
◆
『どうして今日なのです……』
エミリアにとって七度目となる、春季の授業が始まってよりひと月。
学院を襲った外敵の騒動がようやく落ち着きをみせて、教官らの業務も通常のものに戻りつつある。
そのため本来であれば、今日は生徒たちと同じく休日のはずだった。
春前は例年の三倍は軽く超える受験生の試験の準備に追われ、試験が過ぎてからは外敵『巨神』と、その事後処理に追われ。
気が付けばエミリアは四カ月ほど休みらしい休みを取っていなかった。
唯一取ることができた、休日と呼ぶにはほど遠い、半日限りの休息は、慈善で行っている教会での奉仕活動にあてた。
だから今日こそはラルクと顕現祭で賑わう王都を散策しよう、と心に決めていた。
そんなエミリアが、ラルクから『コンスタンティンさんの館に一緒に行かないか』と誘われたのは昨日のこと。
しかしその時点で休日返上は確定しており、すでに王都散策も諦めていたのだった。
『本当だったらいまごろ聖者さまとロティさんのところに……どうして会議なんて……ああ、もう! 聖者さま成分が不足し過ぎてます!』
こと、ラルクが絡む事柄なだけに、エミリアの口からは恨み節の数々が漏れ出る。
七年間も耐えたのだ、それも仕方ないだろう。
エミリアが今着ている白を基調とした服は、学院から支給されている教官専用の制服だ。
上下は繋がっており、腰の部分に青いベルトが巻かれている。
気候的に夏用を着るにはまだ少し早く、上着部分は長袖だが、スカート部分は短く膝丈ほどで、裾が大きく広がっている。実技用の行動しやすい制服は、また別に支給されている。
また、特別な場合を除いて学院内では教官も生徒同様、この制服を常に着ていなければならない。学院の関係者であると判別できるようにだ。
しかし生徒の制服が特別製であるのに対し、教官のそれは何着もある既製品である。
特に目立った特徴もない制服ではあるが、エミリアの制服に関しては、他の教官と大きく異なる点がひとつだけあった。
それは上着の左胸、そこに刺繍されている紫の龍だ。
これは七年前、『神抗騒乱』を鎮圧した功績としてクレイゼント国王から賜った誉の証である。
そのため、エミリアは一介の教官といえども、学院内に於いてかなり特殊な立場にあった。
具体的には一般の教官では立ち入ることが許されていない区画に無許可で入ることができたり、学院内に存在する派閥に属する必要がなかったり──ということである。
九割以上はイリノイ=ハーティスからの、聖女を青の都に常駐させることに対する交換条件であった。
ここでもイリノイの陰なる力がいかんなく発揮されたということだ。
しかしそのことを知るのはスレイヤ王国内でも国王クレイゼントと第二王子クレイモーリス、第二王女ミレサリア、そしてイリノイの弟子たちくらいのものである。
「これはこれはエミリア教官! この時刻にこの小道を歩いているということは、十月の講堂に向かわれているのですか!」
エミリアが足元に転がるちょうどいい大きさの小石を蹴って憂さを晴らしていると、張りのある大きな声が聞こえてきた。
エミリアは、御守り代わりにしているラルクの汗がしみこんだ布巾をサッとしまうと、姿勢を正して振り返る。と、一学年の実技の授業を担当しているシュルトが爽やかな笑顔を浮かべて手を挙げていた。
「シュルト教官……おはようございます。ええ、間もなく集合の時刻になりますので」
「おお! 奇遇ですね! ぜひご一緒させていただきたい! ──おや? エミリア教官、どうやら元気がないご様子……ここのところ笑顔が絶えなかったというのに、なにか悩みごとでもあるのですか?」
隣に並んだシュルトが、エミリアの口調とは正反対の、威勢の良い声でエミリアの顔色をうかがってくる。
「いえ……急きょ入った今日の会議で予定が大幅に変わってしまって……」
「といいますと、教会のことですか?」
「え、ええ、そんなところです……」
「いやぁ、青の聖女様に診てもらえる患者らは実に羨ましいものです! 私など生まれてこの方熱病すら患ったことがないですから! 診ていただこうにも悪いところがありません!」
エミリアは愛想笑いを浮かべて謙遜した。
「弟さんはいかがですか?」
今度はエミリアがシュルトに訊ねた。
無理やり話題を変えようとした感が否めないが、それでも上手くいったようで、シュルトは「う~ん」と唸ると、
「オリヴァーですか、いやぁ、あれが結構やんちゃなところがありまして……先日も残り二年は大人しくしていろと説教したところなんですよ! エミリア教官にまでご心配おかけするとは、今夜もきっちり言い聞かせるとしますか! ライカの、おっと失礼、ライカ教官の妹には負けられないですからね!」
大口を開けて高らかに笑う。
エミリアは一学年一クラスの教官、ライカ=クレッセントと、その妹である三学年一クラスの生徒、アリーシア=クレッセントを頭に思い浮かべた。
シュルトとライカの間にはどちらも兄姉が教官であり、弟妹が三学年一クラスの生徒、という共通点がある。
であるから、なにかというとお互いがお互いを引き合いに出し、あらゆる点に於いて優劣をつけたがるのだ。
アリーシアは"目"も良いし、魔法の扱いにも長けているけれど、オリヴァーは……
どうだったかしら、と考えを巡らせた。が、シュルトそっくりの笑顔が脳裏をかすめたため、そこで考えることをやめた。
「しかし十月の講堂とはまた仰々しいですね! いったいどんな議題が飛び出すのやら!」
「ええ、この七年間でも四月の講堂しか経験がありませんから、先日の騒乱で初めて十一月の講堂を経験したときには、室内の重い空気に圧倒されてしまいました」
会議の議題が重要な案件になるにつれて、使用する講堂も一月から十二月まで変動する。
数人の教官だけで対応できるような案件であれば一月、学年や専門分野をまたいで議論する必要がある案件の場合には三月、四月、といった具合だ。
過去十二月の講堂が何度使われたことがあるのかエミリアは知らないが、エミリアの在職中は十一月の講堂が一度使われたきりである。
そして今日招集がかかった講堂は十月。
そのことからも、今日の議題はかなり重要度が高いものであることがうかがえる。
教官らも自然と緊張が増し、会議に臨む姿勢もより粛然となる。が、まさにそのことこそが講堂を十二に分けている意義のひとつでもあった。
十月の講堂を使用する際に参加する人員は、教官が全員に学長、生徒代表がひとり、そして──
「今日は武術科学院からはどなたが出席されるのでしょうか」
武術科学院からも数名の教官が出席することになる。
十一月の講堂ではこれらに合わせて、さらに武術科学院の学長も加わる。
「あっちも呼ぶとなると、やはりバシュルッツとの交換留学の件が濃厚ですかね」
「バシュルッツの件ですか」
「ええ、私はしばらくの期間、あの国との交換留学は凍結させた方がよろしいのでは、と思っているのですが、どうなんでしょうか!」
「それは私ではなんとも……」
ラルクがこの学院に来た理由を知るエミリアは複雑な表情を浮かべる。
「それはそうと、エミリア教官! つかぬことをおうかがいしますが、今夜の予定はいかがなっていますか!」
「今夜、ですか? いえ、特には……」
「おお! これは僥倖! 実は貴族街に美味い食堂を見つけまして、良かったら今晩ご一緒に──」
「お断りします。──シュルト教官、講堂が見えてきました。他の教官方もおいでのようですので急ぎましょう」
今晩ラルクはロティの手料理を食べてくるのだろう──そのことを思いだしたエミリアは、また気分が沈んでしまった。
会議に対する緊張感よりも、ラルクが今頃なにをしているのかが気になってしまう、そんな乙女のような一面を見せるエミリアであった。